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彼方「朝に香る」
- 1 :名無しで叶える物語:2020/02/18(火) 01:13:03.82 ID:lVSXVMmF.net
- ・彼方×果林
・バレンタイン
・地の文
よろしければ
- 36 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:30:21.78 ID:B1J/FUhf.net
- 「ごめん! 遅くなって…!」
がちゃり、とやや乱暴にドアが空いて、そんな言葉が飛び込んできた。
おかえりー、と間延びした声で迎えると、果林ちゃんは両手いっぱいにチョコの紙袋を抱え込んでて。
朝も昼も放課後だって、いっぱい貰ってたのに、一体どれだけモテるのか。
嫉妬を通り越して、素直に驚いてしまう。
「おぉ…またまたすごい量…」
「本当。でもこれ、全部私宛てって訳じゃないのよ?」
「え? 果林ちゃんに渡してるのに…?」
「えーっと、ほら、同好会の中ではエマと私が寮生だって、ちょっと調べたら出てくるでしょ? だから外部の人は一旦寮に送ってるみたいなの」
一旦私とエマで預かってるってわけ、もちろん彼方のもあるわよ、とひとつ、可愛いラッピングがされたものを手渡される。
To 近江彼方 ちゃん。
おぉ、ほんとだ。これは嬉しい…けど…。
「…これ、誰かに怒られない?」
「うーん、確かに…。危険物の可能性がどうとかって、生徒会長に言われちゃいそうね」
……。
ごめんね、と呟いて、可愛いプレゼントを紙袋の山にご返却です。
- 37 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:31:16.34 ID:B1J/FUhf.net
- 「……」
「……」
エマちゃんに、外部の人から受け取ったチョコは、まだ手を付けちゃダメよ、と果林ちゃんが連絡を入れたあと。(ちなみにそのとき、そんなぁ、というふにゃふにゃの声が聞こえた。)
果林ちゃんのお部屋になんとも言えない沈黙が降りていた。
どう、しようかな。どっちから切り出すのが自然だろう。
お部屋に誘ったのは果林ちゃんで、リクエストを先にしたのもあっち。
でも今回にすごく懸けてるのは彼方ちゃんだし、だとしたら…。
〜♪
…びっくりした。電子音。彼方ちゃんのスマホ…遥ちゃんからだ。
果林ちゃんのどうぞ、って合図を待って、電話に出る。
- 38 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:32:17.62 ID:B1J/FUhf.net
- 「…もしもし」
『もしもしお姉ちゃん? 今日遅いし連絡もないけど…お泊まり?』
「お泊まり…?」
うっかりしていた。狼狽えてしまい、思わずおうむ返し。
すると遥ちゃんではなく果林ちゃんが反応して、帳簿につければ大丈夫よ、と真顔で伝えてくる。
…ちょっと待って欲しい。お泊まり? フリーズしていると、遥ちゃんの追撃。
『バレンタインにお泊まりなんて…お姉ちゃん! 絶対このチャンスものにしないとだね!』
興奮したようにおやすみ!と電話が切れてしまう。ちょっと待ってください。
慌てて果林ちゃんに聞かれてやしないかと目を向けると、寮母さんに連絡を取っているところだった。遥ちゃん、危ないよ。
「…はい、お願いします」
果林ちゃんの方も内線が切れる。えっと。
…チョコ交換会のつもりが、バレンタインお泊まり会になりました。
- 39 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:33:31.51 ID:B1J/FUhf.net
- 急に決まって準備もないので、果林ちゃんから部屋着を借りることに。
体格の違いと、匂いを意識してしまって、どきどきするのが抑えられない。…参ったなぁ。
これから彼方ちゃん、一世一代の大勝負なのに。
丸テーブルの向こう側の果林ちゃんをちらっと見る。
「あ」
ばっちり。目が合う。慌てて逸らされちゃったけど。
「なっ…なんで」
じっと見てるの、と言い切る前に、違うの!と焦った声。
「あの、ね!? 私の服だけど、彼方が着るとちょっとだぼっとして、印象変わるなーって見てただけ!」
その後も、寒色系も似合うわね、とか。この服に合うヘアスタイルは、とか。
色々と早口で捲し立てられて、ただただテンパってるのが伝わってくる。ひょっとして。
…果林ちゃんも、緊張してたりしたのかな。
そうだといいな。
