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■無能経営■日産(笑)130■早く潰れろやww■

987 :名無しさん@そうだドライブへ行こう (スップ Sd1f-bxd2):2024/01/07(日) 15:58:42.63 ID:pxkoZnzjd.net
>>986
これの事? ホンマやん

中島飛行機が、今の日産とスバルに分かれた経緯を教えてください。

中島飛行機(なかじまひこうき)は、太平洋戦争終戦までは三菱航空機を凌ぐ日本最大の航空機・発動機製造会社で、エンジンや機体の開発を独自に行う能力を持ち、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備えた世界有数の航空機メーカーであった。創設者は、中島知久平。日本の軍事力の強化とともに急速に発展を遂げるが、アメリカ軍による戦略爆撃の主要な攻撃目標とされ各地の工場は灰燼に帰した。

太平洋戦争敗戦で航空機の生産を禁止され、二度と軍需産業に進出できないようにGHQによって、15社に解体された。同社の技術者の多くは自動車産業へ転進し、日本の自動車産業の発展に多大な貢献をした。解体された会社のうち現在でも存続しているのは、中島飛行機を前身とする5社(東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両)が後に合併して出来た富士重工業(SUBARU)と日産自動車(富士精密工業→プリンス自動車工業→日産自動車)のみである。 自動車製造に挑戦したメーカーは多くあったが、戦前から生産していたトヨタや日産でさえも独自で技術開発が出来ずに海外メーカーとの技術提携で凌いでいた時代において、中島飛行機を前身とする富士重工業とプリンス自動車工業の二社のみが、技術提携に頼らず独自開発を行う力を持っていた。

・・・ということです。

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