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アンパンマンなりきり
- 1 :以上、自作自演でした。:2016/08/07(日) 04:43:14.00 .net
- アンパンチ!
- 2 :以上、自作自演でした。:2016/08/07(日) 06:07:42.66 .net
- かびかびかびかびーwwwww
- 3 :以上、自作自演でした。:2016/08/10(水) 13:01:33.90 .net
- るんるん
- 4 :以上、自作自演でした。:2016/08/12(金) 04:17:32.32 .net
- たん、
- 5 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 17:26:32.69 ID:DdgT0LXo7
- 栗梅の小さな紋附を着た太郎は、突然こう言い出した。
- 6 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 17:38:03.43 ID:DdgT0LXo7
- 考えようとする努力と、笑いたいのをこらえようとする努力とで、靨が何度も消えたり出来たりする。――
- 7 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 17:49:33.96 ID:DdgT0LXo7
- それが馬琴には、おのずから微笑を誘うような気がした。
- 8 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 18:01:04.51 ID:DdgT0LXo7
- 馬琴はとうとうふき出した。
- 9 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 18:12:35.04 ID:DdgT0LXo7
- が、笑いの中ですぐまた語をつぎながら、
- 10 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 18:27:42.39 ID:DdgT0LXo7
- 癇癪を起しちゃいけませんって。」
- 11 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 18:39:13.39 ID:DdgT0LXo7
- 「おやおや、それっきりかい。」
- 12 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 18:50:43.90 ID:DdgT0LXo7
- 太郎はこう言って、糸鬢奴の頭を仰向けながら自分もまた笑い出した。
- 13 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 19:02:14.41 ID:DdgT0LXo7
- 眼を細くして、白い歯を出して、小さな靨をよせて、笑っているのを見ると、これが大きくなって、世間の人間のような憐れむべき顔になろうとは、どうしても思われない。
- 14 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 19:13:44.92 ID:DdgT0LXo7
- 馬琴は幸福の意識に溺れながら、こんなことを考えた。
- 15 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 19:36:05.77 ID:hq9QdwHhG
- 考えようとする努力と、笑いたいのをこらえようとする努力とで、靨が何度も消えたり出来たりする。――
- 16 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 19:47:36.65 ID:hq9QdwHhG
- それが馬琴には、おのずから微笑を誘うような気がした。
- 17 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 19:59:08.24 ID:hq9QdwHhG
- 馬琴はとうとうふき出した。
- 18 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 20:10:39.08 ID:hq9QdwHhG
- が、笑いの中ですぐまた語をつぎながら、
- 19 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 20:22:09.88 ID:hq9QdwHhG
- 癇癪を起しちゃいけませんって。」
- 20 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 20:33:42.35 ID:hq9QdwHhG
- 「おやおや、それっきりかい。」
- 21 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 20:45:13.46 ID:hq9QdwHhG
- 太郎はこう言って、糸鬢奴の頭を仰向けながら自分もまた笑い出した。
- 22 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 21:04:58.82 ID:hq9QdwHhG
- 独りで寂しい昼飯をすませた彼は、ようやく書斎へひきとると、なんとなく落ち着きがない、不快な心もちを鎮めるために、久しぶりで水滸伝を開いて見た。
- 23 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 21:16:30.43 ID:hq9QdwHhG
- 偶然開いたところは豹子頭林冲が、風雪の夜に山神廟で、草秣場の焼けるのを望見する件である。
- 24 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 21:28:01.73 ID:hq9QdwHhG
- 彼はその戯曲的な場景に、いつもの感興を催すことが出来た。
- 25 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 21:39:32.91 ID:hq9QdwHhG
- が、それがあるところまで続くとかえって妙に不安になった。
- 26 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 21:51:04.41 ID:hq9QdwHhG
- 仏参に行った家族のものは、まだ帰って来ない。
- 27 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 22:02:35.39 ID:hq9QdwHhG
- うちの中は森としている。
- 28 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 22:14:06.25 ID:hq9QdwHhG
- 彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸った。
- 29 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 22:25:37.03 ID:hq9QdwHhG
- そうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持っている、ある疑問を髣髴した。
- 30 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 22:41:08.62 ID:hq9QdwHhG
- それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿する疑問である。
- 31 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 22:52:43.33 ID:hq9QdwHhG
- 彼は昔から「先王の道」
- 32 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 23:04:14.77 ID:hq9QdwHhG
- 彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」
- 33 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 23:15:45.97 ID:hq9QdwHhG
- だから、そこに矛盾はない。
- 34 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 23:27:16.98 ID:hq9QdwHhG
- が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。
- 35 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 23:38:47.90 ID:hq9QdwHhG
- 従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。
- 36 :以上、自作自演でした。:2018/06/09(土) 23:50:19.16 ID:hq9QdwHhG
- もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。
- 37 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:01:51.31 ID:hA8gJM4Mr
- 実際彼は公衆に向ってこの煮え切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧な態度を隠そうとしたこともある。
- 38 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:13:23.25 ID:hA8gJM4Mr
- しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。
- 39 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:24:54.24 ID:hA8gJM4Mr
- 彼は戯作の価値を否定して「勧懲の具」
- 40 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:36:24.99 ID:hA8gJM4Mr
- と称しながら、常に彼のうちに磅する芸術的感興に遭遇すると、たちまち不安を感じ出した。――
- 41 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:47:56.15 ID:hA8gJM4Mr
- 水滸伝の一節が、たまたま彼の気分の上に、予想外の結果を及ぼしたのにも、実はこんな理由があったのである。
- 42 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 00:59:27.46 ID:hA8gJM4Mr
- この点において、思想的に臆病だった馬琴は、黙然として煙草をふかしながら、強いて思量を、留守にしている家族の方へ押し流そうとした。
- 43 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 01:10:58.31 ID:hA8gJM4Mr
- が、彼の前には水滸伝がある。
- 44 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 01:22:29.12 ID:hA8gJM4Mr
- 不安はそれを中心にして、容易に念頭を離れない。
- 45 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 01:34:00.57 ID:hA8gJM4Mr
- そこへ折よく久しぶりで、崋山渡辺登が尋ねて来た。
- 46 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 01:45:31.95 ID:hA8gJM4Mr
- 袴羽織に紫の風呂敷包みを小脇にしているところでは、これはおおかた借りていた書物でも返しに来たのであろう。
- 47 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 01:57:03.68 ID:hA8gJM4Mr
- 馬琴は喜んで、この親友をわざわざ玄関まで、迎えに出た。
- 48 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 02:08:35.00 ID:hA8gJM4Mr
- 「今日は拝借した書物を御返却かたがた、お目にかけたいものがあって、参上しました。」
- 49 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 02:20:07.07 ID:hA8gJM4Mr
- 崋山は書斎に通ると、はたしてこう言った。
- 50 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 02:31:37.88 ID:hA8gJM4Mr
- 見れば風呂敷包みのほかにも紙に巻いた絵絹らしいものを持っている。
- 51 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 02:43:08.87 ID:hA8gJM4Mr
- 「お暇なら一つ御覧を願いましょうかな。」
- 52 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 02:54:41.69 ID:hA8gJM4Mr
- 「おお、さっそく、拝見しましょう。」
- 53 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 03:06:12.67 ID:hA8gJM4Mr
- 崋山はある興奮に似た感情を隠すように、ややわざとらしく微笑しながら、紙の中の絵絹をひらいて見せた。
- 54 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 03:17:44.68 ID:hA8gJM4Mr
- 絵は蕭索とした裸の樹を、遠近と疎に描いて、その中に掌をうって談笑する二人の男を立たせている。
- 55 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 03:29:15.79 ID:hA8gJM4Mr
- 林間に散っている黄葉と、林梢に群がっている乱鴉と、――
- 56 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 03:40:46.92 ID:hA8gJM4Mr
- 画面のどこを眺めても、うそ寒い秋の気が動いていないところはない。
- 57 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 03:52:19.15 ID:hA8gJM4Mr
- 馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得に落ちると、次第にやさしい潤いを帯びて輝き出した。
- 58 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 04:03:50.19 ID:hA8gJM4Mr
- 「いつもながら、結構なお出来ですな。
- 59 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 04:15:20.90 ID:hA8gJM4Mr
- 私は王摩詰を思い出します。
- 60 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 04:26:51.99 ID:hA8gJM4Mr
- 食随二鳴磬一巣烏下、行踏二空林一落葉声というところでしょう。」
- 61 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 04:38:22.89 ID:hA8gJM4Mr
- 「これは昨日描き上げたのですが、私には気に入ったから、御老人さえよければ差し上げようと思って持って来ました。」
- 62 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 15:59:53.34 ID:CvhfHOC3Y
- 「とにかく、それよりほかはないようですな。」
- 63 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:00:29.55 ID:CvhfHOC3Y
- 「とにかく、それよりほかはないようですな。」
- 64 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:11:25.00 ID:CvhfHOC3Y
- 「そこでまた、御同様に討死ですか。」
- 65 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:22:55.53 ID:CvhfHOC3Y
- 今度は二人とも笑わなかった。
- 66 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:34:26.08 ID:CvhfHOC3Y
- 笑わなかったばかりではない。
- 67 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:45:56.65 ID:CvhfHOC3Y
- 馬琴はちょいと顔をかたくして、崋山を見た。
- 68 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 16:57:27.22 ID:CvhfHOC3Y
- それほど崋山のこの冗談のような語には、妙な鋭さがあったのである。
- 69 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 17:08:57.77 ID:CvhfHOC3Y
- 「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。
- 70 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 17:20:28.82 ID:CvhfHOC3Y
- 討死はいつでも出来ますからな。」
- 71 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 17:31:59.38 ID:CvhfHOC3Y
- ほどを経て、馬琴がこう言った。
- 72 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 17:43:29.94 ID:CvhfHOC3Y
- 崋山の政治上の意見を知っている彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。
- 73 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 17:55:00.58 ID:CvhfHOC3Y
- が、崋山は微笑したぎり、それには答えようともしなかった。
- 74 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 18:06:31.05 ID:CvhfHOC3Y
- 崋山が帰ったあとで、馬琴はまだ残っている興奮を力に、八犬伝の稿をつぐべく、いつものように机へ向った。
- 75 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 18:18:02.64 ID:CvhfHOC3Y
- 先を書きつづける前に、昨日書いたところを一通り読み返すのが、彼の昔からの習慣である。
- 76 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 18:29:33.38 ID:CvhfHOC3Y
- そこで彼は今日も、細い行の間へべた一面に朱を入れた、何枚かの原稿を、気をつけてゆっくり読み返した。
- 77 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 18:41:03.92 ID:CvhfHOC3Y
- すると、なぜか書いてあることが、自分の心もちとぴったり来ない。
- 78 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 18:52:34.45 ID:CvhfHOC3Y
- 字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。
- 79 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 19:04:05.02 ID:CvhfHOC3Y
- 彼は最初それを、彼の癇がたかぶっているからだと解釈した。
- 80 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 19:15:35.58 ID:CvhfHOC3Y
- 「今の己の心もちが悪いのだ。
- 81 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 19:27:06.26 ID:CvhfHOC3Y
- 書いてあることは、どうにか書き切れるところまで、書き切っているはずだから。」
- 82 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 19:38:36.97 ID:CvhfHOC3Y
- そう思って、彼はもう一度読み返した。
- 83 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 19:50:07.59 ID:CvhfHOC3Y
- が、調子の狂っていることは前と一向変りはない。
- 84 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:01:39.75 ID:CvhfHOC3Y
- 彼は老人とは思われないほど、心の中で狼狽し出した。
- 85 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:13:10.30 ID:CvhfHOC3Y
- 「このもう一つ前はどうだろう。」
- 86 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:24:41.82 ID:CvhfHOC3Y
- 彼はその前に書いたところへ眼を通した。
- 87 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:36:12.35 ID:CvhfHOC3Y
- すると、これもまたいたずらに粗雑な文句ばかりが、糅然としてちらかっている。
- 88 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:47:45.87 ID:CvhfHOC3Y
- 彼はさらにその前を読んだ。
- 89 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 20:59:16.49 ID:CvhfHOC3Y
- そうしてまたその前の前を読んだ。
- 90 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 21:10:47.13 ID:CvhfHOC3Y
- しかし読むに従って拙劣な布置と乱脈な文章とは、次第に眼の前に展開して来る。
- 91 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 21:22:19.31 ID:CvhfHOC3Y
- そこには何らの映像をも与えない叙景があった。
- 92 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 21:33:49.93 ID:CvhfHOC3Y
- 何らの感激をも含まない詠歎があった。
- 93 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 21:45:20.78 ID:CvhfHOC3Y
- そうしてまた、何らの理路をたどらない論弁があった。
- 94 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 21:56:51.60 ID:CvhfHOC3Y
- 彼が数日を費やして書き上げた何回分かの原稿は、今の彼の眼から見ると、ことごとく無用の饒舌としか思われない。
- 95 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 22:08:22.25 ID:CvhfHOC3Y
- 彼は急に、心を刺されるような苦痛を感じた。
- 96 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 22:19:52.92 ID:CvhfHOC3Y
- 「これは始めから、書き直すよりほかはない。」
- 97 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 22:31:24.48 ID:CvhfHOC3Y
- 彼は心の中でこう叫びながら、いまいましそうに原稿を向うへつきやると、片肘ついてごろりと横になった。
- 98 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 22:42:55.03 ID:CvhfHOC3Y
- が、それでもまだ気になるのか、眼は机の上を離れない。
- 99 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 22:54:25.87 ID:CvhfHOC3Y
- 彼はこの机の上で、弓張月を書き、南柯夢を書き、そうして今は八犬伝を書いた。
- 100 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 23:05:56.58 ID:CvhfHOC3Y
- この上にある端渓の硯、蹲の文鎮、蟇の形をした銅の水差し、獅子と牡丹とを浮かせた青磁の硯屏、それから蘭を刻んだ孟宗の根竹の筆立て――
- 101 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 23:17:27.28 ID:CvhfHOC3Y
- そういう一切の文房具は、皆彼の創作の苦しみに、久しい以前から親んでいる。
- 102 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 23:28:57.85 ID:CvhfHOC3Y
- それらの物を見るにつけても、彼はおのずから今の失敗が、彼の一生の労作に、暗い影を投げるような――
- 103 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 23:40:28.39 ID:CvhfHOC3Y
- 彼自身の実力が根本的に怪しいような、いまわしい不安を禁じることが出来ない。
- 104 :以上、自作自演でした。:2018/06/10(日) 23:51:58.95 ID:CvhfHOC3Y
- 「自分はさっきまで、本朝に比倫を絶した大作を書くつもりでいた。
- 105 :以上、自作自演でした。:2018/06/11(月) 00:03:29.82 ID:wo4miEqQz
- が、それもやはり事によると、人なみに己惚れの一つだったかも知れない。」
- 106 :以上、自作自演でした。:2018/06/11(月) 00:15:00.67 ID:wo4miEqQz
- こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫たる孤独の情をもたらした。
- 107 :以上、自作自演でした。:2018/06/11(月) 00:26:31.41 ID:wo4miEqQz
- 彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜であることを忘れるものではない。
- 108 :以上、自作自演でした。:2018/06/11(月) 00:38:02.96 ID:wo4miEqQz
- が、それだけにまた、同時代の屑々たる作者輩に対しては、傲慢であるとともにあくまでも不遜である。
- 109 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 21:14:24.61 ID:nUP/0HyZP
- 「とにかく、それよりほかはないようですな。」
- 110 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 21:38:25.60 ID:nUP/0HyZP
- 「とにかく、それよりほかはないようですな。」
- 111 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 21:49:57.10 ID:nUP/0HyZP
- 「そこでまた、御同様に討死ですか。」
- 112 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:01:27.70 ID:nUP/0HyZP
- 今度は二人とも笑わなかった。
- 113 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:12:59.44 ID:nUP/0HyZP
- 笑わなかったばかりではない。
- 114 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:24:30.37 ID:nUP/0HyZP
- 馬琴はちょいと顔をかたくして、崋山を見た。
- 115 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:36:02.09 ID:nUP/0HyZP
- それほど崋山のこの冗談のような語には、妙な鋭さがあったのである。
- 116 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:47:32.93 ID:nUP/0HyZP
- 「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。
- 117 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 22:59:07.03 ID:nUP/0HyZP
- 討死はいつでも出来ますからな。」
- 118 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 23:10:37.96 ID:nUP/0HyZP
- ほどを経て、馬琴がこう言った。
- 119 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 23:22:08.80 ID:nUP/0HyZP
- 崋山の政治上の意見を知っている彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。
- 120 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 23:33:39.34 ID:nUP/0HyZP
- が、崋山は微笑したぎり、それには答えようともしなかった。
- 121 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 23:45:11.69 ID:nUP/0HyZP
- 崋山が帰ったあとで、馬琴はまだ残っている興奮を力に、八犬伝の稿をつぐべく、いつものように机へ向った。
- 122 :以上、自作自演でした。:2018/06/13(水) 23:56:44.15 ID:nUP/0HyZP
- 先を書きつづける前に、昨日書いたところを一通り読み返すのが、彼の昔からの習慣である。
- 123 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 00:08:14.66 ID:ZFQA90+7f
- そこで彼は今日も、細い行の間へべた一面に朱を入れた、何枚かの原稿を、気をつけてゆっくり読み返した。
- 124 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 00:19:45.16 ID:ZFQA90+7f
- すると、なぜか書いてあることが、自分の心もちとぴったり来ない。
- 125 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 00:31:15.69 ID:ZFQA90+7f
- 字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。
- 126 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 00:42:47.64 ID:ZFQA90+7f
- 彼は最初それを、彼の癇がたかぶっているからだと解釈した。
- 127 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 00:54:18.28 ID:ZFQA90+7f
- 「今の己の心もちが悪いのだ。
- 128 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 01:05:48.86 ID:ZFQA90+7f
- 書いてあることは、どうにか書き切れるところまで、書き切っているはずだから。」
- 129 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 01:17:22.12 ID:ZFQA90+7f
- そう思って、彼はもう一度読み返した。
- 130 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 01:28:53.58 ID:ZFQA90+7f
- が、調子の狂っていることは前と一向変りはない。
- 131 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 01:40:24.17 ID:ZFQA90+7f
- 彼は老人とは思われないほど、心の中で狼狽し出した。
- 132 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 01:51:54.73 ID:ZFQA90+7f
- 「このもう一つ前はどうだろう。」
- 133 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 02:03:25.56 ID:ZFQA90+7f
- 彼はその前に書いたところへ眼を通した。
- 134 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 02:14:56.16 ID:ZFQA90+7f
- すると、これもまたいたずらに粗雑な文句ばかりが、糅然としてちらかっている。
- 135 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 02:26:26.77 ID:ZFQA90+7f
- 彼はさらにその前を読んだ。
- 136 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 02:37:58.52 ID:ZFQA90+7f
- そうしてまたその前の前を読んだ。
- 137 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 02:49:29.15 ID:ZFQA90+7f
- しかし読むに従って拙劣な布置と乱脈な文章とは、次第に眼の前に展開して来る。
- 138 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:00:59.78 ID:ZFQA90+7f
- そこには何らの映像をも与えない叙景があった。
- 139 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:12:30.29 ID:ZFQA90+7f
- 何らの感激をも含まない詠歎があった。
- 140 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:24:01.18 ID:ZFQA90+7f
- そうしてまた、何らの理路をたどらない論弁があった。
- 141 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:35:31.82 ID:ZFQA90+7f
- 彼が数日を費やして書き上げた何回分かの原稿は、今の彼の眼から見ると、ことごとく無用の饒舌としか思われない。
- 142 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:47:04.37 ID:ZFQA90+7f
- 彼は急に、心を刺されるような苦痛を感じた。
- 143 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 03:58:34.94 ID:ZFQA90+7f
- 「これは始めから、書き直すよりほかはない。」
- 144 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 04:10:05.57 ID:ZFQA90+7f
- 彼は心の中でこう叫びながら、いまいましそうに原稿を向うへつきやると、片肘ついてごろりと横になった。
- 145 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 04:21:36.13 ID:ZFQA90+7f
- が、それでもまだ気になるのか、眼は机の上を離れない。
- 146 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 04:33:06.75 ID:ZFQA90+7f
- 彼はこの机の上で、弓張月を書き、南柯夢を書き、そうして今は八犬伝を書いた。
- 147 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 04:44:37.69 ID:ZFQA90+7f
- この上にある端渓の硯、蹲の文鎮、蟇の形をした銅の水差し、獅子と牡丹とを浮かせた青磁の硯屏、それから蘭を刻んだ孟宗の根竹の筆立て――
- 148 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 04:56:08.29 ID:ZFQA90+7f
- そういう一切の文房具は、皆彼の創作の苦しみに、久しい以前から親んでいる。
- 149 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 05:07:38.93 ID:ZFQA90+7f
- それらの物を見るにつけても、彼はおのずから今の失敗が、彼の一生の労作に、暗い影を投げるような――
- 150 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 05:19:09.47 ID:ZFQA90+7f
- 彼自身の実力が根本的に怪しいような、いまわしい不安を禁じることが出来ない。
- 151 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 05:30:42.94 ID:ZFQA90+7f
- 「自分はさっきまで、本朝に比倫を絶した大作を書くつもりでいた。
- 152 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 05:42:13.45 ID:ZFQA90+7f
