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何を書いても構いませんので@生活全般板1148

1 :おさかなくわえた名無しさん:2021/02/27(土) 21:14:09.79 ID:Z3o4COlK.net
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何を書いても構いませんので@生活全般板1147
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612 :おさかなくわえた名無しさん:2021/03/04(木) 04:11:38.07 ID:g536BdlX.net
NHK取材班「原発事故で東日本が壊滅しなかったのは偶然だった」
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1614735834/

福島原発事故「10年目の真実」…「東日本壊滅」という最悪シナリオを回避できた「本当の深層」(NHKメルトダウン取材班) | マネー現代 | 講談社(1/7)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80522
3/3
なぜ、福島第一原発事故は、「東日本壊滅」という最悪シナリオを回避できたのか。
事故後、10年にわたって1500人以上の関係者や専門家を取材、事故を検証してきたNHKメルトダウン取材班は、
『福島第一原発事故の「真実」』で、東日本壊滅が避けられたのは、いくつかの僥倖が重なった「偶然の産物」だったというショッキングな分析を明らかにした。

あの事故で死を覚悟した時はあったのか。
この10年、事故対応にあたった幾人もの当事者にそう尋ねてきた。ほぼ例外なく「死ぬと思った」という答えが返ってきた。
とりわけ事故4日目の3月14日、2号機が危機に陥った時「もう生きて帰れないと思った」と語る人が多かった。家族に宛てて書いたという遺書を見せてくれた人もいた。
このとき、冷却が途絶えた2号機は、何度試みてもベントができなくなり、なんとか原子炉を減圧したが、消防車の燃料切れで水を入れることができず、原子炉が空焚き状態になった。
テレビ会議では、吉田所長や武藤副社長が血相をかえて「格納容器がぶっ壊れる」「とにかく水をいれろ」と怒鳴っている。

後に吉田所長は、「このまま水が入らないと核燃料が格納容器を突き破り、あたり一面に放射性物質がまき散らされ、東日本一帯が壊滅すると思った」と打ち明けている。
吉田所長が語った「東日本壊滅」は、事故後、専門家によってシミュレーションが行われている。
当時の菅総理大臣が近藤駿介原子力委員会委員長に事故が連鎖的に悪化すると最終的にどうなるかシミュレーションをしてほしいと依頼して作成された「最悪シナリオ」である。

613 :おさかなくわえた名無しさん:2021/03/04(木) 04:13:45.43 ID:g536BdlX.net
>>612続き
そこに描かれていたのは、戦慄すべき日本の姿だった。
最悪シナリオによると、もし1号機の原子炉か格納容器が水素爆発して、作業員が全員退避すると、
原子炉への注水ができなくなり、格納容器が破損。
2号機、3号機、さらに4号機の燃料プールの注水も連鎖してできなくなり、各号機の格納容器が破損。
さらに燃料プールの核燃料もメルトダウンし、大量の放射性物質が放出される。

その結果、福島第一原発の半径170キロメートル圏内がチェルノブイリ事故の強制移住基準に達し、
半径250キロメートル圏内が、住民が移住を希望した場合には認めるべき汚染地域になるとされている。
半径250キロメートルとは、北は岩手県盛岡市、南は横浜市に至る。
東京を含む東日本3000万人が退避を強いられ、これらの地域が自然放射線レベルに戻るには、数十年かかると予測されていた。

この東日本壊滅の光景は、2号機危機の局面で、吉田所長だけでなく最前線にいたかなりの当事者の頭をよぎっている。
しかし、2号機の格納容器は決定的には破壊されなかった。なぜ、破壊されなかったのか。そこに、決死の覚悟で行われたいくつかの対応策が何らかの形で貢献していたのだろうか。
私たち取材班は、この疑問にこだわって、事故から10年にわたって事故対応の検証取材を続けてきた。
この謎を解き明かすことが、人間は核を制御できるのかというこの事故が突きつける根源的な問いの答えに近づけるのではないかと考えたからである。

なぜ、格納容器は破壊されなかったと思うか。
免震棟にいた何人もの当事者にも聞いたが、明確な答えは返ってこなかった。
原子炉が空焚きになって2時間後に始まった消防注水が奏功したのではないかと水を向けても、事故対応の検証に真摯に向き合っている当事者ほど「証拠がなく安易なことはいえない」と首を振った。

614 :おさかなくわえた名無しさん:2021/03/04(木) 04:14:06.59 ID:g536BdlX.net
>>612-613続き
事故から10年。この謎を包んでいた厚いベールが剥がれ始めてきた。
廃炉作業が進むうちに原子炉や格納容器に溶け落ちた核燃料デブリの状態が垣間見えてきたからである。

ベントができず肝心なときに水が入らなかったため過酷な高温高圧状態だったと思われた2号機の原子炉や格納容器の中には、
思いのほか溶け残っている金属が多く、予想に反して高温に達していなかったことがわかってきた。
その理由は、皮肉にも肝心なときに水が入らなかったことではないかと研究者は指摘している。
メルトダウンは、核燃料に含まれるジルコニウムという金属と水が高温下で化学反応を起こすことで促進される。
消防車の燃料切れでしばらく水が入らなかった2号機は、水─ジルコニウム反応が鈍くなり、1号機や3号機に比べて原子炉温度が上昇せず、メルトダウンが抑制された可能性が出てきたのである。

さらに格納容器は破壊ぎりぎりの高圧になったが、上部の繫ぎ目や、配管との接続部分が高熱で溶けて隙間ができ、図らずも放射性物質が漏れ出ていたことも破壊を防いだ一因とみられている。

そして2号機は、電源喪失から3日間にわたってRCICと呼ばれる冷却装置で原子炉を冷やし続けていたため、核燃料のもつ熱量が、1号機や3号機に比べると小さくなり、
メルトダウンを抑制させたのではないかと指摘する専門家もいる。

こうした僥倖が複雑に折り重なって、格納容器は決定的に壊れなかった。しかし、もしこの僥倖の何かが欠けていれば、果たしてどうなっていたか。
吉田所長ら当事者の頭を「最悪シナリオ」がよぎった後、私たちの目の前に、事故後日本社会が積み上げてきた10年とまったく違った10年が広がっていたのかもしれない。

核の暴走に人間が向き合った最前線では、時に決死の覚悟と英知が最悪の事態からの脱出に寄与したこともある。
2号機の危機でも3日間奇跡的に原子炉を冷却し続けたRCICは、津波で電源喪失する直前に中央制御室の運転員がとっさの判断で起動させたものだった。

しかしこうした人間の力をはるかに超えた偶然が重なって、2号機は格納容器が決定的に壊れるという事態を免れた。
それが事故から10年経って見えてきた「真実」ではないだろうか。

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