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【Σp[【◎】]ω・´)】小泉八雲の和服写真 山陰初の写真師・森田禮造が撮影

1 :ひよこ ★ :2020/02/27(木) 20:03:22.38 ID:CAP_USER9.net
https://www.sankei.com/life/news/200227/lif2002270069-n1.html
2020.2.27 19:00

https://www.sankei.com/images/news/200227/lif2002270069-p1.jpg
撮影者が森田禮造と判明した小泉八雲の和服姿の写真(小泉家所蔵)


 「怪談」などの著書で知られる作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850〜1904年)の和服姿の写真が、山陰初の写真師、森田禮造(1848〜1920年)の撮影したものだったことが松江歴史館の調べでわかった。松江市内にあった森田の写真館で撮影したものという。

 松江とゆかりの深い八雲は、同市での滞在期間は明治23年8月から翌年11月にかけてのわずか1年数カ月だったものの、妻となるセツと出会い、日本の民話や伝説などを数多く聞いた。世界中で読まれている「怪談」など、松江での経験が、その後の創作活動に大きく影響したとされる。

 八雲は16歳のとき、事故で左目を失明。成人になってからの写真は、伏し目がちのものや、左目を隠すように右側の顔を見せたものが多い。このうち、羽織はかまを身に着けた立ち姿の写真は特に知られているが、「松江時代の写真」という以外、具体的な撮影者名や撮影場所は不明だった。

 同館は、松江出身の元首相、若槻礼次郎の養父母が写ったガラス写真(所蔵品)を調査していたところ、背景にある壁やじゅうたんが八雲の写真の背景とそっくりであることを発見。写真を入れていた箱には、「明治23年2月」という撮影日と当時、松江市殿町にあった森田の経営する写真館のスタンプがあったことなどから、八雲の写真も同じ場所で森田が撮影したことがわかった。

 森田は、幕末の志士・坂本龍馬らの写真を撮影するなど「写真の開祖」と呼ばれた上野彦馬から写真術を学んだ人物。山陰地方では初めての写真師とされる。

 同館の西島太郎・学芸員は「若槻家から、養父母の写真が(同館に)寄贈されていなければわからなかった新事実。小泉八雲が稲荷神社のキツネを森田に撮影させたという新聞記事も残っており、八雲が森田を気に入っていたことが今回の発見からも裏付けられた」と話している。

        ◇

 今回、撮影者が確認された小泉八雲の写真パネルと若槻の養父母のガラス写真は、同館で開催中のスポット展「山陰地方初の写真師森田禮造とその弟子堀市郎」で展示されている。3月18日まで。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。 [ニダ]:2020/02/27(木) 20:19:56.60 ID:yWlpAg1u0.net
雪の多さに閉口して松江を出た割に、松江で大事にされてるね。

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