- が、それもやはり事によると、人なみに己惚れの一つだったかも知れない。」
- 153 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 05:53:44.74 ID:ZFQA90+7f
- こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫たる孤独の情をもたらした。
- 154 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 06:05:15.51 ID:ZFQA90+7f
- 彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜であることを忘れるものではない。
- 155 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 06:16:46.20 ID:ZFQA90+7f
- が、それだけにまた、同時代の屑々たる作者輩に対しては、傲慢であるとともにあくまでも不遜である。
- 156 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 06:28:16.88 ID:ZFQA90+7f
- その彼が、結局自分も彼らと同じ能力の所有者だったということを、そうしてさらに厭うべき遼東の豕だったということは、どうしてやすやすと認められよう。
- 157 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 11:31:02.16 ID:6D55TswKt
- と同時にまた、主人と客とは、ひとしくこの寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。
- 158 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 11:42:48.25 ID:6D55TswKt
- 「しかし絵の方は羨ましいようですな。
- 159 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 11:54:33.82 ID:6D55TswKt
- 公儀のお咎めを受けるなどということがないのはなによりも結構です。」
- 160 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 12:06:19.55 ID:6D55TswKt
- 今度は馬琴が、話頭を一転した。
- 161 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 12:18:05.14 ID:6D55TswKt
- 御老人の書かれるものも、そういう心配はありますまい。」
- 162 :以上、自作自演でした。:2018/06/14(木) 12:29:50.74 ID:6D55TswKt
- 「いや、大いにありますよ。」
- 163 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 14:17:48.39 ID:E/JW+DV2g
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 164 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 14:29:49.04 ID:E/JW+DV2g
- これ等は今日でも僕の愛読書である。
- 165 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 14:41:49.51 ID:E/JW+DV2g
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 166 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 14:53:50.00 ID:E/JW+DV2g
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 167 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 15:05:51.41 ID:E/JW+DV2g
- なども到底この「西遊記」
- 168 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 15:17:52.89 ID:E/JW+DV2g
- も愛読書の一つである。
- 169 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 15:29:53.61 ID:E/JW+DV2g
- これも今以て愛読してゐる。
- 170 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 15:41:54.17 ID:E/JW+DV2g
- の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。
- 171 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 15:53:54.73 ID:E/JW+DV2g
- その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」
- 172 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 16:05:56.16 ID:E/JW+DV2g
- だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
- 173 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 16:17:56.72 ID:E/JW+DV2g
- 中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」
- 174 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 16:29:57.30 ID:E/JW+DV2g
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 175 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 16:41:57.86 ID:E/JW+DV2g
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 176 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 16:53:58.35 ID:E/JW+DV2g
- だから人の事は笑へない。
- 177 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 18:06:30.60 ID:E/JW+DV2g
- の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」
- 178 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 18:18:31.21 ID:E/JW+DV2g
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 179 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 18:30:31.72 ID:E/JW+DV2g
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 180 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 18:42:32.27 ID:E/JW+DV2g
- ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。
- 181 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 18:54:32.90 ID:E/JW+DV2g
- ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。
- 182 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 19:06:34.81 ID:E/JW+DV2g
- その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。
- 183 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 19:18:35.44 ID:E/JW+DV2g
- これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」
- 184 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 19:30:36.07 ID:E/JW+DV2g
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 185 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 19:42:37.08 ID:E/JW+DV2g
- さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。
- 186 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 19:54:37.73 ID:E/JW+DV2g
- 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。
- 187 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 20:06:39.22 ID:E/JW+DV2g
- スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。
- 188 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 20:18:40.23 ID:E/JW+DV2g
- 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」
- 189 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 20:30:40.83 ID:E/JW+DV2g
- を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。
- 190 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 20:42:41.50 ID:E/JW+DV2g
- あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」
- 191 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 20:54:42.07 ID:E/JW+DV2g
- を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。
- 192 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 22:07:14.68 ID:E/JW+DV2g
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 193 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 22:19:15.78 ID:E/JW+DV2g
- 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。
- 194 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 22:31:16.41 ID:E/JW+DV2g
- 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。
- 195 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 22:43:17.24 ID:E/JW+DV2g
- が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
- 196 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 22:55:17.86 ID:E/JW+DV2g
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 197 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 23:07:19.28 ID:E/JW+DV2g
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 198 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 23:19:20.22 ID:E/JW+DV2g
- 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
- 199 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 23:31:23.83 ID:E/JW+DV2g
- 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。
- 200 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 23:43:24.48 ID:E/JW+DV2g
- それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。
- 201 :以上、自作自演でした。:2018/06/18(月) 23:55:25.10 ID:E/JW+DV2g
- 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。
- 202 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 00:07:27.25 ID:QwrxkLWYP
- さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。
- 203 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 00:19:28.23 ID:QwrxkLWYP
- かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。
- 204 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 00:31:28.95 ID:QwrxkLWYP
- が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
- 205 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 00:43:29.54 ID:QwrxkLWYP
- だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。
- 206 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 00:55:30.11 ID:QwrxkLWYP
- 尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。
- 207 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 02:08:03.00 ID:QwrxkLWYP
- 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。
- 208 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 02:20:04.46 ID:QwrxkLWYP
- が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。
- 209 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 02:32:07.81 ID:QwrxkLWYP
- それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。
- 210 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 02:44:08.34 ID:QwrxkLWYP
- 信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。
- 211 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 15:30:32.97 ID:L4DrPzocr
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 212 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 15:42:48.95 ID:L4DrPzocr
- これ等は今日でも僕の愛読書である。
- 213 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 15:55:04.60 ID:L4DrPzocr
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 214 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 16:07:20.16 ID:L4DrPzocr
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 215 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 16:19:35.77 ID:L4DrPzocr
- なども到底この「西遊記」
- 216 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 16:31:51.49 ID:L4DrPzocr
- も愛読書の一つである。
- 217 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 16:44:07.03 ID:L4DrPzocr
- これも今以て愛読してゐる。
- 218 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 16:56:22.70 ID:L4DrPzocr
- の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。
- 219 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 17:08:38.51 ID:L4DrPzocr
- その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」
- 220 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 17:20:54.11 ID:L4DrPzocr
- だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
- 221 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 17:33:11.37 ID:L4DrPzocr
- 中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」
- 222 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 17:45:27.09 ID:L4DrPzocr
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 223 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 17:57:42.89 ID:L4DrPzocr
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 224 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 18:09:58.56 ID:L4DrPzocr
- だから人の事は笑へない。
- 225 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 18:22:14.15 ID:L4DrPzocr
- の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」
- 226 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 18:34:29.97 ID:L4DrPzocr
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 227 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 18:46:45.84 ID:L4DrPzocr
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 228 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 18:59:01.51 ID:L4DrPzocr
- ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。
- 229 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 19:11:17.18 ID:L4DrPzocr
- ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。
- 230 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 19:23:37.18 ID:L4DrPzocr
- その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。
- 231 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 19:35:54.11 ID:L4DrPzocr
- これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」
- 232 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 19:48:10.03 ID:L4DrPzocr
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 233 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 20:00:25.81 ID:L4DrPzocr
- さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。
- 234 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 20:12:41.51 ID:L4DrPzocr
- 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。
- 235 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 20:24:57.25 ID:L4DrPzocr
- スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。
- 236 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 20:37:13.65 ID:L4DrPzocr
- 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」
- 237 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 20:49:29.87 ID:L4DrPzocr
- を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。
- 238 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 21:01:45.69 ID:L4DrPzocr
- あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」
- 239 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 21:14:01.52 ID:L4DrPzocr
- を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。
- 240 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 21:26:17.20 ID:L4DrPzocr
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 241 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 21:38:32.91 ID:L4DrPzocr
- 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。
- 242 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 21:50:48.89 ID:L4DrPzocr
- 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。
- 243 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 22:03:04.58 ID:L4DrPzocr
- が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
- 244 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 22:15:21.17 ID:L4DrPzocr
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 245 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 22:27:37.44 ID:L4DrPzocr
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 246 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 22:39:53.25 ID:L4DrPzocr
- 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
- 247 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 22:52:08.91 ID:L4DrPzocr
- 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。
- 248 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 23:04:24.65 ID:L4DrPzocr
- それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。
- 249 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 23:16:40.42 ID:L4DrPzocr
- 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。
- 250 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 23:28:56.30 ID:L4DrPzocr
- さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。
- 251 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 23:41:12.05 ID:L4DrPzocr
- かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。
- 252 :以上、自作自演でした。:2018/06/19(火) 23:53:29.76 ID:L4DrPzocr
- が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
- 253 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 00:05:52.04 ID:DxHQStlJF
- だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。
- 254 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 00:18:07.85 ID:DxHQStlJF
- 尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。
- 255 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 00:30:23.65 ID:DxHQStlJF
- 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。
- 256 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 00:42:39.31 ID:DxHQStlJF
- が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。
- 257 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 00:54:55.30 ID:DxHQStlJF
- それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。
- 258 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 01:07:11.04 ID:DxHQStlJF
- 信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。
- 259 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 09:53:42.48 ID:XuOJAaepv
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 260 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 10:31:15.12 ID:XuOJAaepv
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 261 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 10:43:45.78 ID:XuOJAaepv
- なども到底この「西遊記」
- 262 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 10:56:16.46 ID:XuOJAaepv
- も愛読書の一つである。
- 263 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 11:08:47.56 ID:XuOJAaepv
- これも今以て愛読してゐる。
- 264 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 12:11:19.30 ID:XuOJAaepv
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 265 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 12:23:50.57 ID:XuOJAaepv
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 266 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 12:36:21.57 ID:XuOJAaepv
- だから人の事は笑へない。
- 267 :以上、自作自演でした。:2018/06/20(水) 14:16:27.74 ID:XuOJAaepv
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 268 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 06:05:56.09 ID:6LySrENNG
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 269 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 09:01:07.26 ID:6LySrENNG
- その癖まづ照子を忘れるものは、何時も信子自身であつた。
- 270 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 09:13:38.47 ID:6LySrENNG
- 俊吉はすべてに無頓着なのか、不相変気の利いた冗談ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。……
- 271 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 09:26:09.18 ID:6LySrENNG
- 信子と従兄との間がらは、勿論誰の眼に見ても、来るべき彼等の結婚を予想させるのに十分であつた。
- 272 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 09:38:39.83 ID:6LySrENNG
- 同窓たちは彼女の未来をてんでに羨んだり妬んだりした。
- 273 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 09:51:10.43 ID:6LySrENNG
- 殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、)
- 274 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 10:03:41.10 ID:6LySrENNG
- 一層これが甚しかつた。
- 275 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 10:16:12.12 ID:6LySrENNG
- 信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に仄かせたりした。
- 276 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 10:28:42.85 ID:6LySrENNG
- 従つて同窓たちの頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如く、一しよにはつきり焼きつけられてゐた。
- 277 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 10:41:13.69 ID:6LySrENNG
- 所が学校を卒業すると、信子は彼等の予期に反して、大阪の或商事会社へ近頃勤務する事になつた、高商出身の青年と、突然結婚してしまつた。
- 278 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 10:53:44.34 ID:6LySrENNG
- さうして式後二三日してから、新夫と一しよに勤め先きの大阪へ向けて立つてしまつた。
- 279 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 11:06:14.97 ID:6LySrENNG
- その時中央停車場へ見送りに行つたものの話によると、信子は何時もと変りなく、晴れ晴れした微笑を浮べながら、ともすれば涙を落し勝ちな妹の照子をいろいろと慰めてゐたと云ふ事であつた。
- 280 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 11:18:46.06 ID:6LySrENNG
- 同窓たちは皆不思議がつた。
- 281 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 11:31:16.72 ID:6LySrENNG
- その不思議がる心の中には、妙に嬉しい感情と、前とは全然違つた意味で妬ましい感情とが交つてゐた。
- 282 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 11:43:47.40 ID:6LySrENNG
- 或者は彼女を信頼して、すべてを母親の意志に帰した。
- 283 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 11:56:16.40 ID:6LySrENNG
- 又或ものは彼女を疑つて、心がはりがしたとも云ひふらした。
- 284 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 12:08:47.11 ID:6LySrENNG
- が、それらの解釈が結局想像に過ぎない事は、彼等自身さへ知らない訳ではなかつた。
- 285 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 12:21:18.20 ID:6LySrENNG
- 彼女はなぜ俊吉と結婚しなかつたか?
