2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

住吉会総合スレ pt.15

671 :名無番長:2020/09/07(月) 16:13:04 ID:0.net
>>628
それは真実とは違うな。
西海家は五代目の菅原孝太郎総長が小林楠扶会長と兄弟分だった。
また菅原五代目は実話時代のインタビューでも堀総裁のことを崇拝していると公言していた。

まだ東北ヤクザの再編が始まる前の昭和の頃に
東北の多くの親分衆が堀総裁の器量を慕って住吉への加入を希望したことがあった。
しかし堀総裁は関東二十日会と関東神農同志会を壊すことに繋がりかねないと、
「貴方の一家の代紋と歴史をこれからも大切に守って下さい。そのうえでウチとは親戚以上のお付き合いをしましょう。」
と言ってそういう申し出を断っていた。
時代が昭和から平成に変わるころ東北ヤクザの再編が始まっても堀総裁の姿勢は変わらす、
住吉入りを希望していた組織が独立を維持できなくなりやむなく山口や稲川に流れるといったケースも出てきた。
平成2年に堀総裁が亡くなると跡を継いだ西口総裁が方針を転換、
「住吉は侵さず侵されずの原則を貫くが、来るものは拒まない」とした。

西海家総連合会は東北最大組織で最後まで独立を維持すると見られていたが、
住吉の方針転換を受け、菅原五代目が「亡き堀総裁に恩返ししたい」と住吉入りを決断。
また東北のドンと呼ばれた川崎永吉親分が率いる東京盛代盛永会も同様の理由で住吉入り。
その後は残っていた東北の独立組織も次々と住吉入りを果たした。

当時の住吉が会費が比較的安い方だったの事実だが、より正確にいうと稲川が高過ぎたというのが実態。
それと住吉は連合体だが住吉一家総長という中心軸があるので、寄り合い所帯とは訳が違う。

総レス数 1001
224 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★