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若おかみは小学生! Part10

357 :見ろ!名無しがゴミのようだ! :2019/02/11(月) 05:34:19.20 ID:7WqYxD1W0.net
>>354
>>354
どこが脳内設定なんだ?あくまで劇中描写に則した解釈だが。
君は原作の設定に拘りすぎなんだよ。この映画は基本は原作と共通した設定だけど
それと同時に「原作の焼き直し」という側面が強いことを無視しすぎてる

原作でも「亡くなった両親との対話」はある
映画版の木瀬親子のところの幻視が、その代替シーンだと解釈することのどこが脳内補間なのか?
ちなみに『本当に会いたい人物と最後に会う』ってのは、『親を亡くした幽霊友達もの』の展開の王道だからね
例えば「キャスパー」にも「ももへの手紙」にも全く同じ構成が使われてる。若おかみの原作もそう
主人公が本当に会いたい存在(死んだ親)には会えず、下位の幽霊との交流を通じて
最後にちょっとだけ主人公の願いが叶えられる(親と交信出来る)というのは、この手の作品の必須ビートと言える

ラストの神楽でも、ウリ坊が「今日は神社のパワーマックスや!」と言って両親が出て来てる
小説版では、木瀬親子のところで現れる両親の幻影は「お父さんとお母さんの声が、近くでした。」「顔を上げたら。お父さんとお母さんが障子の前にならんで立っていた!」とハッキリ存在を知覚したように書かれてるし
このシーンと最後の神楽のシーンどちらも「すうっとすがを消した」と表現してある
これは夢の中の出来事の描写の仕方じゃないでしょ。現在に出てきました、って表現

大体、両親の幻影が全ておっこの逃避による産物ならおかしいことになるんだよね
前述した通り木瀬親子のところではおっこの精神状態と両親の言動が全く一致しないし
最後の神楽のとこでも克服しきったのにまた両親が出て来るのはおかしいでしょ
君のほうこそ原作の設定と映画の描写を分けて考えられてないと思うよ

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