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謀反人 井上邦雄

207 :滅びゆく反社会的勢力 ◆FINISH.... :2020/01/26(日) 08:31:14 ID:0.net
>>206 続き
「山口組が揺れ動いた2007年の事件」

 8月の事件が神戸山口組に与えた影響は大きいと、山健組について詳しい山口組幹部も口にする。

「親分が自ら行くということは、組織としてなっていない、統制が全く取れていないという恥をさらすようなもの。
山健組と言えば、かつては巨大組織だった。今は離脱者がかなり多いのではないか」

 この幹部が述べるように、山健組は5代目山口組時代には組内で最大派閥を誇り、6000人以上の勢力を誇っていた。
しかし、この幹部は、「ある事件から、揺れ動きだした」と振り返る。

 幹部が指摘する、ある事件とは、2007年5月に神戸市内で発生した山健組傘下の多三郎一家総長、後藤一男の殺害事件だという。

 山口組が6代目体制となり、それまでの山健組支配から、次第に弘道会支配へと、組内力学が変化し出したころだ。
不満を抱いた後藤は公然と6代目執行部や弘道会を批判。
中でも当時、山口組本家の若頭に就任していた高山批判を繰り返していたという。
 こうした場合は、後藤が総長となっていた多三郎一家は山健組傘下のため、弘道会としては山健組に問い合わせをするほか、止めさせるよう申し入れするとみられる。
しかし、山健組は後藤に対して批判を控えるよう説得することはなく思いも寄らぬ行動に出た。

 後藤を刃物で襲い殺害し、公然と高山批判をしていた口を封じたのだった。
殺害場所は神戸市内の山健組本部近くだった。事件は後になって、山健組幹部数人が殺人容疑などで逮捕される。

事件の顛末を振り返ると、山健組執行部が弘道会に白旗を上げたのも同然の結末だった。

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