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セラミックエンジンはなぜ消えた? 悪夢か、それとも貴重なヒントか [きつねうどん★]
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乗用車用を想定したいすゞの試作エンジン
いまは昔、セラミックエンジンなるもの、ありにけり……。
こう書き始めなければならないくらい、すでに昔の話である。日系2世エンジニア、ロイ・カモ氏がカミンズ・エンジン・カンパニーで仕事を始めたのは1948年、氏は83年に退社するまで熱機関研究所でエンジン研究一筋に過ごした。セラミックエンジンの研究は70年代末に着手され、カモ氏がカミンズの役員に就任した82年には試作セラミックエンジンを米陸軍の5tトラックに搭載し、インディアナ州コロンバスからワシントンD.C.まで1.6万kmのデモ走行を敢行している。そして、氏が米国SAEでセラミックDE(ディーゼルエンジン)について講演を行なって以降、世界の多くのDEメーカーがこの方式の研究に殺到した。
そもそもこのエンジンはAFV(装甲戦闘車両)を想定していた。のちに米陸軍は、湾岸戦争でガスタービン搭載M1戦車のトラブルに悩むが、冷却システムが要らないという触れ込みのセラミックエンジンは戦場での使用が目的であり、断熱による熱効率向上が目的ではなかった。戦車などAFVのラジエーターは車体上面に置かれるため、航空機からの攻撃に極めて弱い。ラジエーター不要になれば車体すべてを装甲で覆うことができ、被弾の脆弱性は一気に解消される。そのためのエンジンだった。
日本ではいすゞによるセラミックエンジンの研究がもっとも有名だが、神奈川科学アカデミーでも研究されていた。責任者は慶應義塾大学教授で、のちにSIP革新的燃焼技術プロジェクトのガソリンエンジン・リーダーを務めた飯田訓正氏。論文は東京工業大学の神本武征(かみもとたけゆき)教授が担当された。筆者は、当時神奈川科学アカデミーで飯田教授の補佐としてセラミックエンジンの研究に当たられていた方に話を伺った。
「セラミックDEは冷却水に逃げる熱は減るが、排ガスに逃げる熱が増えてしまう。市販車はこれではダメ。いすゞがセラミックDEターボの下流にターボ発電機を置いてターボコンパウンドを始めたのは、その熱の回収のためだった。セラミックエンジンはシリンダー壁面が熱くなるので、吸気バルブから取り入れた新気への熱放出が大きい。瞬時の熱計測を行なうと、吸気行程では普通のディーゼルよりマイナス、燃焼後のシリンダー壁面流入は大きく、サイクル平均では熱損失で歩が悪かった」
いすゞでのセラミックDE研究はNA(自然吸気)で始まり、のちに過給DEとなる。しかし排ガスのエネルギーが大きいためターボでも吸収しきれず、ターボコンパウンドでの回収が試みられた。あとで聞いた話では、ターボをふたつ使うため排気位置でのポンピングロスが大きく、仮に冷損が少なかったとしてもDE全体の効率としては疑問だった、とのことだ。
ちなみに、いすゞのセラミックDEはアルミブロックにセラミック製ライナーで、燃焼室まわりはピストンリングも含めてオールセラミックだった。日本製なのでセラミックの質と工作精度が高く、カミンズでの研究よりも「深いところまで入れた」と聞いたが、実際にはどうだったのだろう。
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