2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【工アア】JU5T D0 1T【ヅョウダソ】

1 :レインボーQ:2021/01/18(月) 09:08:06.98 ID:kylfanEDw
世界中いつだって笑いあり涙あり。

992 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:39:54.78 ID:IUfPLKffb
アマチュアリズムの崩壊とプロ化
アマチュアリズムの根底には「スポーツは貴族のもの」という階級主義があると考
える人も多くいて世界に反階級主義が広がる中、アマチュアリズムはだんだんと軽
んじられてきた。アマチュアリズムを徹底するとオリンピックは働かないでもスポ
ーツに専念できる資産家ほど活躍できる状況になってしまうのであった。

一方で共産圏、旧共産圏の国や日本がスポーツアスリートを公務員として雇ったり
、日本ではスポーツに専念している実質のプロ選手を国・自治体・公共団体・企業
が雇うステートアマチュア、企業アマチュアが横行しアマチュアリズムを進めるに
はステートアマチュア、企業アマチュアをやっていない国からの不満が抑えられな
い状況になっていた。

1974年ウィーンでのIOC総会においてオリンピック憲章からアマチュア条項が削除
されプロ選手の参加は各競技の国際競技連盟に任されることになった。

そののち、IOC内での「オリンピックを最高の選手が集う場にしたい」という意志
と商業主義の台頭もあり、プロ選手の参加は促され、1992年のバルセロナ大会では
バスケットボール競技でアメリカのNBA所属の選手による「ドリームチーム」が結成
され、大きな話題となった。

冬季オリンピックじゃないよとかいわないで〜?

993 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:43:55.78 ID:IUfPLKffb
アジェンダ2020
21世紀に入ってから、オリンピックの開催地は2008年が北京(中華人民共和国)、
2016年が南米初のリオデジャネイロ(ブラジル)といったBRICs各国に広まる。
一方で、開催国の負担する費用の高騰化が敬遠され、立候補都市数は1997年入札
の2004年大会時の12都市をピークに漸減しており、2010年代からは2〜3都市で推
移している。2017年入札の2024年大会では立候補都市がパリとロサンゼルスのみ
に留まり、IOCはオリンピック憲章の規約(開催の7年前に開催都市を選定する)
に反し、2017年に2024年大会の開催地をパリに、2028年大会の開催地をロサンゼ
ルスに割り振る決定を下した。

オリンピックが再び1980年代以前の冬の時代に戻ることを回避するための改革と
して、トーマス・バッハ第9代会長を中心に40項目の改革案「オリンピック・アジ
ェンダ2020」が発案され、2014年12月のIOC臨時総会で採択された。その一つに
参加選手数を夏季大会では約1万500人に抑えるポリシーがある(競技数28の現行
上限を撤廃して種目数は約310に)[6][7]。1984年のロサンゼルスが6829人(221種目)
だったが、2008年の北京では10942人(302種目)まで増大していた。他にも、開
催候補地の負担を減らすこと[8]や、八百長防止と反ドーピング活動のための資金
提供を行うことなどが、盛り込まれた[9]。

コーポレートガバナンスマネーと、ソーシャルガバナンスマネー?を間違えたとです。
黒字ってことはスポーツ熱が凄かったんじゃないの?中国とイギリス。
基本は、入場料収入ってなるよね?
スポンサーが凄い集まったってことなんじゃない?ってのももう1つあるよね。
経済効果だと未知なところもあるっしょ。

994 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:44:52.57 ID:IUfPLKffb
アレって日本独自ってことで進めていくんでしょ?
近代オリンピックに相応しい聖火のスタートです。

995 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:46:45.75 ID:IUfPLKffb
由来と神話

ゼウス神殿東の群像装飾(左:オイノマオス、中央:ゼウス、右:ペロプス)
ギリシア神話に残る祭の起源には諸説ある。

ホメーロスによれば、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレ
ウスが競技会を行った[1]。これがオリュンピア祭の由来であるとする説がある。
別の説によれば、約束を破ったアウゲイアース王を攻めたヘーラクレースが、勝利
後、ゼウス神殿を建ててここで4年に1度、競技会を行った、といわれる。さらに別
の説によれば、エーリス王・オイノマオスとの戦車競走で細工をして王の馬車を転
倒させて王を殺し、その娘・ヒッポダメイアと結婚したペロプスが、企てに協力し
た御者のミュルティロスが邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを
感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いた。ペロプスの没後も競技会は続
き、これが始まりだ、というものである。

