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和久井一朗とその時代 5【最後の極道】

1 :取材班 :2024/04/13(土) 18:37:30.26 0.net
【十七代目緋川一家】

総長・和久井一朗

若頭・葛西達哉(葛西会会長)

舎弟頭・吉野哲(三代目山岡組組長)

総本部長・重松拓海(三代目八尋会会長)

顧問・秋山義彦(秋山組組長)
顧問・明智聡志(明智組組長)
顧問・中村大輝(三代目真崎組組長)
顧問・川城信人(川信会会長)
顧問・香坂龍助(香坂組組長)

若頭補佐・喜村辰弥(喜村組組長)
若頭補佐・山崎仁(二代目奈良健組組長)
若頭補佐・齋藤嘉男(六代目田崎橋連合会会長)
若頭補佐・如月道春(三代目和久井会会長)
若頭補佐・岩井誠忠(七代目瀧舟会会長)

舎弟頭補佐・大木正親(大木会会長)
舎弟頭補佐・原田旭(三代目服部組組長)
舎弟頭補佐・谷中保夫(正闘会会長)
舎弟頭補佐・篠崎耕平(二代目八響会会長)
舎弟頭補佐・吉道貴史(五代目田宮組組長)

以下
舎弟・8名
若中・72名

2 :取材班 :2024/04/19(金) 06:55:15.06 0.net
十七代目緋川一家で若頭の要職にある葛西達哉会長が率いる葛西会に嬉しい出来事があった。
長い懲役を務めていた坂口正暉幹部がシャバに帰ってきたのである。
坂口幹部は、葛西会が某組と抗争している際に体をかけた功労者なのだ。
葛西会長に対して絶対的な忠誠心を持っており、その葛西会長のメンツを守るために体をかけた。

坂口は若いころ、和久井一朗親分が率いていた和久井会で修行をしていた。
葛西会長が坂口の将来性を見込んで、和久井会に預かってもらったのだ。
坂口は当初、和久井会の武田流心舎弟頭に付いていたが、よく働くことが認められ、一年が過ぎたころには和久井親分に付くようになった。

だが一度、大きなミスをしたことがある。
和久井親分に付いてA組の継承式に行った際、坂口は和久井親分が着る紋付袴を持参するのを忘れてしまったのだ。
坂口は義理場に到着してからそれに気づき、和久井親分に土下座をして謝った。
すると和久井親分は「そんなことはやめろ」とだけ言い、着ていたスーツのまま義理場に入ろうとした。
その場には、錚々たる親分衆が訪れており、スーツを着ていたのは和久井親分のみで、あとは皆が紋付袴だった。
よって入り口でA組の最高幹部は、和久井会の一行に対して「他の親分さんたちの目もありますから、紋付袴で参加していただかないと困ります」と言った。
それに対して、和久井親分の秘書役を務めていた和久井会の永井慶史若頭補佐は「うちの親分を門前払いとは、お前らはどの立場で言うとるんや?」と言った。
和久井親分は「永井、もういい」と止め、つづけて「帰るぞ」と言った。

坂口は自分がミスをしたせいで大変なことになってしまったと焦った。
よって、和久井親分に対して無礼なことを言ったA組の最高幹部のタマを取ることで、和久井親分と組のために体をかけようと考えたのである。
だが和久井親分は、そんな考えもお見通しで「坂口、余計なことは考えなくてもいいし、何も気にするな」と言ったという。
その器の大きさに触れ、坂口はますます修行に精進するようになったのである。

3 :取材班 ◆C8WiiS0OIk :2024/04/23(火) 04:18:35.90 ID:0.net
ちなみに、A組の継承式があった翌日、A組の組長と若頭が和久井会の本部を訪れた。
だが、和久井親分に会わせることなく、和久井会の永井若頭補佐らが応対し、前日の無礼に対する説明を求めたのである。
すると、A組の組長は、組長と若頭、無礼を働いた当事者の各々が詰めた指を差し出した。
加えて、組長は「無礼を働いた当事者は破門にしました」と伝えた。
永井若頭補佐は、その指を和久井親分が居る会長室に持っていった。
指を見た和久井親分は「せっかく祝い事があったのにな」と言い、続けて「これを渡しておいてくれ」と言って見舞金を渡した。
すべて水に流すという意味である。
器が大きいのと同時に、もし話がこじれたら和久井会の若い衆がA組を叩きのめして何人かが懲役に行くことになるのが分かっていたからこその判断だろう。
その意を汲んだ永井若頭補佐は、A組の組長らに対し「指はこちらで供養させていただきます。それとこれは、うちの親分からです」と言い、金を渡した。
A組の組長らは正座して頭を深々と下げ「大変恐れ入ります」と言って金を受け取ったのだ。