- 286 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 12:33:48.94 ID:6LySrENNG
- 彼等はその後暫くの間、よるとさはると重大らしく、必この疑問を話題にした。
- 287 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 12:46:19.64 ID:6LySrENNG
- さうして彼是二月ばかり経つと――
- 288 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 12:58:51.10 ID:6LySrENNG
- 全く信子を忘れてしまつた。
- 289 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 13:11:21.77 ID:6LySrENNG
- 勿論彼女が書く筈だつた長篇小説の噂なぞも。
- 290 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 13:23:52.49 ID:6LySrENNG
- 信子はその間に大阪の郊外へ、幸福なるべき新家庭をつくつた。
- 291 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 13:36:23.16 ID:6LySrENNG
- 彼等の家はその界隈でも最も閑静な松林にあつた。
- 292 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 13:48:54.01 ID:6LySrENNG
- 松脂の匂と日の光と、――
- 293 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 14:01:24.61 ID:6LySrENNG
- それが何時でも夫の留守は、二階建の新しい借家の中に、活き活きした沈黙を領してゐた。
- 294 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 14:13:55.27 ID:6LySrENNG
- 信子はさう云ふ寂しい午後、時々理由もなく気が沈むと、きつと針箱の引出しを開けては、その底に畳んでしまつてある桃色の書簡箋をひろげて見た、書簡箋の上にはこんな事が、細々とペンで書いてあつた。
- 295 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 14:26:26.32 ID:6LySrENNG
- もう今日かぎり御姉様と御一しよにゐる事が出来ないと思ふと、これを書いてゐる間でさへ、止め度なく涙が溢れて来ます。
- 296 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 14:38:57.19 ID:6LySrENNG
- どうか、どうか私を御赦し下さい。
- 297 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 14:51:27.93 ID:6LySrENNG
- 照子は勿体ない御姉様の犠牲の前に、何と申し上げて好いかもわからずに居ります。
- 298 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 15:03:58.67 ID:6LySrENNG
- 「御姉様は私の為に、今度の御縁談を御きめになりました。
- 299 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 17:49:28.40 ID:40mVVSkD6
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 300 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 18:02:14.36 ID:40mVVSkD6
- これ等は今日でも僕の愛読書である。
- 301 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 18:15:00.05 ID:40mVVSkD6
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 302 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 18:27:45.60 ID:40mVVSkD6
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 303 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 18:40:31.11 ID:40mVVSkD6
- なども到底この「西遊記」
- 304 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 18:53:18.14 ID:40mVVSkD6
- も愛読書の一つである。
- 305 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 19:06:04.63 ID:40mVVSkD6
- これも今以て愛読してゐる。
- 306 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 19:18:50.12 ID:40mVVSkD6
- の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。
- 307 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 19:31:35.79 ID:40mVVSkD6
- その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」
- 308 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 19:44:21.33 ID:40mVVSkD6
- だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
- 309 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 19:57:07.85 ID:40mVVSkD6
- 中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」
- 310 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 20:09:53.94 ID:40mVVSkD6
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 311 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 20:22:39.93 ID:40mVVSkD6
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 312 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 20:35:25.49 ID:40mVVSkD6
- だから人の事は笑へない。
- 313 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 20:48:13.13 ID:40mVVSkD6
- の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」
- 314 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 21:00:59.55 ID:40mVVSkD6
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 315 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 21:13:46.97 ID:40mVVSkD6
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 316 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 21:26:32.91 ID:40mVVSkD6
- ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。
- 317 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 21:39:18.50 ID:40mVVSkD6
- ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。
- 318 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 21:52:04.07 ID:40mVVSkD6
- その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。
- 319 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 22:04:50.71 ID:40mVVSkD6
- これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」
- 320 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 22:17:36.27 ID:40mVVSkD6
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 321 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 22:30:22.26 ID:40mVVSkD6
- さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。
- 322 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 22:43:07.88 ID:40mVVSkD6
- 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。
- 323 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 22:55:53.74 ID:40mVVSkD6
- スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。
- 324 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 23:08:40.05 ID:40mVVSkD6
- 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」
- 325 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 23:21:25.69 ID:40mVVSkD6
- を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。
- 326 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 23:34:11.81 ID:40mVVSkD6
- あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」
- 327 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 23:46:57.85 ID:40mVVSkD6
- を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。
- 328 :以上、自作自演でした。:2018/06/21(木) 23:59:43.38 ID:40mVVSkD6
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 329 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 00:12:30.29 ID:PoRHzzcvU
- 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。
- 330 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 00:25:17.76 ID:PoRHzzcvU
- 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。
- 331 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 00:38:04.15 ID:PoRHzzcvU
- が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
- 332 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 00:50:50.41 ID:PoRHzzcvU
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 333 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 01:03:38.83 ID:PoRHzzcvU
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 334 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 01:16:25.61 ID:PoRHzzcvU
- 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
- 335 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 01:29:11.61 ID:PoRHzzcvU
- 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。
- 336 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 01:41:57.14 ID:PoRHzzcvU
- それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。
- 337 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 01:54:42.92 ID:PoRHzzcvU
- 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。
- 338 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 02:07:29.83 ID:PoRHzzcvU
- さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。
- 339 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 02:20:16.31 ID:PoRHzzcvU
- かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。
- 340 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 02:33:01.88 ID:PoRHzzcvU
- が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
- 341 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 02:45:48.33 ID:PoRHzzcvU
- だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。
- 342 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 02:58:33.95 ID:PoRHzzcvU
- 尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。
- 343 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 03:11:19.58 ID:PoRHzzcvU
- 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。
- 344 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 03:24:06.51 ID:PoRHzzcvU
- が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。
- 345 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 03:36:52.58 ID:PoRHzzcvU
- それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。
- 346 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 03:49:38.48 ID:PoRHzzcvU
- 信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。
- 347 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 08:11:36.54 ID:BMn99Ri9Z
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 348 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 08:37:38.22 ID:BMn99Ri9Z
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 349 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 08:50:38.82 ID:BMn99Ri9Z
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 350 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 09:03:39.45 ID:BMn99Ri9Z
- なども到底この「西遊記」
- 351 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 09:16:40.33 ID:BMn99Ri9Z
- も愛読書の一つである。
- 352 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 09:29:40.91 ID:BMn99Ri9Z
- これも今以て愛読してゐる。
- 353 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 10:34:44.18 ID:BMn99Ri9Z
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 354 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 10:47:44.86 ID:BMn99Ri9Z
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 355 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 11:00:45.42 ID:BMn99Ri9Z
- だから人の事は笑へない。
- 356 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 11:26:47.42 ID:BMn99Ri9Z
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 357 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 11:39:48.01 ID:BMn99Ri9Z
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 358 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 12:44:50.28 ID:BMn99Ri9Z
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 359 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 14:28:57.37 ID:BMn99Ri9Z
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 360 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 15:21:00.15 ID:BMn99Ri9Z
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 361 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 15:34:00.88 ID:BMn99Ri9Z
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 362 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 15:56:45.10 ID:1EOaQDshx
- もう一度父親らしい後ろ姿。
- 363 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 16:09:46.75 ID:1EOaQDshx
- 少年はこの男に追いついて恐る恐るその顔を見上げる。
- 364 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 16:22:47.72 ID:1EOaQDshx
- 彼等の向うには仁王門。
- 365 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 16:35:48.80 ID:1EOaQDshx
- この男の前を向いた顔。
- 366 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 16:48:49.47 ID:1EOaQDshx
- 彼は、マスクに口を蔽った、人間よりも、動物に近い顔をしている。
- 367 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 17:01:50.37 ID:1EOaQDshx
- 何か悪意の感ぜられる微笑。
- 368 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 17:14:51.02 ID:1EOaQDshx
- 少年はこの男を見送ったまま、途方に暮れたように佇んでいる。
- 369 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 17:27:51.76 ID:1EOaQDshx
- 父親の姿はどちらを眺めても、生憎目にははいらないらしい。
- 370 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 17:40:52.38 ID:1EOaQDshx
- 少年はちょっと考えた後、当どもなしに歩きはじめる。
- 371 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 17:53:53.04 ID:1EOaQDshx
- いずれも洋装をした少女が二人、彼をふり返ったのも知らないように。
- 372 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 18:06:54.23 ID:1EOaQDshx
- 近眼鏡、遠眼鏡、双眼鏡、廓大鏡、顕微鏡、塵除け目金などの並んだ中に西洋人の人形の首が一つ、目金をかけて頬笑んでいる。
- 373 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 18:19:54.95 ID:1EOaQDshx
- その窓の前に佇んだ少年の後姿。
- 374 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 18:32:55.60 ID:1EOaQDshx
- ただし斜めに後ろから見た上半身。
- 375 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 18:45:56.33 ID:1EOaQDshx
- 人形の首はおのずから人間の首に変ってしまう。
- 376 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 18:58:57.02 ID:1EOaQDshx
- のみならずこう少年に話しかける。――
- 377 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 19:11:58.51 ID:1EOaQDshx
- 「目金を買っておかけなさい。
- 378 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 19:24:59.33 ID:1EOaQDshx
- お父さんを見付るには目金をかけるのに限りますからね。」
- 379 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 19:38:00.26 ID:1EOaQDshx
- 「僕の目は病気ではないよ。」
- 380 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 19:51:00.93 ID:1EOaQDshx
- 斜めに見た造花屋の飾り窓。
- 381 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 20:04:01.89 ID:1EOaQDshx
- 造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いている。
- 382 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 20:17:03.00 ID:1EOaQDshx
- 中でも一番大きいのは左にある鬼百合の花。
- 383 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 20:30:05.70 ID:1EOaQDshx
- 飾り窓の板硝子は少年の上半身を映しはじめる。
- 384 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 20:43:06.46 ID:1EOaQDshx
- 何か幽霊のようにぼんやりと。
- 385 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 20:56:11.44 ID:1EOaQDshx
- 飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。
- 386 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 21:09:12.42 ID:1EOaQDshx
- 少年は板硝子に手を当てている。
- 387 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 21:22:13.54 ID:1EOaQDshx
- そのうちに息の当るせいか、顔だけぼんやりと曇ってしまう。
- 388 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 21:35:14.58 ID:1EOaQDshx
- 飾り窓の中の鬼百合の花。
- 389 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 21:48:15.46 ID:1EOaQDshx
- ただし後ろは暗である。
- 390 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 22:01:16.25 ID:1EOaQDshx
- 鬼百合の花の下に垂れている莟もいつか次第に開きはじめる。
- 391 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 22:14:17.37 ID:1EOaQDshx
- 「わたしの美しさを御覧なさい。」
- 392 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 22:27:18.92 ID:1EOaQDshx
- 「だってお前は造花じゃないか?」
- 393 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 22:40:19.81 ID:1EOaQDshx
- 角から見た煙草屋の飾り窓。
- 394 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 22:53:20.48 ID:1EOaQDshx
- 巻煙草の缶、葉巻の箱、パイプなどの並んだ中に斜めに札が一枚懸っている。
- 395 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 23:06:21.45 ID:1EOaQDshx
- この札に書いてあるのは、――
- 396 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 23:19:22.33 ID:1EOaQDshx
- 「煙草の煙は天国の門です。」
- 397 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 23:32:23.40 ID:1EOaQDshx
- 徐ろにパイプから立ち昇る煙。
- 398 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 23:45:24.11 ID:1EOaQDshx
- 煙の満ち充ちた飾り窓の正面。
- 399 :以上、自作自演でした。:2018/06/22(金) 23:58:25.02 ID:1EOaQDshx
- 少年はこの右に佇んでいる。
- 400 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 00:11:29.75 ID:X1Sp+oc27
- ただしこれも膝の上まで。
- 401 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 00:24:30.43 ID:X1Sp+oc27
- 煙の中にはぼんやりと城が三つ浮かびはじめる。
- 402 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 00:37:31.71 ID:X1Sp+oc27