いずれにせよ、神話に残る競技会は何らかの事情で断絶し、有史以後の祭典とは連
続性をもたない。なおこれらの伝承のうちのいくつかは、エーリス市民らがオリン
ピックの由来を権威付けるために後に創作したものも含むと考えられる。

996 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:47:46.65 ID:IUfPLKffb
オリンピック以外の古代ギリシア競技祭典
四大競技祭典開催地(オリュンピア、デルポイ、イストモス、ネメアー)
オリュンピアで行われるオリュンピア祭は、ギリシアにおける四大競技大祭のうち
の一つであった。これらの四つの競技大会は以下の通りである。

オリュンピア大祭:開催地オリュンピア 4年に1度開催 祭神:ゼウス
ネメアー大祭:開催地ネメアー 2年に1度開催 祭神:ゼウス
イストモス大祭:開催地イストモス(現・イストミア) 2年に1度開催 祭神:ポセイドン
ピューティア大祭:開催地デルポイ 4年に1度開催 祭神:アポロン
これら4つの競技大祭のうち、大神であるゼウスに捧げられるオリュンピア祭が最
も盛大に行われた。

ゼウスが男神であることから、オリュンピア祭は女人禁制であった。そして奉納競
技において競技者が裸体となることが関係していたとも考えられる。ポリスの日常
生活にかかせない体育競技場においては、男性であっても競技を行わず衣服をまと
って入場することがはばかられたほどであった。ただし、戦車競走では御者ではな
く馬の持ち主が表彰されたので、女性が表彰された例はわずかにある。

しかし、女子競技の部ともいうべきヘーライアという祭りが行われていた時代もあ
る。これは名のとおりゼウスの妃ヘーラーに捧げる祭りで、オリュンピア祭と重な
らない年に行われていた女子のみの祭典となっている。競技は短距離走のみで、右
胸をはだけた着衣で行われたと当時を伝える像から考えられており、現在の夏季五
輪のメダルに浮き彫りにされた勝利の女神はこれを着用している。競技優勝者には
オリーブの冠と犠牲獣の肉が分け与えられ神域に自身の像を残す事が許されている
が、実際は肖像を壁画に残す等の事が多く行われている。

なお、オリュンピア祭では体育だけでなく詩の競演も行われたことが伝わっている。

997 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:48:55.31 ID:IUfPLKffb
初期の古代オリンピック
古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の
蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ
、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競
技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結
んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というも
ので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤
はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュ
クールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある[要出典]。

こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうち
の記録は残っていない。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行わ
れた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数え
るのが通例である。勝者はエーリスのコロイボスであった。ただし、さきの円盤の
作成年代などから推測して、この古代オリンピックの開始年は、もう少し遡ると考
えられている。競技会の行われた季節は麦の刈り入れが終わり、農民が若干暇にな
るユリウス暦の8月だったと考えられている[要出典]。

最初はエーリスとスパルタの2国のみの参加だったオリュンピア大祭は、正確に4年
に一度開催され続け、しだいに参加国も増えてきた。そしてついに全ギリシア諸国
が参加するようになった。この大会はギリシア共通で使われる暦の単位にもなった
。オリュンピアードという単位で、これはあるオリュンピア大祭が開催されてから
次の大祭が開催されるまでの4年間を示す。年を特定するためには「第○○オリュン
ピアードの第×年」と数える[2][要出典]。

998 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:51:29.54 ID:IUfPLKffb
中期の古代オリンピック

オリュンピアのゼウス神殿(復元図) 古代オリュンピア聖域(復元想像図)
オリュンピア大祭は、エーリス州のゼウスの神殿が建てられたオリュンピアの聖域
にある競技場(スタディオン等)で開催された。開催1ヶ月前には開催を告げる使
者がギリシア全体を回り、大会開催中の1か月の間は休戦となった。のちに参加都
市国家が増えると、休戦期間はオリンピック開催時を含め前後に合計3か月伸びた。
この休戦期間をエケテイリアという。この休戦は、オリュンピアに向かう競技者や
観客の旅の安全を保障するためであった。ゼウスは旅行者の守護神であり、オリュ
ンピア祭への旅の道はとりわけゼウスによって加護されると考えられた。そして、
この禁を破った国はオリュンピア祭への参加が拒否されたほか、他国から外交関係
を絶たれることにもなった。スパルタは実際に禁を犯してエケテイリアの時期に他
国を攻めたため、オリュンピア大祭に参加できなかったことがある。このほか、オ
リュンピアをピーサに征服されたエーリスが、オリュンピア大祭開催中にオリュン
ピアに攻め込んだこともあった。

