2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10

581 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2020/07/10(金) 21:09:56.43 ID:QtzUXEel0.net
『戦国の軍隊』の著者の西股総生って人が最新号の『歴史群像』で、
「戦国大名の軍隊は兵種別編成だったのか?」って記事を書いてる

>室町時代までの軍隊は、たしかに「領主別編成」の原理で成り立っていた。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%B5%B5%E5%B7%BB.jpg
>薙刀を持った歩兵や馬の口取りが弓騎兵を囲む「輪形陣」は、
>領主別編成による戦闘単位の典型的な姿を示している。

つまり、御恩と奉公の時代は仕える主君と家臣が決まっている以上、
騎兵だけ、歩兵だけという兵種を揃えた部隊を作るのは困難で、
兵種混合であるのが当然であったと
(○○という武士とその一族的な単位)
それが、戦国時代には足軽・雑兵などの臨時雇い兵が大幅に増えたので、
兵種別編成を行えるようになったというのが著者の主張ね
対して、学会では戦国時代になっても、
兵種別編成はできてなかったのというのが通説とのこと

一方、室町時代よりさらに以前の鎌倉時代に、
>元朝の官吏・王ツは、元寇の際の武士の様子を
>騎兵は結束す。
>武士が騎兵を結束させて集団で戦っていたことを指摘している。
元寇の際に武士団が兵種を揃えて戦うという、
近代的な戦術を実現できていたってことに、
どういう経緯があったのか気になるね
物凄く指導力がある人がいてそれをさせたのか、
はたまた、強力な元軍に対抗する必要性に迫られたから実行できたのか……

総レス数 1010
245 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200