- 城は Three Castles の商標を立体にしたものに近い。
- 403 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 00:50:32.40 ID:X1Sp+oc27
- この城の門には兵卒が一人銃を持って佇んでいる。
- 404 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 01:03:33.19 ID:X1Sp+oc27
- そのまた鉄格子の門の向うには棕櫚が何本もそよいでいる。
- 405 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 01:16:34.28 ID:X1Sp+oc27
- そこには横にいつの間にかこう云う文句が浮かび始める。――
- 406 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 01:29:35.05 ID:X1Sp+oc27
- 「この門に入るものは英雄となるべし。」
- 407 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 01:42:36.37 ID:X1Sp+oc27
- こちらへ歩いて来る少年の姿。
- 408 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 01:55:37.20 ID:X1Sp+oc27
- 前の煙草屋の飾り窓は斜めに少年の後ろに立っている。
- 409 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 02:08:38.03 ID:X1Sp+oc27
- 少年はちょっとふり返って見た後、さっさとまた歩いて行ってしまう。
- 410 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 11:09:22.92 ID:eVpupJ6Gi
- 斜めに見た射撃屋の店。
- 411 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 11:23:23.87 ID:eVpupJ6Gi
- 的は後ろに巻煙草の箱を積み、前に博多人形を並べている。
- 412 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 11:37:24.46 ID:eVpupJ6Gi
- 手前に並んだ空気銃の一列。
- 413 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 11:51:25.10 ID:eVpupJ6Gi
- 人形の一つはドレッスをつけ、扇を持った西洋人の女である。
- 414 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 12:05:25.81 ID:eVpupJ6Gi
- 少年は怯ず怯ずこの店にはいり、空気銃を一つとり上げて全然無分別に的を狙う。
- 415 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 12:19:23.47 ID:eVpupJ6Gi
- 射撃屋の店には誰もいない。
- 416 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 12:33:24.10 ID:eVpupJ6Gi
- 少年の姿は膝の上まで。
- 417 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 12:47:24.84 ID:eVpupJ6Gi
- 人形は静かに扇をひろげ、すっかり顔を隠してしまう。
- 418 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 13:01:25.42 ID:eVpupJ6Gi
- それからこの人形に中るコルクの弾丸。
- 419 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 13:15:26.18 ID:eVpupJ6Gi
- 人形は勿論仰向けに倒れる。
- 420 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 13:29:27.08 ID:eVpupJ6Gi
- 人形の後ろにも暗のあるばかり。
- 421 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 13:43:27.95 ID:eVpupJ6Gi
- 少年はまた空気銃をとり上げ、今度は熱心に的を狙う。
- 422 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 13:57:29.61 ID:eVpupJ6Gi
- 三発、四発、五発、――
- 423 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 14:11:30.45 ID:eVpupJ6Gi
- しかし的は一つも落ちない。
- 424 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 14:25:31.41 ID:eVpupJ6Gi
- 少年は渋ぶ渋ぶ銀貨を出し、店の外へ行ってしまう。
- 425 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 14:39:32.12 ID:eVpupJ6Gi
- 始めはただ薄暗い中に四角いものの見えるばかり。
- 426 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 14:53:32.70 ID:eVpupJ6Gi
- その中にこの四角いものは突然電燈をともしたと見え、横にこう云う字を浮かび上らせる。――
- 427 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 15:07:33.50 ID:eVpupJ6Gi
- 上のは黒い中に白、下のは黒い中に赤である。
- 428 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 15:21:34.10 ID:eVpupJ6Gi
- 火のともった窓が一つ見える。
- 429 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 15:35:34.82 ID:eVpupJ6Gi
- まっ直に雨樋をおろした壁にはいろいろのポスタアの剥がれた痕。
- 430 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 15:49:35.62 ID:eVpupJ6Gi
- 少年はそこに佇んだまま、しばらくはどちらへも行こうとしない。
- 431 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 16:03:36.28 ID:eVpupJ6Gi
- それから高い窓を見上げる。
- 432 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 16:17:36.89 ID:eVpupJ6Gi
- が、窓には誰も見えない。
- 433 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 16:31:37.55 ID:eVpupJ6Gi
- ただ逞しいブルテリアが一匹、少年の足もとを通って行く。
- 434 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 16:45:38.20 ID:eVpupJ6Gi
- 少年の匂を嗅いで見ながら。
- 435 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 16:59:38.97 ID:eVpupJ6Gi
- 火のともった窓には踊り子が一人現れ、冷淡に目の下の往来を眺める。
- 436 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 17:13:39.56 ID:eVpupJ6Gi
- この姿は勿論逆光線のために顔などははっきりとわからない。
- 437 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 17:27:40.52 ID:eVpupJ6Gi
- が、いつか少年に似た、可憐な顔を現してしまう。
- 438 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 17:41:41.16 ID:eVpupJ6Gi
- 踊り子は静かに窓をあけ、小さい花束を下に投げる。
- 439 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 17:55:41.79 ID:eVpupJ6Gi
- 往来に立った少年の足もと。
- 440 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 18:09:42.71 ID:eVpupJ6Gi
- 小さい花束が一つ落ちて来る。
- 441 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 18:23:43.30 ID:eVpupJ6Gi
- 少年の手はこれを拾う。
- 442 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 18:37:43.97 ID:eVpupJ6Gi
- 花束は往来を離れるが早いか、いつか茨の束に変っている。
- 443 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 18:51:44.52 ID:eVpupJ6Gi
- 掲示板は「北の風、晴」
- 444 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 19:05:45.13 ID:eVpupJ6Gi
- と云う字をチョオクに現している。
- 445 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 19:19:45.89 ID:eVpupJ6Gi
- が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。
- 446 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 19:33:46.77 ID:eVpupJ6Gi
- と云う字に変ってしまう。
- 447 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 19:47:47.62 ID:eVpupJ6Gi
- 斜に見た標札屋の露店、天幕の下に並んだ見本は徳川家康、二宮尊徳、渡辺崋山、近藤勇、近松門左衛門などの名を並べている。
- 448 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 20:01:48.47 ID:eVpupJ6Gi
- こう云う名前もいつの間にか有り来りの名前に変ってしまう。
- 449 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 20:15:49.35 ID:eVpupJ6Gi
- のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠……
- 450 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 20:29:50.84 ID:eVpupJ6Gi
- 池の向うに並んだ何軒かの映画館。
- 451 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 20:43:51.49 ID:eVpupJ6Gi
- 池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。
- 452 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 20:57:53.30 ID:eVpupJ6Gi
- 池の左に立った少年の上半身。
- 453 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 21:11:54.15 ID:eVpupJ6Gi
- 少年の帽は咄嗟の間に風のために池へ飛んでしまう。
- 454 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 21:25:55.92 ID:eVpupJ6Gi
- 少年はいろいろあせった後、こちらを向いて歩きはじめる。
- 455 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 21:39:56.92 ID:eVpupJ6Gi
- ほとんど絶望に近い表情。
- 456 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 21:53:58.10 ID:eVpupJ6Gi
- 砂糖の塔、生菓子、麦藁のパイプを入れた曹達水のコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。
- 457 :以上、自作自演でした。:2018/06/23(土) 22:07:59.01 ID:eVpupJ6Gi
- 少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。
- 458 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 00:37:09.90 ID:Zr+W4DVhe
- 夫婦らしい中年の男女が二人硝子戸の中へはいって行く。
- 459 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 00:52:26.03 ID:Zr+W4DVhe
- 女はマントルを着た子供を抱いている。
- 460 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 01:06:42.06 ID:Zr+W4DVhe
- そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。
- 461 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 01:20:57.89 ID:Zr+W4DVhe
- コック部屋の裏には煙突が一本。
- 462 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 01:35:33.90 ID:Zr+W4DVhe
- そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。
- 463 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 01:49:50.60 ID:Zr+W4DVhe
- カンテラを一つともしたまま。……
- 464 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 02:04:06.22 ID:Zr+W4DVhe
- テエブルの前の子供椅子の上に上半身を見せた前の子供。
- 465 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 02:18:21.87 ID:Zr+W4DVhe
- 子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。
- 466 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 02:32:37.49 ID:Zr+W4DVhe
- 子供の後ろには何も見えない。
- 467 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 02:46:53.59 ID:Zr+W4DVhe
- そこへいつか薔薇の花が一つずつ静かに落ちはじめる。
- 468 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 03:01:11.02 ID:Zr+W4DVhe
- 斜めに見える自動計算器。
- 469 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 03:15:26.63 ID:Zr+W4DVhe
- 計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。
- 470 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 03:29:42.85 ID:Zr+W4DVhe
- 勿論女の手に違いない。
- 471 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 03:43:58.50 ID:Zr+W4DVhe
- それから絶えず開かれる抽斗。
- 472 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 03:58:15.13 ID:Zr+W4DVhe
- 抽斗の中は銭ばかりである。
- 473 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 04:12:31.65 ID:Zr+W4DVhe
- 前のカッフェの飾り窓。
- 474 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 04:26:47.24 ID:Zr+W4DVhe
- 少年の姿も変りはない。
- 475 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 04:41:02.87 ID:Zr+W4DVhe
- しばらくの後、少年は徐ろに振り返り、足早にこちらへ歩いて来る。
- 476 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 04:55:18.48 ID:Zr+W4DVhe
- が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。
- 477 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 05:09:36.40 ID:Zr+W4DVhe
- 人だかりのまん中に立った糶り商人。
- 478 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 05:23:52.90 ID:Zr+W4DVhe
- 彼は呉服ものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。
- 479 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 05:38:08.47 ID:Zr+W4DVhe
- 彼の手に持った一本の帯。
- 480 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 05:52:24.73 ID:Zr+W4DVhe
- 帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。
- 481 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 06:06:40.88 ID:Zr+W4DVhe
- 帯の模様は廓大した雪片。
- 482 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 06:20:56.48 ID:Zr+W4DVhe
- 雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。
- 483 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 06:35:13.03 ID:Zr+W4DVhe
- シャツやズボン下を吊った下に婆さんが一人行火に当っている。
- 484 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 06:49:28.71 ID:Zr+W4DVhe
- 婆さんの前にもメリヤス類。
- 485 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 07:03:44.51 ID:Zr+W4DVhe
- 毛糸の編みものも交っていないことはない。
- 486 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 07:18:01.31 ID:Zr+W4DVhe
- 行火の裾には黒猫が一匹時々前足を嘗めている。
- 487 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 07:32:17.30 ID:Zr+W4DVhe
- 行火の裾に坐っている黒猫。
- 488 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 07:46:33.84 ID:Zr+W4DVhe
- 左に少年の下半身も見える。
- 489 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 08:00:49.35 ID:Zr+W4DVhe
- 黒猫も始めは変りはない。
- 490 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 08:15:06.53 ID:Zr+W4DVhe
- しかしいつか頭の上に流蘇の長いトルコ帽をかぶっている。
- 491 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 08:29:22.16 ID:Zr+W4DVhe
- 「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」
- 492 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 08:43:37.83 ID:Zr+W4DVhe
- 「僕は帽子さえ買えないんだよ。」
- 493 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 08:57:54.27 ID:Zr+W4DVhe
- メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身。
- 494 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 09:12:09.99 ID:Zr+W4DVhe
- 少年は涙を流しはじめる。
- 495 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 09:26:25.69 ID:Zr+W4DVhe
- が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。
- 496 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 09:40:41.33 ID:Zr+W4DVhe
- かすかに星のかがやいた夕空。
- 497 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 09:54:57.44 ID:Zr+W4DVhe
- そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。
- 498 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 10:09:14.58 ID:Zr+W4DVhe
- 顔は少年の父親らしい。
- 499 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 10:23:30.11 ID:Zr+W4DVhe
- 愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。
- 500 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 10:37:45.81 ID:Zr+W4DVhe
- しかしこの顔もしばらくの後、霧のようにどこかへ消えてしまう。
- 501 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 10:52:01.42 ID:Zr+W4DVhe
- 少年はこちらへ後ろを見せたまま、この往来を歩いて行く。
- 502 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 11:06:17.05 ID:Zr+W4DVhe
- 往来は余り人通りはない。
- 503 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 11:20:33.55 ID:Zr+W4DVhe
- 少年の後ろから歩いて行く男。
- 504 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 11:34:49.19 ID:Zr+W4DVhe
- この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。
- 505 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 11:49:04.72 ID:Zr+W4DVhe
- 少年は一度も後ろを見ない。
- 506 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 14:06:10.70 ID:7lof9E2Ru
- 家の前には人力車が三台後ろ向きに止まっている。
- 507 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 14:20:41.76 ID:7lof9E2Ru
- 人通りはやはり沢山ない。
- 508 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 14:35:12.64 ID:7lof9E2Ru
- 角隠しをつけた花嫁が一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。
- 509 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 14:49:43.33 ID:7lof9E2Ru
- 人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。
- 510 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 15:04:13.98 ID:7lof9E2Ru
- そのあとから少年の後ろ姿。
- 511 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 15:18:45.14 ID:7lof9E2Ru
- 格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。
- 512 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 15:33:15.88 ID:7lof9E2Ru
- 「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」
- 513 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 15:47:46.85 ID:7lof9E2Ru
- これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。
- 514 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 16:02:17.75 ID:7lof9E2Ru
- サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店を歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。
- 515 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 16:16:48.65 ID:7lof9E2Ru
- 後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。
- 516 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 16:31:19.55 ID:7lof9E2Ru
- 少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンの配っている広告を一枚貰って行く。
- 517 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 16:45:50.45 ID:7lof9E2Ru
- 松葉杖をついた癈兵が一人ゆっくりと向うへ歩いて行く。
- 518 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 17:00:21.31 ID:7lof9E2Ru
- 癈兵はいつか駝鳥に変っている。
- 519 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 17:14:51.99 ID:7lof9E2Ru
- が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。
- 520 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 17:29:23.10 ID:7lof9E2Ru
- 横町の角にはポストが一つ。
- 521 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 17:43:54.00 ID:7lof9E2Ru
- いつ何時死ぬかも知れない。」
- 522 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 17:58:24.72 ID:7lof9E2Ru
- 往来の角に立っているポスト。
- 523 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 18:12:55.41 ID:7lof9E2Ru
- ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。
- 524 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:12:20.41 ID:GPxdXMi5G
- ポストの後ろには暗のあるばかり。
- 525 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:12:50.02 ID:srB6RqC5w
- ポストの後ろには暗のあるばかり。
- 526 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:15:22.62 ID:GPxdXMi5G