大祭は初期にはスタディオン走のみで1日で終了した。のちしだいに競技種目も増
え、紀元前472年には5日間の大競技会となっていた。参加資格のあるのは、健康で
成年のギリシア人の自由人男子のみで、女、子供、奴隷は参加できなかった。不正
を防ぐため、全裸で競技が行われ、指導者も全裸だった[3]。勝者には勝利の枝(こ
の枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス
神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。

競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合い
は固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかっ
た。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。パンクラティオンで相手が
降参するのと同時に倒れて死んだ勝者に対して審判が冠を授けたという。

999 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:52:45.13 ID:IUfPLKffb
審判はきわめて初期はエーリス王が当たったが、競技の数が多くなるとエーリス市
民からくじで選ばれた。選ばれた審判たちは、オリンピック期間中、神官として扱
われた。審判はエーリスに設けられた専門の施設で競技規則について10か月に渡り
専門家から教えを受けた。その間に、続々と各国から選手が集まり、1か月前になる
と、選手とともに合宿練習をして、練習試合の間にまた規則の確認を行った。予選
もここで行われた。
オリュンピアのスタディオン
大会直前になると、エーリスからオリュンピアまで全選手、役員が行進した。距離
は50キロ以上になる。

競技会初日は開会式兼儀式が行われ、最終日は勝者のための宴が丸1日かけて催さ
れた。競技は間の3日間で行われた。

競技は第1回からの伝統である192メートル(1スタディオン)のスタディオン走の
ほか、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技、円盤投
、やり投、レスリング、ボクシング(拳闘)、パンクラティオン、戦車競走、走り
高跳びなどがあった。少年競技の部もあったが種目は少なかった。最終種目は武装
競走だった。盾を手に1スタディオンを走って往復する。戦車競走では、勝者への冠
は御者ではなく、馬車の所有者に与えられた。このため、女性でオリーブの冠を授
かった者が2名いる。体育のほか、詩の競演なども行われた。

女性の参加と観戦に関しては、研究者の間で意見が分かれている。そもそも、競技
大祭中は、オリュンピアには女は入れなかった、という説と、神殿と競技場には入
れずに、外でテントを張って待っていた、という説と、競技場内でもフィールドに
立ちさえしなければ実質的には咎めはなかった、という説と、未婚女性に限り、競
技場観客席での観戦が許された、という説がある[3]。少なくともエーリスの女神
官が観戦していたことだけは確からしい。女人禁制の掟を破ったものは、崖から突
き落とされる(実質的には死刑)というルールであったが[3]、記録に残る限り適
用例はなく、象徴的なルールであったとも考えられる。

1000 :レインボーQ:2021/03/25(木) 08:54:13.71 ID:IUfPLKffb
オリーブの冠を授かった者は、神と同席することを許された(競技会後、オリュン
ピアの神殿敷地内に優勝者の像がつくられることに由来する)者として、故郷で盛
大に迎えられた。祖国の神殿に像が作られた競技者もいるし、税が免除されること
もあった。いずれにしても祖国の歴史にながく名が刻まれることになった。

オリュンピア遺跡にあるフィリペイオン
マケドニア王国の人々は、国政が都市国家でない上に辺境に住んでいたため、ギリ
シア人であるにも関わらず古代オリンピックに参加していなかった。しかし、アレ
クサンドロス1世は自らの先祖をヘーラクレースと主張し、結果としてギリシア人
であると認められ、紀元前6〜5世紀頃から古代オリンピックに参加できるようにな
った[4]。後にピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利した際には、フィリペイ
オンというイオニア式のトロスが献納されている。アレクサンドロス大王がアレク
サンドロスと名付けられたのも、ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に
彼が生まれたので、それを記念し、マケドニア王で初めて古代オリンピックに参加し
たアレクサンドロス1世から名を取ったという[4]。

ローマの人々も、神話によって自らの祖先がギリシア人であると証明し、紀元前6世
紀頃から既にギリシア都市国家に混じって参加を許されていた[5]。このように、神
話によって民族の系譜を遡り、それが最終的にギリシア人へと行き着くならば、例え
バルバロイであっても参加は可能であった。

1001 :1001★:Over 1000 Comments
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

総レス数 1001
209 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★