その後、A組の一行は和久井会本部を出て帰っていったのを見届けた永井若頭補佐は、どこかに電話をかけた。
A組の組長のタマを取るため、和久井会の若い衆たちがA組の事務所付近に潜伏していたのだが、襲撃を止めるためである。
誰が指示した訳でもなく、若い衆は自発的に動いていたが、永井若頭補佐は把握していたのだ。
だが、和久井親分が水に流した以上は、襲撃は御法度である。
よって若い衆たちはすぐに本部に戻ってきた。
永井若頭補佐は「腹減ってたら、これで何か食えよ」とだけ言い、金を渡した。

そんな和久井会で修行を積んだ坂口は、極道としての生き方をしっかり学んだ。
修行に出されてから丸三年になったとき、和久井親分から「そろそろ葛西のところに戻って、組を支えてやったらいいんじゃないか」と言われた。
坂口は深々と頭を下げ「まだまだ未熟者ですが、本当にお世話になりました」と礼を述べたのである。

葛西会に戻った坂口は、すぐに頭角をあらわして幹部の座につくまでになった。
そして抗争によって長期服役することになったのである。
葛西会長からその旨を聞いた和久井親分は「お前のことだから心配はないが、中に入っている者には良くしてやれよ」と言った。

4 :取材班 :2024/04/24(水) 00:06:55.14 0.net
そんな坂口が、いよいよ出所した。
坂口は葛西会本部で葛西会長に挨拶したのち、緋川一家総本部に出向いて和久井親分に挨拶した。
和久井親分は「ご苦労さんだったな。元気そうでよかった」と言った。
坂口は「緋川一家の代紋頭になられて、そんな凄い親分の下で短い期間でも修行できたことは誇りですし、葛西の会長も一家の若頭にまでなられて嬉しいです」と言った。
和久井親分は「何も凄いことなんかない。自分があるのは、みんなのおかげだ」と答えた。
数分ほど会話した後、坂口は「これから、永井さんの墓参りに行きます」と言った。

和久井会に在籍していた永井若頭補佐は、抗争で命を落としたのだ。
服役中にそれを知った坂口は、自分が何もできない悔しさに打ちひしがれていた。
当然、和久井会は激しい返しをし、相手の組は壊滅した。
だが坂口は、もし相手の組関係者が刑務所に入ってきたら、世話になった永井若頭補佐のために返しをしたいと考えていた。
そんなとき、葛西会長が面会に訪れ「悔しい気持ちは分かるが、今は自分の務めを果たして、無事に戻ることだけ考えてくれ」という言葉を伝えた。
坂口は「会長、自分のためなんかにわざわざ来ていただき、すみませんでした。しっかり務めます」と返事をした。

葛西会長と坂口は緋川一家総本部を出て、永井若頭補佐の墓に向かった。
坂口はしばらくの間、墓前に手を合わせて目を閉じていた。
葛西会長は「永井は良いヤクザだったが、お前も同じようにもっと良いヤクザになれる」と言った。
坂口は「とんでもないです。まだまだ追いつけません」と答えた。
すると葛西会長は「永井と同じ役職をお前に任せる」と言った。
つまり坂口は、葛西会の若頭補佐に任命されたのである。
和久井会の永井若頭補佐がもし存命だったら、きっと緋川一家の直参にもなっていたであろう。
しかしそれは叶わない話となった。
葛西会長は「なぁ、坂口。いずれは和久井親分の直参になれるよう頑張ってくれ」と言った。
坂口は「ありがとうございます。そのためにも葛西会でしっかり頑張ります」と答えたのだった。

5 :名無番長:2024/04/24(水) 05:18:09.58 0.net
今日も寝れないのが丸分かり😂


ここまで圧倒的な差がある雑魚だと本当QOL向上できてるょ😊

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