- お座敷へ出る芸者が二人ある御神燈のともった格子戸を出、静かにこちらへ歩いて来る。
- 527 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:29:53.91 ID:GPxdXMi5G
- どちらも何の表情も見せない。
- 528 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:44:24.79 ID:GPxdXMi5G
- 二人の芸者の通りすぎた後、向うへ歩いて行く少年の姿。
- 529 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 19:58:56.97 ID:GPxdXMi5G
- 少年はちょっとふり返って見る。
- 530 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 20:13:28.01 ID:GPxdXMi5G
- 前よりもさらに寂しい表情。
- 531 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 20:27:58.83 ID:GPxdXMi5G
- 少年はだんだん小さくなって行く。
- 532 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 20:42:30.25 ID:GPxdXMi5G
- そこへ向うに立っていた、背の低い声色遣いが一人やはりこちらへ歩いて来る。
- 533 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 20:57:01.09 ID:GPxdXMi5G
- 彼の目のあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。
- 534 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 21:11:31.92 ID:GPxdXMi5G
- 大きい針金の環のまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじ。
- 535 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 21:26:03.07 ID:GPxdXMi5G
- かもじの中には「すき毛入り前髪立て」
- 536 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 21:40:33.79 ID:GPxdXMi5G
- と書いた札も下っている。
- 537 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 21:55:04.42 ID:GPxdXMi5G
- これ等のかもじはいつの間にか理髪店の棒に変ってしまう。
- 538 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 22:09:35.18 ID:GPxdXMi5G
- 棒の後ろにも暗のあるばかり。
- 539 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 22:24:06.11 ID:GPxdXMi5G
- 大きい窓硝子の向うには男女が何人も動いている。
- 540 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 22:38:37.99 ID:GPxdXMi5G
- 少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部を覗いて見る。
- 541 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 22:53:08.79 ID:GPxdXMi5G
- 頭を刈っている男の横顔。
- 542 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 23:07:39.40 ID:GPxdXMi5G
- これもしばらくたった後、大きい針金の環にぶら下げた何本かのかもじに変ってしまう。
- 543 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 23:22:10.16 ID:GPxdXMi5G
- かもじの中に下った札が一枚。
- 544 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 23:36:40.85 ID:GPxdXMi5G
- 札には今度は「入れ毛」
- 545 :以上、自作自演でした。:2018/06/24(日) 23:51:11.99 ID:GPxdXMi5G
- セセッション風に出来上った病院。
- 546 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 00:05:42.81 ID:YYpzmPltb
- 少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登って行く、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段を下って来る。
- 547 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 00:20:13.68 ID:YYpzmPltb
- 少年の左へ行った後、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。
- 548 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 00:34:44.46 ID:YYpzmPltb
- その硝子戸を押しあけて外へ出て来る看護婦が一人。
- 549 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 00:49:15.24 ID:YYpzmPltb
- 看護婦は玄関に佇んだまま、何か遠いものを眺めている。
- 550 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 01:03:46.39 ID:YYpzmPltb
- 膝の上に組んだ看護婦の両手。
- 551 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 01:18:17.14 ID:YYpzmPltb
- 前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。
- 552 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 01:32:48.01 ID:YYpzmPltb
- が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。
- 553 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 01:47:19.00 ID:YYpzmPltb
- わずかに空を残したコンクリイトの塀。
- 554 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 02:01:50.73 ID:YYpzmPltb
- これもおのずから透明になり、鉄格子の中に群った何匹かの猿を現して見せる。
- 555 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 02:16:24.89 ID:YYpzmPltb
- それからまた塀全体は操り人形の舞台に変ってしまう。
- 556 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 02:30:55.56 ID:YYpzmPltb
- 舞台はとにかく西洋じみた室内。
- 557 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 02:45:26.25 ID:YYpzmPltb
- そこに西洋人の人形が一つ怯ず怯ずあたりを窺っている。
- 558 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 02:59:57.20 ID:YYpzmPltb
- 覆面をかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人らしい。
- 559 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 03:14:28.55 ID:YYpzmPltb
- 室の隅には金庫が一つ。
- 560 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 03:28:59.70 ID:YYpzmPltb
- 金庫をこじあけている西洋人の人形。
- 561 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 03:43:30.78 ID:YYpzmPltb
- ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……
- 562 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 03:58:01.71 ID:YYpzmPltb
- 斜めに見た前のコンクリイトの塀。
- 563 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 04:12:32.65 ID:YYpzmPltb
- 塀はもう何も現していない。
- 564 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 04:27:03.47 ID:YYpzmPltb
- そこを通りすぎる少年の影。
- 565 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 04:41:36.70 ID:YYpzmPltb
- そのあとから今度は背むしの影。
- 566 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 04:56:07.75 ID:YYpzmPltb
- 前から斜めに見おろした往来。
- 567 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 05:10:38.42 ID:YYpzmPltb
- 往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。
- 568 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 05:25:09.19 ID:YYpzmPltb
- そこへまた舞い下って来る前よりも小さい落葉が一枚。
- 569 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 05:39:39.93 ID:YYpzmPltb
- 最後に雑誌の広告らしい紙も一枚翻って来る。
- 570 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 05:54:10.94 ID:YYpzmPltb
- 紙は生憎引き裂かれているらしい。
- 571 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 06:08:41.69 ID:YYpzmPltb
- が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」
- 572 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 06:23:12.28 ID:YYpzmPltb
- と云う初号活字である。
- 573 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 06:37:43.02 ID:YYpzmPltb
- 大きい常磐木の下にあるベンチ。
- 574 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 07:09:54.84 ID:TeZiZjM8i
- 木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。
- 575 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 07:24:40.75 ID:TeZiZjM8i
- 少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。
- 576 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 07:39:26.36 ID:TeZiZjM8i
- それから涙を拭いはじめる。
- 577 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 07:54:11.93 ID:TeZiZjM8i
- すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。
- 578 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 08:08:57.61 ID:TeZiZjM8i
- 時々風に揺れる後ろの常磐木。
- 579 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 08:23:43.36 ID:TeZiZjM8i
- 少年はふと背むしを見つめる。
- 580 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 08:38:29.15 ID:TeZiZjM8i
- が、背むしはふり返りもしない。
- 581 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 08:53:14.84 ID:TeZiZjM8i
- のみならず懐から焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。
- 582 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 09:08:00.63 ID:TeZiZjM8i
- 焼き芋を食っている背むしの顔。
- 583 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 09:22:46.36 ID:TeZiZjM8i
- 前の常磐木のかげにあるベンチ。
- 584 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 09:37:32.24 ID:TeZiZjM8i
- 背むしはやはり焼き芋を食っている。
- 585 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 09:52:17.83 ID:TeZiZjM8i
- 少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いて行く。
- 586 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 10:07:03.38 ID:TeZiZjM8i
- 斜めに上から見おろしたベンチ。
- 587 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 10:21:48.96 ID:TeZiZjM8i
- 板を透かしたベンチの上には蟇口が一つ残っている。
- 588 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 10:36:34.91 ID:TeZiZjM8i
- すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。
- 589 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 10:51:20.60 ID:TeZiZjM8i
- 前の常磐木のかげにあるベンチ。
- 590 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 11:06:06.14 ID:TeZiZjM8i
- ただし今度は斜めになっている。
- 591 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 11:20:51.75 ID:TeZiZjM8i
- ベンチの上には背むしが一人蟇口の中を検べている。
- 592 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 11:35:37.38 ID:TeZiZjM8i
- そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。
- 593 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 11:50:22.95 ID:TeZiZjM8i
- しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。
- 594 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 12:05:08.64 ID:TeZiZjM8i
- 互に何か話し合いながら。
- 595 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 12:19:54.44 ID:TeZiZjM8i
- 男女の写真が何枚もそれぞれ額縁にはいって懸っている。
- 596 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 12:34:40.03 ID:TeZiZjM8i
- が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。
- 597 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 12:49:25.77 ID:TeZiZjM8i
- しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭のある老人の半身だけは変らない。
- 598 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 13:04:11.36 ID:TeZiZjM8i
- ただその顔はいつの間にか前の背むしの顔になっている。
- 599 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 13:18:57.31 ID:TeZiZjM8i
- 少年はその下を歩いて行く。
- 600 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 13:33:42.88 ID:TeZiZjM8i
- 観音堂の上には三日月が一つ。
- 601 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 13:48:28.90 ID:TeZiZjM8i
- ただし扉はしまっている。
- 602 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 14:03:14.45 ID:TeZiZjM8i
- その前に礼拝している何人かの人々。
- 603 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 14:18:00.08 ID:TeZiZjM8i
- 少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。
- 604 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 14:32:45.93 ID:TeZiZjM8i
- それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。
- 605 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 14:47:31.73 ID:TeZiZjM8i
- 斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢。
- 606 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 15:02:17.45 ID:TeZiZjM8i
- 柄杓が何本も浮かんだ水には火かげもちらちら映っている。
- 607 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 15:17:03.22 ID:TeZiZjM8i
- そこへまた映って来る、憔悴し切った少年の顔。
- 608 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 15:31:49.02 ID:TeZiZjM8i
- 少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。
- 609 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 15:46:34.76 ID:TeZiZjM8i
- 前の石燈籠の下部の後ろ。
- 610 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 16:01:20.35 ID:TeZiZjM8i
- 男が一人佇んだまま、何かに耳を傾けている。
- 611 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 16:16:06.28 ID:TeZiZjM8i
- もっとも顔だけはこちらを向いていない。
- 612 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 16:30:52.17 ID:TeZiZjM8i
- が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。
- 613 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 16:45:38.05 ID:TeZiZjM8i
- のみならずその顔もしばらくの後、少年の父親に変ってしまう。
- 614 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 17:00:24.20 ID:TeZiZjM8i
- 石燈籠は柱を残したまま、おのずから炎になって燃え上ってしまう。
- 615 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 17:15:09.78 ID:TeZiZjM8i
- 炎の下火になった後、そこに開き始める菊の花が一輪。
- 616 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 17:29:55.72 ID:TeZiZjM8i
- 菊の花は石燈籠の笠よりも大きい。
- 617 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 17:44:42.13 ID:TeZiZjM8i
- 少年は前と変りはない。
- 618 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 17:59:27.74 ID:TeZiZjM8i
- そこへ帽を目深にかぶった巡査が一人歩みより、少年の肩へ手をかける。
- 619 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 18:14:13.44 ID:TeZiZjM8i
- 少年は驚いて立ち上り、何か巡査と話をする。
- 620 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 18:28:59.26 ID:TeZiZjM8i
- それから巡査に手を引かれたまま、静かに向うへ歩いて行く。
- 621 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 18:43:44.99 ID:TeZiZjM8i
- 前の石燈籠の下部の後ろ。
- 622 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 19:01:17.31 ID:GftSwA5w9
- 大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店を見渡すようになる。
- 623 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 19:16:18.65 ID:GftSwA5w9
- ただし大提灯の下部だけは消え失せない。
- 624 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 19:31:19.28 ID:GftSwA5w9
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 625 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 19:46:19.93 ID:GftSwA5w9
- これ等は今日でも僕の愛読書である。
- 626 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 20:01:21.48 ID:GftSwA5w9
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 627 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 20:16:22.12 ID:GftSwA5w9
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 628 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 20:31:23.41 ID:GftSwA5w9
- なども到底この「西遊記」
- 629 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 20:46:23.94 ID:GftSwA5w9
- も愛読書の一つである。
- 630 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 21:01:25.64 ID:GftSwA5w9
- これも今以て愛読してゐる。
- 631 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 21:16:26.25 ID:GftSwA5w9
- の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。
- 632 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 21:31:27.09 ID:GftSwA5w9
- その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」
- 633 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 21:46:28.30 ID:GftSwA5w9
- だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
- 634 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 22:01:30.08 ID:GftSwA5w9
- 中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」
- 635 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 22:16:30.96 ID:GftSwA5w9
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 636 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 22:31:31.86 ID:GftSwA5w9
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 637 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 22:46:32.74 ID:GftSwA5w9
- だから人の事は笑へない。
- 638 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 23:01:34.37 ID:GftSwA5w9
- の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」
- 639 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 23:16:35.39 ID:GftSwA5w9
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 640 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 23:31:35.92 ID:GftSwA5w9
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 641 :以上、自作自演でした。:2018/06/25(月) 23:46:36.55 ID:GftSwA5w9
- ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。
- 642 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 00:01:37.96 ID:mh8hJgdoN
- ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。
- 643 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 00:16:40.25 ID:mh8hJgdoN
- その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。
- 644 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 00:31:40.89 ID:mh8hJgdoN
- これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」
- 645 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 00:46:42.17 ID:mh8hJgdoN
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 646 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 01:01:44.48 ID:mh8hJgdoN
- さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。
- 647 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 01:16:45.42 ID:mh8hJgdoN
- 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。
- 648 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 01:31:45.97 ID:mh8hJgdoN
- スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。
- 649 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 01:46:46.60 ID:mh8hJgdoN
- 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」
- 650 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 02:01:47.96 ID:mh8hJgdoN
- を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。
- 651 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 02:16:50.11 ID:mh8hJgdoN
- あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」
- 652 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 02:31:53.58 ID:mh8hJgdoN
- を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。
- 653 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 02:46:54.64 ID:mh8hJgdoN
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 654 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 03:01:56.21 ID:mh8hJgdoN
- 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。
- 655 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 03:16:57.66 ID:mh8hJgdoN
- 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。
- 656 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 03:31:58.66 ID:mh8hJgdoN
- が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
- 657 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 03:47:00.10 ID:mh8hJgdoN
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 658 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 04:02:01.71 ID:mh8hJgdoN
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 659 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 04:17:03.56 ID:mh8hJgdoN
- 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
- 660 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 04:32:04.58 ID:mh8hJgdoN
- 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。
- 661 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 04:47:05.67 ID:mh8hJgdoN
- それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。
- 662 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 05:02:07.69 ID:mh8hJgdoN
- 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。
- 663 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 05:17:08.75 ID:mh8hJgdoN
- さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。
- 664 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 05:32:09.90 ID:mh8hJgdoN
- かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。
- 665 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 05:47:10.98 ID:mh8hJgdoN
- が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
- 666 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 06:02:12.67 ID:mh8hJgdoN
- だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。
- 667 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 06:17:13.67 ID:mh8hJgdoN
- 尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。
- 668 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 06:32:14.19 ID:mh8hJgdoN
- 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。
- 669 :以上、自作自演でした。:2018/06/26(火) 06:47:14.73 ID:mh8hJgdoN
- が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。
- 670 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 11:15:53.30 ID:teWHrpeD7
- 大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店を見渡すようになる。
- 671 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 11:31:10.11 ID:V3In+2fTU
- ただし大提灯の下部だけは消え失せない。
- 672 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 11:46:26.01 ID:teWHrpeD7
- 子供の時の愛読書は「西遊記」
- 673 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 12:01:41.62 ID:V3In+2fTU
- これ等は今日でも僕の愛読書である。
- 674 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 12:16:57.70 ID:teWHrpeD7
- 比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。
- 675 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 12:32:13.40 ID:V3In+2fTU
- 名高いバンヤンの「天路歴程」
- 676 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 12:47:29.23 ID:teWHrpeD7
- なども到底この「西遊記」
- 677 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 13:02:44.89 ID:V3In+2fTU
- も愛読書の一つである。
- 678 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 13:18:00.95 ID:teWHrpeD7
- これも今以て愛読してゐる。
- 679 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 13:33:16.70 ID:V3In+2fTU
- の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。
- 680 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 13:48:32.47 ID:teWHrpeD7
- その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」
- 681 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 14:03:48.20 ID:V3In+2fTU
- だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
- 682 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 14:19:04.28 ID:teWHrpeD7
- 中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」
- 683 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 14:34:20.35 ID:V3In+2fTU
- や小島烏水氏の「日本山水論」
- 684 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 14:49:36.36 ID:teWHrpeD7
- 同時に、夏目さんの「猫」
- 685 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 15:04:52.00 ID:V3In+2fTU
- だから人の事は笑へない。
- 686 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 15:20:08.09 ID:teWHrpeD7
- の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」
- 687 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 15:35:23.82 ID:V3In+2fTU
- 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。
- 688 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 15:50:39.44 ID:teWHrpeD7
- それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。
- 689 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 16:05:55.11 ID:V3In+2fTU
- ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。
- 690 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 16:21:11.11 ID:teWHrpeD7
- ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。
- 691 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 16:36:26.82 ID:V3In+2fTU
- その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。
- 692 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 16:51:42.44 ID:teWHrpeD7
- これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」
- 693 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 17:06:58.21 ID:V3In+2fTU
- などの影響であつたらうと思ふ。
- 694 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 17:22:14.19 ID:teWHrpeD7
- さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。
- 695 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 17:37:30.27 ID:V3In+2fTU
- 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。
- 696 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 17:52:46.19 ID:teWHrpeD7
- スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。
- 697 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 18:08:01.96 ID:V3In+2fTU
- 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」
- 698 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 18:23:18.02 ID:teWHrpeD7
- を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。
- 699 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 18:38:33.91 ID:V3In+2fTU
- あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」
- 700 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 18:53:49.60 ID:teWHrpeD7
- を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。
- 701 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 19:09:05.40 ID:V3In+2fTU
- 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。
- 702 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 19:24:21.93 ID:teWHrpeD7
- 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。
- 703 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 19:39:38.10 ID:V3In+2fTU
- 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。
- 704 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 19:52:54.71 ID:teWHrpeD7
- が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
- 705 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:01:40.51 ID:V3In+2fTU
- そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。
- 706 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:09:26.37 ID:teWHrpeD7
- 彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。
- 707 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:17:12.04 ID:V3In+2fTU
- 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。
- 708 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:24:59.07 ID:teWHrpeD7
- 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。
- 709 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:32:44.99 ID:V3In+2fTU
- それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。
- 710 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:40:30.72 ID:teWHrpeD7
- 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。
- 711 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:48:16.69 ID:V3In+2fTU
- さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。
- 712 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 20:56:02.61 ID:teWHrpeD7
- かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。
- 713 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:03:48.26 ID:V3In+2fTU
- が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。
- 714 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:11:33.93 ID:teWHrpeD7
- だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。
- 715 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:19:19.78 ID:V3In+2fTU
- 尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。
- 716 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:27:05.85 ID:teWHrpeD7
- 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。
- 717 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:34:51.53 ID:V3In+2fTU
- が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。
- 718 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:42:37.27 ID:teWHrpeD7
- それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。
- 719 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:50:23.10 ID:V3In+2fTU
- 信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。
- 720 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 21:58:09.60 ID:teWHrpeD7
- その癖まづ照子を忘れるものは、何時も信子自身であつた。
- 721 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:05:56.57 ID:V3In+2fTU
- 俊吉はすべてに無頓着なのか、不相変気の利いた冗談ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。……
- 722 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:13:42.25 ID:teWHrpeD7
- 信子と従兄との間がらは、勿論誰の眼に見ても、来るべき彼等の結婚を予想させるのに十分であつた。
- 723 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:21:28.09 ID:V3In+2fTU
- 同窓たちは彼女の未来をてんでに羨んだり妬んだりした。
- 724 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:29:14.31 ID:teWHrpeD7
- 殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、)
- 725 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:37:00.05 ID:V3In+2fTU
- 一層これが甚しかつた。
- 726 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:44:46.41 ID:teWHrpeD7
- 信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に仄かせたりした。
- 727 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 22:52:33.03 ID:V3In+2fTU
- 従つて同窓たちの頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如く、一しよにはつきり焼きつけられてゐた。
- 728 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:00:18.87 ID:teWHrpeD7
- 所が学校を卒業すると、信子は彼等の予期に反して、大阪の或商事会社へ近頃勤務する事になつた、高商出身の青年と、突然結婚してしまつた。
- 729 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:08:04.78 ID:V3In+2fTU
- さうして式後二三日してから、新夫と一しよに勤め先きの大阪へ向けて立つてしまつた。
- 730 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:15:50.54 ID:teWHrpeD7
- その時中央停車場へ見送りに行つたものの話によると、信子は何時もと変りなく、晴れ晴れした微笑を浮べながら、ともすれば涙を落し勝ちな妹の照子をいろいろと慰めてゐたと云ふ事であつた。
- 731 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:23:36.34 ID:V3In+2fTU
- 同窓たちは皆不思議がつた。
- 732 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:31:22.21 ID:teWHrpeD7
- その不思議がる心の中には、妙に嬉しい感情と、前とは全然違つた意味で妬ましい感情とが交つてゐた。
- 733 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:39:08.13 ID:V3In+2fTU
- 或者は彼女を信頼して、すべてを母親の意志に帰した。
- 734 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:46:53.79 ID:teWHrpeD7
- 又或ものは彼女を疑つて、心がはりがしたとも云ひふらした。
- 735 :以上、自作自演でした。:2018/06/27(水) 23:54:40.25 ID:V3In+2fTU
- が、それらの解釈が結局想像に過ぎない事は、彼等自身さへ知らない訳ではなかつた。
- 736 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:02:27.75 ID:zmK7v1JUw
- 彼女はなぜ俊吉と結婚しなかつたか?
- 737 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:10:16.09 ID:KwCEt0B9n
- 彼等はその後暫くの間、よるとさはると重大らしく、必この疑問を話題にした。
- 738 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:18:02.03 ID:zmK7v1JUw
- さうして彼是二月ばかり経つと――
- 739 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:25:47.92 ID:KwCEt0B9n
- 全く信子を忘れてしまつた。
- 740 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:33:33.88 ID:zmK7v1JUw
- 勿論彼女が書く筈だつた長篇小説の噂なぞも。
- 741 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:41:19.68 ID:KwCEt0B9n
- 信子はその間に大阪の郊外へ、幸福なるべき新家庭をつくつた。
- 742 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:49:05.34 ID:zmK7v1JUw
- 彼等の家はその界隈でも最も閑静な松林にあつた。
- 743 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 00:56:51.08 ID:KwCEt0B9n
- 松脂の匂と日の光と、――
- 744 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:04:36.73 ID:zmK7v1JUw
- それが何時でも夫の留守は、二階建の新しい借家の中に、活き活きした沈黙を領してゐた。
- 745 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:12:22.51 ID:KwCEt0B9n
- 信子はさう云ふ寂しい午後、時々理由もなく気が沈むと、きつと針箱の引出しを開けては、その底に畳んでしまつてある桃色の書簡箋をひろげて見た、書簡箋の上にはこんな事が、細々とペンで書いてあつた。
- 746 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:20:08.18 ID:zmK7v1JUw
- もう今日かぎり御姉様と御一しよにゐる事が出来ないと思ふと、これを書いてゐる間でさへ、止め度なく涙が溢れて来ます。
- 747 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:27:54.42 ID:KwCEt0B9n
- どうか、どうか私を御赦し下さい。
- 748 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:35:40.15 ID:zmK7v1JUw
- 照子は勿体ない御姉様の犠牲の前に、何と申し上げて好いかもわからずに居ります。
- 749 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:43:27.31 ID:KwCEt0B9n
- 「御姉様は私の為に、今度の御縁談を御きめになりました。
- 750 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:51:12.95 ID:zmK7v1JUw
- さうではないと仰有つても、私にはよくわかつて居ります。
- 751 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 01:58:58.85 ID:KwCEt0B9n
- 何時ぞや御一しよに帝劇を見物した晩、御姉様は私に俊さんは好きかと御尋きになりました。
- 752 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:06:44.46 ID:zmK7v1JUw
- それから又好きならば、御姉様がきつと骨を折るから、俊さんの所へ行けとも仰有いました。
- 753 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:14:30.16 ID:KwCEt0B9n
- あの時もう御姉様は、私が俊さんに差上げる筈の手紙を読んでいらしつたのでせう。
- 754 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:22:15.81 ID:zmK7v1JUw
- あの手紙がなくなつた時、ほんたうに私は御姉様を御恨めしく思ひました。
- 755 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:30:01.71 ID:KwCEt0B9n
- この事だけでも私はどの位申し訳がないかわかりません。)
- 756 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:37:48.03 ID:zmK7v1JUw