- 40 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:34:21.38 ID:B1J/FUhf.net
- 「…って、笑わないでよ、彼方ぁ!」
おっと。ちょっと安心したのが漏れたみたい。
でもそれよりも、情けない果林ちゃんの声にもっと笑ってしまう。
小さく唸って恥ずかしがる果林ちゃんに、ごめんね、と謝ってから。
「ね、果林ちゃん。チョコ、交換しよ?」
「…えぇ」
少し和らいだ空気の中で、二人だけの交換会が始まりました。
- 41 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:35:18.68 ID:B1J/FUhf.net
- からからから、と白い食器の上に、ほとんど真っ黒のクッキーが広がる。
そのひとつをひょいとつまんで、怪しむように見る果林ちゃん。
「これ…。焦げてこの色になったわけじゃないわよね」
彼方のだし、とすんすん鼻を鳴らす。
「匂いは普通のチョコクッキーって感じね…。食べてもいい?」
「どうぞどうぞ。目が覚めるような味になってるよー」
ふーん、って感じにさくっと噛った、その瞬間。
「!? えほっ、ご…、にっっっが!?」
そう。こちらはなんと、遥ちゃんと昔共同開発した、超ビターチョコクッキー。その改作。
用途はもっぱら罰ゲームでした。主に寝過ごした彼方ちゃんへの。
- 42 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:36:08.24 ID:B1J/FUhf.net
- 口直しに豆乳を飲んでいる果林ちゃんに、説明を続ける。
涙目になっているのが可愛くて、申し訳なさと合わせて胸がきゅうと締まる。
「ビターチョコをベースに、苦味だけじゃなくて酸味や、ほんの少し辛味を足したりして、瞬間的かつ複雑な苦さを表現しています」
「目が覚める、ってそのくらい美味しいって喩えじゃなくて、物理的にそのくらい衝撃的な味ってことだったのね…!」
「えへへ、騙したみたいでごめんね〜。…でも、これのすごいところはここからなのです。苦いってわかったと思うけど、もう一個食べてみて?」
「…わかったわ」
露骨に嫌そうに、ためらいつつ口にクッキーを運び、さくり。ぎゅっと目をつぶってこわごわと口にしたけれど。
もぐ、もぐ。
あれ?って顔しながら、二口、三口。
ごくんと飲み込んで、ひとこと。
「美味しい…?」
「ふふん」
- 43 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:37:41.73 ID:B1J/FUhf.net
- 「嘘。なんでかしら? 確かに苦いのは苦いのに…」
もうひとつつまんで、今度は味わうみたいに噛み締める。
「不思議でしょ? 彼方ちゃんも最初はびっくりしたもん。…簡単に言うと、慣れだよ」
「慣れ…」
もぐもぐしたまま、口許を上品に手で隠して相づちが返ってくる。
「お料理が進化することで、人間の舌も進化してきました。ちょっと意味は違うけど、舌が肥える、なんて言うよね」
「一口めより二口めの方が、さらにそれよりも三口めの方が、より正確に味を分析できるようになるんだって。色んなものを食べる人ほど、ね」
「それに加えて、味というものは、見た目、におい、食感、果ては記憶や先入観。ありとあらゆるものの影響を受けます」
「『とても美味しい』と思って食べたから、すごく苦く感じちゃった。でも『すごく苦い』って思って食べても、実際の苦さは最初の衝撃的なレベルじゃない」
「そうすると、味を分析する余裕が出てきて。漠然とした苦さの中に、ちゃんとした味を感じるのです」
- 44 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:39:20.50 ID:B1J/FUhf.net
- 「…すごいわ、彼方。本当に」
気に入って貰えたのが嬉しくて、ぺらぺら喋ってしまった。
果林ちゃんも手を止めて聞き入ってくれていて。なんだか恥ずかしいな。
「えへへ。頑張った甲斐があったよ」
「こんなの食べたことないわ」
予想はしてたけど、予想以上ね、と食べるのを再開する果林ちゃん。
…ほんとはね。
ベースにしているビターチョコは、果林ちゃんがこの前調理室に持ってきてたメーカー。
クッキーの焼き加減は、前にとっても褒めてくれたのになるべく近づけて。
お気に入りだってオススメしてくれたコーヒー。好きなブランドの苺。
いつも食べてるサラダや練習後のプロテイン、寮食だってリサーチした。
