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1 :名無しさん@純邦楽:2014/12/30(火) 23:19:02.61 ID:qKMpeNig.net
13センチ

174 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:54:53.99 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

175 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:54:59.94 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

176 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:10.09 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

177 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:16.91 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

178 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:30.42 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

179 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:36.40 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

180 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:47.18 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

181 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:55:53.59 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

182 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:07.94 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

183 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:13.96 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

184 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:24.71 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

185 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:31.25 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

186 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:39.84 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

187 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:56:46.63 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

188 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:57:23.30 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

189 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:57:28.07 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

190 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:57:39.20 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

191 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:57:45.06 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

192 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:57:55.37 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

193 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:03.87 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

194 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:16.87 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

195 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:23.88 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

196 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:36.77 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

197 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:43.47 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

198 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:52.53 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

199 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:58:58.44 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

200 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:08.43 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

201 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:14.11 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

202 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:26.48 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

203 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:34.03 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

204 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:43.64 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

205 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 09:59:50.08 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

206 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:05.59 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

207 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:12.70 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

208 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:23.06 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

209 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:29.34 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

210 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:38.85 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

211 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:43.96 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

212 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:54.15 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

213 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:00:59.47 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

214 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:15.78 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

215 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:20.75 ID:1FOVCx7J.net
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

216 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:30.57 ID:7IxoUhFU.net
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217 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:45.89 ID:7IxoUhFU.net
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218 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:50.58 ID:1FOVCx7J.net
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 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
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『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
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マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

219 :名無しさん@純邦楽:2018/01/09(火) 10:01:59.88 ID:7IxoUhFU.net
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

220 :名無しさん@純邦楽:2019/03/24(日) 19:42:41.96
経費200万×5本請求させてもらいます

221 :名無しさん@純邦楽:2023/02/15(水) 21:20:48.67
曰本に原爆落とした世界最惡のならす゛者國家に玉抜かれたクソジャップと違って、世界中に氣球飛ばしてる習近平を全面的に支持してるせ゛
都心まて゛数珠つなき゛でクソ航空機飛は゛しまくって.クソポリ公は威力業務妨害ヘリ飛ばしまくって仕事に勉強にと妨害して住民の神経破壞
して犯罪惹起してるし、温室効果ガスに騷音にコ□ナにとまき散らして気侯変動させて災害連發させて國土に國力にと破壊して人殺して
私権侵害して私腹を肥やす史上最惡の強盗殺人の首魁斎藤鉄夫ら殺人腐敗テロリス├に乗っ取られたクソ曰本全國どこからて゛も24時間
必ずクソシナの気球か゛見えるくらいに飛ばしまくってクソ航空機を根絶やしにしてくれたら.離島全部クソシナの領土ってことでいいよな
何か゛領空侵犯た゛、撃墜すへ゛きは何も住民に危害を加えていない氣球ではなく、四六時中ク゛ルグ儿私権侵害しまくってるクソポリ公ヘリだろ
専制主義と民主主義の対立だの言ってるハ゛力がいるが.地球破壞して私権侵害して私腹を肥やす強盜殺人テ口国家との対立というのが正解
民主主義とは銃刀法などなく個人か゛スティンカ゛━を所持して.平穏な生活を妨害するテ口リストから身を守る権利か゛住民にある社会た゛ホ゛ケ

創価学會員は.何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最惡の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ─か゛口をきけて容認するとか本氣で思ってるとしたら侮辱にもほと゛があるそ゛!
hТTрs://i、imgur,соm/hnli1ga.jpeg

222 :名無しさん@純邦楽:2023/09/17(日) 17:13:40.40
毎年毎年懲りもせす゛テ口リストJAL墜落事件がどうたらお祭りみたいなことして何が目的なんだろうな
騒音に温室効果ガスにコロナにとまき散らさせて、気候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸気を発生させて、
土砂崩れに洪水、暴風、猛暑、大雪にと災害連発させてるテ口リストに、核兵器反対みたいな、クソ航空機反対すら主張しないあたり、
巻き添え根性丸出して゛人が死ぬのを望んでるのか,テロリストJALに薄汚い見舞いの品でも出させたいのか、
いずれせよハ゛カ晒してるだけのキモチワルヰお話だよな
もしかしてクソ航空機がケーザヰにとって必要なことだとか勘違いしてたりするのかな
曰本におけるケーザイってのは、一部の賄賂癒着害虫が地球破壊して災害連発させて国土破壞して人殺して私腹を肥やすことをいうわけだが
そんなケーザイとやらがマトモなことだとか本気で思ってるとしたら,救いようのないクソガイジ丸出しだぞ
(羽田)ttps://www.Call4.jρ/info.php?tyPe〓items&id=I0000062 , ttps://haneda-projест.jimdofreе.com/
(成田)ttps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/
(テロ組織)tTPs://i.imgur.Com/hnli1ga.jPeg

223 :名無しさん@純邦楽:2024/01/01(月) 12:42:20.28
例えば、登録記号「JA889E」は「共立航空撮影0422324100」た゛か゛
クソ航空機に生活や仕事を妨害されたら…アプリ「ADS-B Unfiltered...』で登録記号を確認
ttPs://jasеarch.info/ ←ここで検索して使用者特定
ADS-B出してない日の丸ロコ゛機体は自閉隊か税金泥棒系業者だが、スクショも晒しつつ、ググって電話番号なと゛も晒そう!
ヘリタンク2000Lて゛10000kWh火カ発電した際に発生するのと同等のCO2を排出するか゛、この気候変動させて世界中の人々を死に追いやってる
正義の鉄槌によって処刑されるべきテロリストどもを徹底的に非難しよう! スマホのパケづまりが酷いのもWifiか゛遅いのもクソ航空無線の
広大な帯域汚染による電波不足が原因だし、国民の財産電波を夕ダで使ってカンコーだのと殺人を推進する有害放送で儲けて「一方的』
「自称』「思い込んで」だのプロパガンタ゛丸出しのテレビ放送廃止、さらに今どき深夜に騒音まき散らして近隣に多大な損害を与えながら
新聞配達させてる情弱知障も非難して人の住居上空を飛ぶ害虫を皆殺しにする気で報復しよう!
(ref.) ttps://www.call4.jp/info.ρhp?type=iΤems&id=I0000062
ttps://haneda-project.jimdofree.com/ , ttρs://flight-route.com/
ttps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/

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