- ですからその晩も私には、御姉様の親切な御言葉も、皮肉のやうな気さへ致しました。
- 757 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:45:33.85 ID:KwCEt0B9n
- 私が怒つて御返事らしい御返事も碌に致さなかつた事は、もちろん御忘れになりもなさりますまい。
- 758 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 02:53:20.96 ID:zmK7v1JUw
- けれどもあれから二三日経つて、御姉様の御縁談が急にきまつてしまつた時、私はそれこそ死んででも、御詫びをしようかと思ひました。
- 759 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:01:06.81 ID:KwCEt0B9n
- 御姉様も俊さんが御好きなのでございますもの。
- 760 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:08:55.71 ID:nTdTVG/WV
- (御隠しになつてはいや。
- 761 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:16:41.57 ID:KwCEt0B9n
- 私はよく存じて居りましてよ。)
- 762 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:24:27.28 ID:nTdTVG/WV
- 私の事さへ御かまひにならなければ、きつと御自分が俊さんの所へいらしつたのに違ひございません。
- 763 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:32:13.10 ID:KwCEt0B9n
- それでも御姉様は私に、俊さんなぞは思つてゐないと、何度も繰返して仰有いました。
- 764 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:39:59.13 ID:nTdTVG/WV
- さうしてとうとう心にもない御結婚をなすつて御しまひになりました。
- 765 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:47:44.81 ID:KwCEt0B9n
- 私が今日鶏を抱いて来て、大阪へいらつしやる御姉様に、御挨拶をなさいと申した事をまだ覚えていらしつて?
- 766 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 03:55:30.47 ID:nTdTVG/WV
- 私は飼つてゐる鶏にも、私と一しよに御姉様へ御詫びを申して貰ひたかつたの。
- 767 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:03:16.24 ID:KwCEt0B9n
- さうしたら、何にも御存知ない御母様まで御泣きになりましたのね。
- 768 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:11:02.64 ID:nTdTVG/WV
- もう明日は大阪へいらしつて御しまひなさるでせう。
- 769 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:18:48.44 ID:KwCEt0B9n
- けれどもどうか何時までも、御姉様の照子を見捨てずに頂戴、照子は毎朝鶏に餌をやりながら、御姉様の事を思ひ出して、誰にも知れず泣いてゐます。……」
- 770 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:26:34.14 ID:nTdTVG/WV
- 信子はこの少女らしい手紙を読む毎に、必涙が滲んで来た。
- 771 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:34:19.81 ID:KwCEt0B9n
- 殊に中央停車場から汽車に乗らうとする間際、そつとこの手紙を彼女に渡した照子の姿を思ひ出すと、何とも云はれずにいぢらしかつた。
- 772 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:42:05.51 ID:nTdTVG/WV
- が、彼女の結婚は果して妹の想像通り、全然犠牲的なそれであらうか。
- 773 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:49:51.52 ID:KwCEt0B9n
- さう疑を挾む事は、涙の後の彼女の心へ、重苦しい気持ちを拡げ勝ちであつた。
- 774 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 04:57:37.27 ID:nTdTVG/WV
- 信子はこの重苦しさを避ける為に、大抵はぢつと快い感傷の中に浸つてゐた。
- 775 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:05:23.52 ID:KwCEt0B9n
- そのうちに外の松林へ一面に当つた日の光が、だんだん黄ばんだ暮方の色に変つて行くのを眺めながら。
- 776 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:13:09.47 ID:nTdTVG/WV
- 結婚後彼是三月ばかりは、あらゆる新婚の夫婦の如く、彼等も亦幸福な日を送つた。
- 777 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:20:55.12 ID:KwCEt0B9n
- 夫は何処か女性的な、口数を利かない人物であつた。
- 778 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:28:40.85 ID:nTdTVG/WV
- それが毎日会社から帰つて来ると、必晩飯後の何時間かは、信子と一しよに過す事にしてゐた。
- 779 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:36:26.70 ID:KwCEt0B9n
- 信子は編物の針を動かしながら、近頃世間に騒がれてゐる小説や戯曲の話などもした。
- 780 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:44:12.51 ID:nTdTVG/WV
- その話の中には時によると、基督教の匂のする女子大学趣味の人生観が織りこまれてゐる事もあつた。
- 781 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:51:58.37 ID:KwCEt0B9n
- 夫は晩酌の頬を赤らめた儘、読みかけた夕刊を膝へのせて、珍しさうに耳を傾けてゐた。
- 782 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 05:59:44.01 ID:nTdTVG/WV
- が、彼自身の意見らしいものは、一言も加へた事がなかつた。
- 783 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:07:30.08 ID:KwCEt0B9n
- 彼等は又殆日曜毎に、大阪やその近郊の遊覧地へ気散じな一日を暮しに行つた。
- 784 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:15:16.37 ID:nTdTVG/WV
- 信子は汽車電車へ乗る度に、何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑しく見えた。
- 785 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:23:02.43 ID:KwCEt0B9n
- それだけおとなしい夫の態度が、格段に上品なのを嬉しく感じた。
- 786 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:30:48.38 ID:nTdTVG/WV
- 実際身綺麗な夫の姿は、そう云ふ人中に交つてゐると、帽子からも、背広からも、或は又赤皮の編上げからも、化粧石鹸の匂に似た、一種清新な雰囲気を放散させてゐるやうであつた。
- 787 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:38:34.09 ID:KwCEt0B9n
- 殊に夏の休暇中、舞子まで足を延した時には、同じ茶屋に来合せた夫の同僚たちに比べて見て、一層誇りがましいやうな心もちがせずにはゐられなかつた。
- 788 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:46:19.82 ID:nTdTVG/WV
- が、夫はその下卑た同僚たちに、存外親しみを持つてゐるらしかつた。
- 789 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 06:54:05.58 ID:KwCEt0B9n
- その内に信子は長い間、捨ててあつた創作を思ひ出した。
- 790 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:01:51.38 ID:nTdTVG/WV
- そこで夫の留守の内だけ、一二時間づつ机に向ふ事にした。
- 791 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:09:37.56 ID:KwCEt0B9n
- 夫はその話を聞くと、「愈女流作家になるかね。」
- 792 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:17:23.72 ID:nTdTVG/WV
- と云つて、やさしい口もとに薄笑ひを見せた。
- 793 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:25:09.36 ID:KwCEt0B9n
- しかし机には向ふにしても、思ひの外ペンは進まなかつた。
- 794 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:32:54.99 ID:nTdTVG/WV
- 彼女はぼんやり頬杖をついて、炎天の松林の蝉の声に、我知れず耳を傾けてゐる彼女自身を見出し勝ちであつた。
- 795 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:40:40.67 ID:KwCEt0B9n
- 所が残暑が初秋へ振り変らうとする時分、夫は或日会社の出がけに、汗じみた襟を取変へようとした。
- 796 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:48:26.26 ID:nTdTVG/WV
- が、生憎襟は一本残らず洗濯屋の手に渡つてゐた。
- 797 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 07:56:12.09 ID:KwCEt0B9n
- 夫は日頃身綺麗なだけに、不快らしく顔を曇らせた。
- 798 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:03:57.78 ID:nTdTVG/WV
- さうしてズボン吊を掛けながら、「小説ばかり書いてゐちや困る。」
- 799 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:11:43.58 ID:KwCEt0B9n
- と何時になく厭味を云つた。
- 800 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:19:29.53 ID:nTdTVG/WV
- 信子は黙つて眼を伏せて、上衣の埃を払つてゐた。
- 801 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:27:15.25 ID:KwCEt0B9n
- それから二三日過ぎた或夜、夫は夕刊に出てゐた食糧問題から、月々の経費をもう少し軽減出来ないものかと云ひ出した。
- 802 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:35:00.90 ID:nTdTVG/WV
- 「お前だつて何時までも女学生ぢやあるまいし。」――
- 803 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:42:46.55 ID:KwCEt0B9n
- そんな事も口へ出した。
- 804 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:50:32.21 ID:nTdTVG/WV
- 信子は気のない返事をしながら、夫の襟飾の絽刺しをしてゐた。
- 805 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 08:58:17.86 ID:KwCEt0B9n
- すると夫は意外な位執拗に、「その襟飾にしてもさ、買ふ方が反つて安くつくぢやないか。」
- 806 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:06:03.68 ID:nTdTVG/WV
- と、やはりねちねちした調子で云つた。
- 807 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:13:49.43 ID:KwCEt0B9n
- 彼女は猶更口が利けなくなつた。
- 808 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:21:35.57 ID:nTdTVG/WV
- 夫もしまひには白けた顔をして、つまらなさうに商売向きの雑誌か何かばかり読んでゐた。
- 809 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:29:21.70 ID:KwCEt0B9n
- が、寝室の電燈を消してから、信子は夫に背を向けた儘、「もう小説なんぞ書きません。」
- 810 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:37:07.41 ID:nTdTVG/WV
- と、囁くやうな声で云つた。
- 811 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:44:53.06 ID:KwCEt0B9n
- 夫はそれでも黙つてゐた。
- 812 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 09:52:38.69 ID:nTdTVG/WV
- 暫くして彼女は、同じ言葉を前よりもかすかに繰返した。
- 813 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:00:24.42 ID:KwCEt0B9n
- それから間もなく泣く声が洩れた。
- 814 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:08:10.20 ID:nTdTVG/WV
- 夫は二言三言彼女を叱つた。
- 815 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:15:55.93 ID:KwCEt0B9n
- その後でも彼女の啜泣きは、まだ絶え絶えに聞えてゐた。
- 816 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:23:42.20 ID:nTdTVG/WV
- が、信子は何時の間にか、しつかりと夫にすがつてゐた。……
- 817 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:31:27.99 ID:KwCEt0B9n
- 翌日彼等は又元の通り、仲の好い夫婦に返つてゐた。
- 818 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:39:13.85 ID:nTdTVG/WV
- と思ふと今度は十二時過ぎても、まだ夫が会社から帰つて来ない晩があつた。
- 819 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:46:59.55 ID:KwCEt0B9n
- しかも漸く帰つて来ると、雨外套も一人では脱げない程、酒臭い匂を呼吸してゐた。
- 820 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 10:54:45.16 ID:nTdTVG/WV
- 信子は眉をひそめながら、甲斐甲斐しく夫に着換へさせた。
- 821 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:02:30.77 ID:KwCEt0B9n
- 夫はそれにも関らず、まはらない舌で皮肉さへ云つた。
- 822 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:10:16.60 ID:nTdTVG/WV
- 「今夜は僕が帰らなかつたから、余つ程小説が捗取つたらう。」――
- 823 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:18:02.40 ID:KwCEt0B9n
- さう云ふ言葉が、何度となく女のやうな口から出た。
- 824 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:25:48.50 ID:nTdTVG/WV
- 彼女はその晩床にはいると、思はず涙がほろほろ落ちた。
- 825 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:33:34.67 ID:KwCEt0B9n
- こんな処を照子が見たら、どんなに一しよに泣いてくれるであらう。
- 826 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:41:20.50 ID:nTdTVG/WV
- 私が便りに思ふのは、たつたお前一人ぎりだ。――
- 827 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:49:06.18 ID:KwCEt0B9n
- 信子は度々心の中でかう妹に呼びかけながら、夫の酒臭い寝息に苦しまされて、殆夜中まんじりともせずに、寝返りばかり打つてゐた。
- 828 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 11:56:51.80 ID:nTdTVG/WV
- が、それも亦翌日になると、自然と仲直りが出来上つてゐた。
- 829 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:04:37.40 ID:KwCEt0B9n
- そんな事が何度か繰返される内に、だんだん秋が深くなつて来た。
- 830 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:12:23.18 ID:nTdTVG/WV
- 信子は何時か机に向つて、ペンを執る事が稀になつた。
- 831 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:20:08.93 ID:KwCEt0B9n
- その時にはもう夫の方も、前程彼女の文学談を珍しがらないやうになつてゐた。
- 832 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:27:55.26 ID:nTdTVG/WV
- 彼等は夜毎に長火鉢を隔てて、瑣末な家庭の経済の話に時間を殺す事を覚え出した。
- 833 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:35:41.10 ID:KwCEt0B9n
- その上又かう云ふ話題は、少くとも晩酌後の夫にとつて、最も興味があるらしかつた。
- 834 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:43:26.74 ID:nTdTVG/WV
- それでも信子は気の毒さうに、時々夫の顔色を窺つて見る事があつた。
- 835 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:51:12.30 ID:KwCEt0B9n
- が、彼は何も知らず、近頃延した髭を噛みながら、何時もより余程快活に、「これで子供でも出来て見ると――」
- 836 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 12:58:58.09 ID:nTdTVG/WV
- なぞと、考へ考へ話してゐた。
- 837 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:06:43.73 ID:KwCEt0B9n
- するとその頃から月々の雑誌に、従兄の名前が見えるやうになつた。
- 838 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:14:29.43 ID:nTdTVG/WV
- 信子は結婚後忘れたやうに、俊吉との文通を絶つてゐた。
- 839 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:22:15.22 ID:KwCEt0B9n
- 大学の文科を卒業したとか、同人雑誌を始めたとか云ふ事は、妹から手紙で知るだけであつた。
- 840 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:30:01.99 ID:nTdTVG/WV
- 又それ以上彼の事を知りたいと云ふ気も起さなかつた。
- 841 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:37:47.69 ID:KwCEt0B9n
- が、彼の小説が雑誌に載つてゐるのを見ると、懐しさは昔と同じであつた。
- 842 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:45:33.37 ID:nTdTVG/WV
- 彼女はその頁をはぐりながら、何度も独り微笑を洩らした。
- 843 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 13:53:18.97 ID:KwCEt0B9n
- 俊吉はやはり小説の中でも、冷笑と諧謔との二つの武器を宮本武蔵のやうに使つてゐた。
- 844 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:01:04.61 ID:nTdTVG/WV
- 彼女にはしかし気のせゐか、その軽快な皮肉の後に、何か今までの従兄にはない、寂しさうな捨鉢の調子が潜んでゐるやうに思はれた。
- 845 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:08:50.31 ID:KwCEt0B9n
- と同時にさう思ふ事が、後めたいやうな気もしないではなかつた。
- 846 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:16:35.94 ID:nTdTVG/WV
- 信子はそれ以来夫に対して、一層優しく振舞ふやうになつた。
- 847 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:24:21.71 ID:KwCEt0B9n
- 夫は夜寒の長火鉢の向うに、何時も晴れ晴れと微笑してゐる彼女の顔を見出した。
- 848 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:32:07.77 ID:nTdTVG/WV
- その顔は以前より若々しく、化粧をしてゐるのが常であつた。
- 849 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:39:53.38 ID:KwCEt0B9n
- 彼女は針仕事の店を拡げながら、彼等が東京で式を挙げた当時の記憶なぞも話したりした。
- 850 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:47:39.09 ID:nTdTVG/WV
- 夫にはその記憶の細かいのが、意外でもあり、嬉しさうでもあつた。
- 851 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 14:55:24.73 ID:KwCEt0B9n
- 「お前はよくそんな事まで覚えてゐるね。」――
- 852 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:03:10.37 ID:nTdTVG/WV
- 夫にかう調戯はれると、信子は必無言の儘、眼にだけ媚のある返事を見せた。
- 853 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:10:56.01 ID:KwCEt0B9n
- が、何故それ程忘れずにゐるか、彼女自身も心の内では、不思議に思ふ事が度々あつた。
- 854 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:18:41.72 ID:nTdTVG/WV
- それから程なく、母の手紙が、信子に妹の結納が済んだと云ふ事を報じて来た。
- 855 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:26:27.56 ID:KwCEt0B9n
- その手紙の中には又、俊吉が照子を迎へる為に、山の手の或郊外へ新居を設けた事もつけ加へてあつた。
- 856 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:34:14.08 ID:nTdTVG/WV
- 彼女は早速母と妹とへ、長い祝ひの手紙を書いた。
- 857 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:42:00.27 ID:KwCEt0B9n
- 「何分当方は無人故、式には不本意ながら参りかね候へども……」
- 858 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:49:46.00 ID:nTdTVG/WV
- そんな文句を書いてゐる内に、(彼女には何故かわからなかつたが、)
- 859 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 15:57:31.84 ID:KwCEt0B9n
- 筆の渋る事も再三あつた。
- 860 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:05:17.65 ID:nTdTVG/WV
- すると彼女は眼を挙げて、必外の松林を眺めた。
- 861 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:13:03.33 ID:KwCEt0B9n
- 松は初冬の空の下に、簇々と蒼黒く茂つてゐた。
- 862 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:20:49.02 ID:nTdTVG/WV
- その晩信子と夫とは、照子の結婚を話題にした。
- 863 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:28:34.83 ID:KwCEt0B9n
- 夫は何時もの薄笑ひを浮べながら、彼女が妹の口真似をするのを、面白さうに聞いてゐた。
- 864 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:36:20.87 ID:nTdTVG/WV
- が、彼女には何となく、彼女自身に照子の事を話してゐるやうな心もちがした。
- 865 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:44:06.48 ID:KwCEt0B9n
- 「どれ、寝るかな。」――
- 866 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:51:52.54 ID:nTdTVG/WV
- 二三時間の後、夫は柔な髭を撫でながら、大儀さうに長火鉢の前を離れた。
- 867 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 16:59:38.32 ID:KwCEt0B9n
- 信子はまだ妹へ祝つてやる品を決し兼ねて、火箸で灰文字を書いてゐたが、この時急に顔を挙げて、「でも妙なものね、私にも弟が一人出来るのだと思ふと。」
- 868 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:07:25.36 ID:nTdTVG/WV
- 「当り前ぢやないか、妹もゐるんだから。」――
- 869 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:15:11.03 ID:KwCEt0B9n
- 彼女は夫にかう云はれても、考深い眼つきをした儘、何とも返事をしなかつた。
- 870 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:22:56.67 ID:nTdTVG/WV
- 照子と俊吉とは、師走の中旬に式を挙げた。
- 871 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:30:43.32 ID:KwCEt0B9n
- 当日は午少し前から、ちらちら白い物が落ち始めた。
- 872 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:38:29.43 ID:nTdTVG/WV
- 信子は独り午の食事をすませた後、何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかつた。
- 873 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:46:15.27 ID:KwCEt0B9n
- 「東京も雪が降つてゐるかしら。」――
- 874 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 17:54:00.95 ID:nTdTVG/WV
- こんな事を考へながら、信子はぢつとうす暗い茶の間の長火鉢にもたれてゐた。
- 875 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:01:46.59 ID:KwCEt0B9n
- が、口中の生臭さは、やはり執念く消えなかつた。……
- 876 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:09:32.32 ID:nTdTVG/WV
- 信子はその翌年の秋、社命を帯びた夫と一しよに、久しぶりで東京の土を踏んだ。
- 877 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:17:17.99 ID:KwCEt0B9n
- が、短い日限内に、果すべき用向きの多かつた夫は、唯彼女の母親の所へ、来々顔を出した時の外は、殆一日も彼女をつれて、外出する機会を見出さなかつた。