果林ちゃんの好きなもの、慣れ親しんだものだから、味を見つけるのも簡単で、楽しいんだよ。
果林ちゃん以外が食べたら、そこまで美味しくないか、美味しく感じるまで時間がかかるだろうね。これは、そういう『特別』。
…なんて、全部話したら引かれちゃいそうだから、この辺りは秘密だけど。
「…後でお話しながら彼方ちゃんも食べたいから、全部は食べないでね」
「あ、そっ、そうね! わかったわ」
それに。もうひとつ、大事な役目が残っているので。
- 45 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:40:31.03 ID:B1J/FUhf.net
- 「ありがとう彼方。こんなの貰っちゃったら、さすがにちょっとやりにくいけど…」
一息ついて、今度は私の番ね、とまるでライブの前みたいに気合いの入った笑顔を浮かべる。
負けず嫌いで、ストイックで、プライドの高い果林ちゃんだ。
言葉とは裏腹に、本当に本気で彼方ちゃん以上のものを作ろうとしたに違いない。
もちろん、みんなに渡していたマフィンだって、手を抜いていたわけじゃないだろうけど。実際美味しかったし。
それでも。嬉しくて、楽しみで、どきどきしてたまらない。
「まずはこれ、食べてみて」
あのときから、想像していた、果林ちゃんの特別。
期待を込めて目をあければ、そこには。
「…お?」
チョコチップマフィン…?
- 46 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:41:30.88 ID:B1J/FUhf.net
- 「果林ちゃん?」
みんなに配ってたのと同じだよね、と問いかける。
対する果林ちゃんはそうね、と笑って。
「でも、ちゃんと特製よ。食べてみたらわかるわ」
それを改めて言われると弱い。
彼方ちゃんのも、食べて初めてわかるものにしたんだし。フォークで切ったマフィンをと口に入れる。
もぐ、もぐ。噛めば噛むほど、違和感が増す。これ…。
「お昼にもらったのより、美味しくない…」
「…は、ハッキリ言うわね」
確かめるように二口め。…うん、やっぱり。この物足りなさは全然甘くないからだ。
果林ちゃんは、こくんと彼方ちゃんが飲み込むのを待ってから、口を開いた。
- 47 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:42:55.96 ID:B1J/FUhf.net
- 「彼方はバレンタインのとき、自分用に何か用意してる?」
してない、かな。…え?
まさか、この甘さ超控えめマフィンって…!
「その顔、もしかして気付いた? これは私が自分で食べる用のマフィンなの」
「えぇ…。なんでこんなに美味しくないのを…確かに甘過ぎないのがいいって言ってたけど、これはちょっと」
特性マフィンにドン引きしている彼方ちゃんをよそに、果林ちゃんは続ける。
「前も言ったけど…たくさんチョコレートを貰えるのは嬉しいの。気持ちがこもってるのも沢山あるし、中にはこもりすぎて髪の──ご、ごほんっ!」
「な、なんでもないわ。とにかく、沢山の中には色々あるってこと」
「…でもね、ずーっとチョコ味のものばっかり食べてると、だんだん一つ一つを味わうのが難しくなって」
「でもそれってかわいそう、じゃない…もったいない、でもなくて…うーん、失礼…そう、失礼じゃない?」
だからね、とひとつを手に取り、ちぎって食べる。苦笑いを浮かべながら。
「これを用意しておくの。口の中をリセットさせるための、本当にプレーンな、甘さゼロのマフィンをね」
- 48 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:43:53.52 ID:B1J/FUhf.net
- 「……」
「…果林ちゃん?」
不自然な間が開く。
彼方みたいにうまくは喋れないわね、とため息。
何のことだろう、と思っていると、電子レンジが鳴る。
いつの間に作業してたんだろう、と考えていると、マグカップをふたつ、果林ちゃんが丸テーブルに運んできた。
「それでね。ここまでが『特製』の話で…ここからが、」
さっきまでの苦笑いや困り顔ではなく、あの挑戦的な笑みを浮かべて、こう続けた。ずっと待っていた言葉を。
「彼方へ贈る『特別』よ」
- 49 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:44:40.35 ID:7625x0QK.net
- 更新きたぁ!!