- 878 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:25:03.63 ID:nTdTVG/WV
- 彼女はそこで妹夫婦の郊外の新居を尋ねる時も、新開地じみた電車の終点から、たつた一人俥に揺られて行つた。
- 879 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:32:49.69 ID:KwCEt0B9n
- 彼等の家は、町並が葱畑に移る近くにあつた。
- 880 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:40:36.70 ID:nTdTVG/WV
- しかし隣近所には、いづれも借家らしい新築が、せせこましく軒を並べてゐた。
- 881 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:48:26.49 ID:KwCEt0B9n
- のき打ちの門、要もちの垣、それから竿に干した洗濯物、――
- 882 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 18:56:12.42 ID:nTdTVG/WV
- すべてがどの家も変りはなかつた。
- 883 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:03:58.18 ID:KwCEt0B9n
- この平凡な住居の容子は、多少信子を失望させた。
- 884 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:11:43.37 ID:nTdTVG/WV
- が、彼女が案内を求めた時、声に応じて出て来たのは、意外にも従兄の方であつた。
- 885 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:19:28.69 ID:KwCEt0B9n
- 俊吉は以前と同じやうに、この珍客の顔を見ると、「やあ。」
- 886 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:27:15.52 ID:nTdTVG/WV
- 彼女は彼が何時の間にか、いが栗頭でなくなつたのを見た。
- 887 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:35:01.27 ID:KwCEt0B9n
- 信子は妙に恥しさを感じながら、派手な裏のついた上衣をそつと玄関の隅に脱いだ。
- 888 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:42:47.34 ID:nTdTVG/WV
- 俊吉は彼女を書斎兼客間の八畳へ坐らせた。
- 889 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:50:33.11 ID:KwCEt0B9n
- 座敷の中には何処を見ても、本ばかり乱雑に積んであつた。
- 890 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 19:58:19.08 ID:nTdTVG/WV
- 殊に午後の日の当つた障子際の、小さな紫檀の机のまはりには、新聞雑誌や原稿用紙が、手のつけやうもない程散らかつてゐた。
- 891 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:06:04.73 ID:KwCEt0B9n
- その中に若い細君の存在を語つてゐるものは、唯床の間の壁に立てかけた、新しい一面の琴だけであつた。
- 892 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:13:50.39 ID:nTdTVG/WV
- 信子はかう云ふ周囲から、暫らく物珍しい眼を離さなかつた。
- 893 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:21:36.07 ID:KwCEt0B9n
- 「来ることは手紙で知つてゐたけれど、今日来ようとは思はなかつた。」――
- 894 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:29:21.72 ID:nTdTVG/WV
- 俊吉は巻煙草へ火をつけると、さすがに懐しさうな眼つきをした。
- 895 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:37:07.47 ID:KwCEt0B9n
- 「どうです、大阪の御生活は?」
- 896 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:44:53.32 ID:nTdTVG/WV
- 信子も亦二言三言話す内に、やはり昔のやうな懐しさが、よみ返つて来るのを意識した。
- 897 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 20:52:38.95 ID:KwCEt0B9n
- 文通さへ碌にしなかつた、彼是二年越しの気まづい記憶は、思つたより彼女を煩はさなかつた。
- 898 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:00:24.65 ID:nTdTVG/WV
- 彼等は一つ火鉢に手をかざしながら、いろいろな事を話し合つた。
- 899 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:08:10.35 ID:KwCEt0B9n
- 俊吉の小説だの、共通な知人の噂だの、東京と大阪との比較だの、話題はいくら話しても、尽きない位沢山あつた。
- 900 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:15:56.01 ID:nTdTVG/WV
- が、二人とも云ひ合せたやうに、全然暮し向きの問題には触れなかつた。
- 901 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:23:41.62 ID:KwCEt0B9n
- それが信子には一層従兄と、話してゐると云ふ感じを強くさせた。
- 902 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:31:27.26 ID:nTdTVG/WV
- 時々はしかし沈黙が、二人の間に来る事もあつた。
- 903 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:39:13.09 ID:KwCEt0B9n
- その度に彼女は微笑した儘、眼を火鉢の灰に落した。
- 904 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:46:59.52 ID:nTdTVG/WV
- 其処には待つとは云へない程、かすかに何かを待つ心もちがあつた。
- 905 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 21:54:45.46 ID:KwCEt0B9n
- すると故意か偶然か、俊吉はすぐに話題を見つけて、何時もその心もちを打ち破つた。
- 906 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:02:31.19 ID:nTdTVG/WV
- 彼女は次第に従兄の顔を窺はずにはゐられなくなつた。
- 907 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:10:17.04 ID:KwCEt0B9n
- が、彼は平然と巻煙草の煙を呼吸しながら、格別不自然な表情を装つてゐる気色も見えなかつた。
- 908 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:18:04.61 ID:nTdTVG/WV
- その内に照子が帰つて来た。
- 909 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:25:50.29 ID:KwCEt0B9n
- 彼女は姉の顔を見ると、手をとり合はないばかりに嬉しがつた。
- 910 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:33:35.94 ID:nTdTVG/WV
- 信子も唇は笑ひながら、眼には何時かもう涙があつた。
- 911 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:41:21.96 ID:KwCEt0B9n
- 二人は暫くは俊吉も忘れて、去年以来の生活を互に尋ねたり尋ねられたりしてゐた。
- 912 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:49:08.06 ID:nTdTVG/WV
- 殊に照子は活き活きと、血の色を頬に透かせながら、今でも飼つてゐる鶏の事まで、話して聞かせる事を忘れなかつた。
- 913 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 22:56:55.37 ID:KwCEt0B9n
- 俊吉は巻煙草を啣へた儘、満足さうに二人を眺めて、不相変にやにや笑つてゐた。
- 914 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:04:41.04 ID:nTdTVG/WV
- 其処へ女中も帰つて来た。
- 915 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:12:26.73 ID:KwCEt0B9n
- 俊吉はその女中の手から、何枚かの端書を受取ると、早速側の机へ向つて、せつせとペンを動かし始めた。
- 916 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:20:12.45 ID:nTdTVG/WV
- 照子は女中も留守だつた事が、意外らしい気色を見せた。
- 917 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:27:58.49 ID:KwCEt0B9n
- 「ぢや御姉様がいらしつた時は、誰も家にゐなかつたの。」
- 918 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:35:45.39 ID:nTdTVG/WV
- 「ええ、俊さんだけ。」――
- 919 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:43:31.18 ID:KwCEt0B9n
- 信子はかう答へる事が、平気を強ひるやうな心もちがした。
- 920 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:51:17.06 ID:nTdTVG/WV
- すると俊吉が向うを向いたなり、「旦那様に感謝しろ。
- 921 :以上、自作自演でした。:2018/06/28(木) 23:59:02.79 ID:KwCEt0B9n
- その茶も僕が入れたんだ。」
- 922 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:06:50.55 ID:yXcylg1rJ
- 照子は姉と眼を見合せて、悪戯さうにくすりと笑つた。
- 923 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:14:36.25 ID:fr7MlLG7U
- が、夫にはわざとらしく、何とも返事をしなかつた。
- 924 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:22:22.20 ID:yXcylg1rJ
- 間もなく信子は、妹夫婦と一しよに、晩飯の食卓を囲むことになつた。
- 925 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:30:07.96 ID:fr7MlLG7U
- 照子の説明する所によると、膳に上つた玉子は皆、家の鶏が産んだものであつた。
- 926 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:37:54.04 ID:yXcylg1rJ
- 俊吉は信子に葡萄酒をすすめながら、「人間の生活は掠奪で持つてゐるんだね。
- 927 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:45:40.29 ID:fr7MlLG7U
- 小はこの玉子から」――
- 928 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 00:53:26.47 ID:yXcylg1rJ
- なぞと社会主義じみた理窟を並べたりした。
- 929 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:01:12.33 ID:fr7MlLG7U
- その癖此処にゐる三人の中で、一番玉子に愛着のあるのは俊吉自身に違ひなかつた。
- 930 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:08:58.12 ID:yXcylg1rJ
- 照子はそれが可笑しいと云つて、子供のやうな笑ひ声を立てた。
- 931 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:16:43.73 ID:fr7MlLG7U
- 信子はかう云ふ食卓の空気にも、遠い松林の中にある、寂しい茶の間の暮方を思ひ出さずにゐられなかつた。
- 932 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:24:29.51 ID:yXcylg1rJ
- 話は食後の果物を荒した後も尽きなかつた。
- 933 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:32:15.31 ID:fr7MlLG7U
- 微酔を帯びた俊吉は、夜長の電燈の下にあぐらをかいて、盛に彼一流の詭弁を弄した。
- 934 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:40:01.11 ID:yXcylg1rJ
- その談論風発が、もう一度信子を若返らせた。
- 935 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:47:47.01 ID:fr7MlLG7U
- 彼女は熱のある眼つきをして、「私も小説を書き出さうかしら。」
- 936 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 01:55:33.03 ID:yXcylg1rJ
- すると従兄は返事をする代りに、グウルモンの警句を抛りつけた。
- 937 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:03:18.63 ID:fr7MlLG7U
- それは「ミユウズたちは女だから、彼等を自由に虜にするものは、男だけだ。」
- 938 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:11:04.43 ID:yXcylg1rJ
- 信子と照子とは同盟して、グウルモンの権威を認めなかつた。
- 939 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:18:50.14 ID:fr7MlLG7U
- 「ぢや女でなけりや、音楽家になれなくつて?
- 940 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:26:35.81 ID:yXcylg1rJ
- アポロは男ぢやありませんか。」――
- 941 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:34:21.47 ID:fr7MlLG7U
- 照子は真面目にこんな事まで云つた。
- 942 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:42:07.36 ID:yXcylg1rJ
- 信子はとうとう泊る事になつた。
- 943 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:49:53.25 ID:fr7MlLG7U
- 寝る前に俊吉は、縁側の雨戸を一枚開けて、寝間着の儘狭い庭へ下りた。
- 944 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 02:57:39.44 ID:yXcylg1rJ
- それから誰を呼ぶともなく「ちよいと出て御覧。
- 945 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:05:25.65 ID:fr7MlLG7U
- 信子は独り彼の後から、沓脱ぎの庭下駄へ足を下した。
- 946 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:13:11.65 ID:yXcylg1rJ
- 足袋を脱いだ彼女の足には、冷たい露の感じがあつた。
- 947 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:20:57.43 ID:fr7MlLG7U
- 月は庭の隅にある、痩せがれた檜の梢にあつた。
- 948 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:28:43.56 ID:yXcylg1rJ
- 従兄はその檜の下に立つて、うす明い夜空を眺めてゐた。
- 949 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:36:29.22 ID:fr7MlLG7U
- 「大へん草が生えてゐるのね。」――
- 950 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:44:14.91 ID:yXcylg1rJ
- 信子は荒れた庭を気味悪さうに、怯づ怯づ彼のゐる方へ歩み寄つた。
- 951 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:52:00.65 ID:fr7MlLG7U
- が、彼はやはり空を見ながら、「十三夜かな。」
- 952 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 03:59:48.42 ID:yXcylg1rJ
- と呟いただけであつた。
- 953 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:07:34.51 ID:fr7MlLG7U
- 暫く沈黙が続いた後、俊吉は静に眼を返して、「鶏小屋へ行つて見ようか。」
- 954 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:15:20.50 ID:yXcylg1rJ
- 鶏小屋は丁度檜とは反対の庭の隅にあつた。
- 955 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:23:06.20 ID:fr7MlLG7U
- 二人は肩を並べながら、ゆつくり其処まで歩いて行つた。
- 956 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:30:52.40 ID:yXcylg1rJ
- しかし蓆囲ひの内には、唯鶏の匂のする、朧げな光と影ばかりがあつた。
- 957 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:38:38.18 ID:fr7MlLG7U
- 俊吉はその小屋を覗いて見て、殆独り言かと思ふやうに、「寝てゐる。」
- 958 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:46:24.23 ID:yXcylg1rJ
- 「玉子を人に取られた鶏が。」――
- 959 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 04:54:10.20 ID:fr7MlLG7U
- 信子は草の中に佇んだ儘、さう考へずにはゐられなかつた。……
- 960 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:01:56.44 ID:yXcylg1rJ
- 二人が庭から返つて来ると、照子は夫の机の前に、ぼんやり電燈を眺めてゐた。
- 961 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:09:42.37 ID:fr7MlLG7U
- 青い横ばひがたつた一つ、笠に這つてゐる電燈を。
- 962 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:17:28.27 ID:yXcylg1rJ
- 翌朝俊吉は一張羅の背広を着て、食後々玄関へ行つた。
- 963 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:25:13.92 ID:fr7MlLG7U
- 何でも亡友の一周忌の墓参をするのだとか云ふ事であつた。
- 964 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:32:59.58 ID:yXcylg1rJ
- 午頃までにやきつと帰つて来るから。」――
- 965 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:40:45.40 ID:fr7MlLG7U
- 彼は外套をひつかけながら、かう信子に念を押した。
- 966 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:48:31.40 ID:yXcylg1rJ
- が、彼女は華奢な手に彼の中折を持つた儘、黙つて微笑したばかりであつた。
- 967 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 05:56:19.34 ID:fr7MlLG7U
- 照子は夫を送り出すと、姉を長火鉢の向うに招じて、まめまめしく茶をすすめなどした。
- 968 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:04:05.79 ID:yXcylg1rJ
- 隣の奥さんの話、訪問記者の話、それから俊吉と見に行つた或外国の歌劇団の話、――
- 969 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:11:52.08 ID:fr7MlLG7U
- その外愉快なるべき話題が、彼女にはまだいろいろあるらしかつた。
- 970 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:19:38.65 ID:yXcylg1rJ
- が、信子の心は沈んでゐた。
- 971 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:27:24.32 ID:fr7MlLG7U
- 彼女はふと気がつくと、何時も好い加減な返事ばかりしてゐる彼女自身が其処にあつた。
- 972 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:35:09.95 ID:yXcylg1rJ
- それがとうとうしまひには、照子の眼にさへ止るやうになつた。
- 973 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:42:55.67 ID:fr7MlLG7U
- 妹は心配さうに彼女の顔を覗きこんで、「どうして?」
- 974 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:50:41.38 ID:yXcylg1rJ
- と尋ねてくれたりした。
- 975 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 06:58:27.33 ID:fr7MlLG7U
- しかし信子にもどうしたのだか、はつきりした事はわからなかつた。
- 976 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:06:13.61 ID:yXcylg1rJ
- 柱時計が十時を打つた時、信子は懶さうな眼を挙げて、「俊さんは中々帰りさうもないわね。」
- 977 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:13:59.71 ID:fr7MlLG7U
- 照子も姉の言葉につれて、ちよいと時計を仰いだが、これは存外冷淡に、「まだ――」
- 978 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:21:45.35 ID:yXcylg1rJ
- とだけしか答へなかつた。
- 979 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:29:31.01 ID:fr7MlLG7U
- 信子にはその言葉の中に、夫の愛に飽き足りてゐる新妻の心があるやうな気がした。
- 980 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:37:16.63 ID:yXcylg1rJ
- さう思ふと愈彼女の気もちは、憂欝に傾かずにはゐられなかつた。
- 981 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:45:02.54 ID:fr7MlLG7U
- 「照さんは幸福ね。」――
- 982 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 07:52:48.31 ID:yXcylg1rJ
- 信子は頤を半襟に埋めながら、冗談のやうにかう云つた。
- 983 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:00:34.53 ID:fr7MlLG7U
- が、自然と其処へ忍びこんだ、真面目な羨望の調子だけは、どうする事も出来なかつた。
- 984 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:08:20.54 ID:yXcylg1rJ
- 照子はしかし無邪気らしく、やはり活き活きと微笑しながら、「覚えていらつしやい。」
- 985 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:16:06.19 ID:fr7MlLG7U
- それからすぐに又「御姉様だつて幸福の癖に。」
- 986 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:23:51.83 ID:yXcylg1rJ
- と、甘えるやうにつけ加へた。
- 987 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:31:37.49 ID:fr7MlLG7U
- その言葉がぴしりと信子を打つた。
- 988 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:38:22.85 ID:yXcylg1rJ
- 彼女は心もちを上げて、「さう思つて?」
- 989 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:45:08.59 ID:fr7MlLG7U
- 問ひ返して、すぐに後悔した。
- 990 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 08:52:54.26 ID:yXcylg1rJ
- 照子は一瞬間妙な顔をして、姉と眼を見合せた。
- 991 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:00:41.23 ID:fr7MlLG7U
- その顔にも亦蔽ひ難い後悔の心が動いてゐた。
- 992 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:08:27.40 ID:yXcylg1rJ
- 信子は強ひて微笑した。――
- 993 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:16:13.14 ID:fr7MlLG7U
- 「さう思はれるだけでも幸福ね。」
- 994 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:23:58.80 ID:yXcylg1rJ
- 二人の間には沈黙が来た。
- 995 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:31:46.33 ID:fr7MlLG7U
- 彼等は柱時計の時を刻む下に、長火鉢の鉄瓶がたぎる音を聞くともなく聞き澄ませてゐた。
- 996 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:38:32.27 ID:yXcylg1rJ
- 「でも御兄様は御優しくはなくつて?」――
- 997 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:46:18.54 ID:fr7MlLG7U
- やがて照子は小さな声で、恐る恐るかう尋ねた。
- 998 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 09:54:05.19 ID:yXcylg1rJ
- その声の中には明かに、気の毒さうな響が籠つてゐた、が、この場合信子の心は、何よりも憐憫を反撥した。
- 999 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:01:51.10 ID:fr7MlLG7U
- 彼女は新聞を膝の上へのせて、それに眼を落したなり、わざと何とも答へなかつた。
- 1000 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:09:37.71 ID:yXcylg1rJ
- 新聞には大阪と同じやうに、米価問題が掲げてあつた。
- 1001 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:17:23.73 ID:fr7MlLG7U
- その内に静な茶の間の中には、かすかに人の泣くけはひが聞え出した。
- 1002 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:25:08.55 ID:yXcylg1rJ
- 信子は新聞から眼を離して、袂を顔に当てた妹を長火鉢の向うに見出した。
- 1003 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:32:55.30 ID:fr7MlLG7U
- 「泣かなくつたつて好いのよ。」――
- 1004 :以上、自作自演でした。:2018/06/29(金) 10:40:41.68 ID:yXcylg1rJ
- 照子は姉にさう慰められても、容易に泣き止まうとはしなかつた。
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