- 50 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:45:20.57 ID:B1J/FUhf.net
- ごとり、と彼方ちゃんの前に置かれたそれは、濃い茶色のとろとろした液体。
「見たらわかる、わよね?」
「ホットチョコレート…?」
「そう。熱々になったチョコレートに、これを溶かし込むの」
マグカップの液面をじっと見つめていたら、そんなことを言いながらとぷん、と。マシュマロを入れた。
そのままスプーンでかき混ぜる。濃い茶色の中に、白色が無理やりに広げられていく。
「どんな味になるか、想像できる? 甘いもの+甘いもの…糖分+糖分…」
ぐるぐる。ぐるぐる。
なんだかIQの低そうな計算式を立てながら、果林ちゃんがチョコとマシュマロを混ぜていく。
「…そうだわ。彼方言ってたわよね、味っていうのは色々なものの影響を受ける、って」
「言った、けど…?」
- 51 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:46:12.67 ID:B1J/FUhf.net
- 「ふふ、思い出して。さっきまで食べていたのはなあに? そう、本来『甘い』はずの『甘くない』マフィンよね」
かき混ぜるスプーンがぴた、と止まって、人差し指を立てた果林ちゃんの右手が、近づいてくる。
長くて綺麗だな、なんてちょっとぼーっとしていると。
ふに。
唇に触れられていて。
「口の中、甘いものに飢えてるんじゃない?」
挑戦的を通り越して、挑発的を飛び越えて、蠱惑的な喋り方と、その目にに引き込まれる。
自然に手をとられ、マグカップに添えられる。このまま口にいれれば、広がるのはきっと…。
「さぁ、召し上がれ」
想像だけで溢れてきた唾を一度、ごくりと飲み込んで。
マグカップに口を
つけ
- 52 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:48:18.00 ID:B1J/FUhf.net
- 甘い。
なんてものじゃない。舌が痺れるんじゃないかというくらいの甘味。
熱さも手伝って、色んな意味で胸が焼けそうなほど、暴力的なまでの甘さを誇るホットチョコレート。
「…ぅ」
お酒は飲んだことないけど、酔うってこんな感じなのかも、と思うほどにくらっときた。
寝ぼけている感じとも違う、ぼやけた思考の中で、果林ちゃんの声が響く。
『美味しい? ……。ふふ、よかった』
『これね、お母さんとの思い出のチョコレートなのよ。バレンタインに作ってもらったわけじゃないけど』
『私の地元、雪が多いでしょ? 6歳のとき、初めてスキーをしたときね、全然うまくいかなくて、寒さと冷たさでぶるぶる震えながら泣いてたの』
『でも負けるかって何度も何度も挑戦して。とうとう初級コースを最後まで転けずに滑り終えたとき、お母さんに褒めてもらいながら、これを飲ませてもらったの』
『体の芯から温かくなったわ。そんな、思い出の…』
- 53 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:49:50.19 ID:B1J/FUhf.net
- 「私にとっての『特別』」
その言葉で、ふっと現実に引き戻される。
気付いたらマグカップは空になっていた。
困惑するこっちをよそに、果林ちゃんは続ける。
「…ねえ彼方、特別って難しいわよね。私、調理室では彼方を手が止まってるだなんてからかっちゃったけど、この一週間、ずうっと考えてた気がするわ」
「彼方ちゃん、も…」
「ふふ、やっぱり? それと、もうひとつ。私がこんなに特別を、大切なことを考えるきっかけをくれた相手が、そして実際にこれを渡す相手が…」
少し目を伏せて、頬を染め、指が白くなるくらいにマグカップを握りしめて。果林ちゃんは。
「あなたで…彼方で良かったって、心から思ってるの。…ありがとう」
そんな風に、言ってくれた。
- 54 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:51:00.02 ID:B1J/FUhf.net
- どういう意味なの、って聞いてもいいのかな。聞いたら、何が返ってくるのかな。
心臓が痛い。聞こえちゃうんじゃないかってくらいうるさい。
ホットチョコレートで暖められた胸の奥に、果林ちゃんの言葉がまるごと入ってきたみたいで。それも。
あんな顔で言われたら私、果林ちゃん。
「……」
「……」
私も、伝えよう。そのために、来たんだ。きっかけをもらったのは、果林ちゃんだけじゃないんだ。
泣きそうだけど、泣いてられない。まずは。
「…っ、そろそろ、片付け──「待って!」
- 55 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:52:11.90 ID:B1J/FUhf.net
- 「え? かな…彼方っ!?」
すっとんきょうな声が上がる。
それもそのはず。
彼方ちゃんが、いきなりマフィンとクッキーをすごい勢いで頬張り始めたから。
思考をクリアにするために、まずこの甘ったるい口の中を切り替える。
幸い、ここにあるのは。
果林ちゃんのお墨付きの、お口リセット用マフィンと、罰ゲームクラスのビタークッキー。
いずれもいずれも、特別仕様だ。
味しない。苦い。ちょっと甘い。めちゃくちゃ苦い。
「な、何してるの…?」
ごくん、と飲み込む。
どうやら、空気が変わったのは、口の中だけじゃないみたい。
果林ちゃんも、さっきまでの儚い印象はどこへやら、なんだかぽかんとしてる。
- 56 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:53:27.54 ID:B1J/FUhf.net
- 「えっと、口直し、いる?」
自分のマグカップと豆乳を交互に指差しながら、彼方ちゃんに確認を取る。でも。
「大丈夫」
「あっ、あら、そう…」
「果林ちゃん!」
「は、はいっ!?」
「かっ、彼方ちゃんも…私もっ」
震える手で鞄からもうひとつの『特別』を取り出す。
包装を取っ払って。丸テーブルを乗り越えて、果林ちゃんの隣に陣取る。
準備は、できた。
- 57 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:55:36.69 ID:B1J/FUhf.net
- 「果林ちゃん、彼方ちゃんもね…」
「???」
突然の彼方ちゃんの奇行に、何がなんだかわからない、って顔をする果林ちゃん。
肩を掴む。びくり、と反応が返ってくる。
「私もね、果林ちゃんが『特別』を考えさせてくれて、良かった。さっきの言葉、本当に嬉しかった」
「あ、ありがと。でも彼方…」
さっきからの行動は何、と顔に書いてあるけど、スルーさせていただく。
「それでね。もうひとつだけ、もうひとつだけ用意してるの。バレンタインのプレゼント」
「えっと…さっきから持ってるそれのこと、よね」
「うん。でもね、これは普通の生チョコなの。彼方ちゃんが気持ちを込めて作ったけど、凝ったことなんて何もしてない、ただの生チョコ」
右手を肩から離し、生チョコを持つ手を果林ちゃんの前に持ってくる。
「ただの生チョコを普通に渡したんじゃ、果林ちゃんの望んだ『特別』にはならないから。だから」
あーん、して?
- 58 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:56:11.99 ID:7625x0QK.net
- ドキドキ
- 59 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:57:26.72 ID:B1J/FUhf.net
- 「えっと、じゃあ…渡し方で『特別』にグレードアップするってことかしら」
こくり。
「彼方に食べさせてもらうのは…いつだかのクレープ以来? なんだか懐かしくて恥ずかしいわ」
そう言って、緩く口を開き、目を瞑って待つ。
ぞくりと、した。
「もし、もし果林ちゃんが嫌だったら、逃げていいからね」
そう言って、私が生チョコを口に放り込むのと、疑問に思ったのか、果林ちゃんが目を開けてこっちを見たのが同時。
肩に置いていた手を首の後ろまで持っていき、抱きつくみたいにしてぐいと近づくのと、目をうろうろさせながら、え、とかあ、とか言うのも同時で。
そして。
唇が触れ合ってゼロ距離。お互いがお互いの心臓の音を認識したのも、同時だと、思う。
さらに近づき、目を閉じて、舌の上の生チョコをゆっくり突き出す。
熱いものに、ちょんと触れた。
一回、びっくりしたように引っ込んだ熱いソレは、そのあと、しっかり生チョコを絡めとっていった。
- 60 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 02:58:45.34 ID:B1J/FUhf.net
- 「はっ、は…!」
荒い息をしながら、離れる。
口の端からはよだれが垂れるし、いつの間にか泣いてしまっていた。
ああ、恥ずかしい。死んじゃいそうだ。でも、まだ。
ちゃんと言わなきゃ、死ねないや。
「朝香…ぐす、果林さんっ」
ぐちゃぐちゃでも、精一杯、笑って。
「彼方ちゃ、私、を…あなたの特別にしてください…」
お願い。
- 61 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:00:10.03 ID:B1J/FUhf.net
- 「…とりあえず、落ち着きましょうか」
生チョコを飲み込んだらしい果林ちゃんが、そう言って抱き締めてくれた。
彼方ちゃんの好きな、あの優しい手つきで頭を撫でてくれて、時間はかかったけど、泣き止めた。
その体勢のまま、話しかけられる。
「返事をする前に、なんだけど。彼方、今口の中どうなってる?」
「…え? くち?」
「あのマフィンとクッキー食べて、それなりに喋って、泣いて。口の中苦いままでしょ。…甘いものが、欲しいんじゃない?」
「…欲しい」
そう、と笑うと、果林ちゃんはすっと離れて、言った。
「もし、もし彼方が嫌だったら…それでも、逃がさないわ」
- 62 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:01:43.69 ID:B1J/FUhf.net
- 彼方ちゃんがえ、と顔を上げるのと、果林ちゃんがマグカップを傾けるのが同時。
さっきのことがフラッシュバックするのと、接近した果林ちゃんにくいっと顎を持ち上げられるのが同時で。
そして。
生暖かい、甘い甘いチョコレートが口から口へ流れ込んでくるのと、収まっていたはずの涙がこぼれたのも、同時だと思う。
お互いの顔も服も、チョコや涙やいろいろで汚しに汚しながら。
果林ちゃんからの『特別』を受け取った。
「ぷ、は…。ねえ…返事、させて」
こくんと頷いて、少し離れた果林ちゃんを見つめる。
「私も、彼方の特別になりたい」
「…うんっ」
- 63 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:03:17.09 ID:B1J/FUhf.net
- 時は2月の15日、朝。場所は寮、果林ちゃんのお部屋。
…の、ベッドの上。特別なひとの、こいびとの、お隣。
「すー…すー…」
色んな気持ちがあふれそうになるのをぐっと抑えて、ぎゅうと抱きつき、ぐりぐりと頭を押し付ける。
頭の上から少し苦しそうな声が聞こえたけど、流します。彼方ちゃんのほうが、今までずっとしんどかったので。
「ふゎ…」
あのあと、遅くまで片付けに掃除に色々やったからかな、やっぱりまだ眠い。思わずあくびが漏れてしまう。
ため息じゃないけど、胸の奥の幸せがこぼれてしまう気がして。取り戻そうと深呼吸しようとしたそのとき、ふと気がついた。
いつものシャンプーと違う、自分の髪の感じ。柔軟剤の違う服とお布団。アロマの残り香。チョコやお砂糖の甘いフレーバー。そしてもちろん、果林ちゃんの匂い。
…二度寝しちゃおう。
「ねえ、果林ちゃん」
早起きが苦手なのを承知で、お願いです。
いつもみたいに、いつも以上に、優しく優しく起こしてね。…できれば。
たくさんの特別が、朝に香っているうちに。
- 64 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:03:51.59 ID:B1J/FUhf.net
- 彼方「朝に香る」
おしまい
- 65 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:07:29.50 ID:U5CdXDZ6.net
- おつ!素敵だったわ
- 66 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:07:39.71 ID:7625x0QK.net
- 素晴らしい!
ありがとうございました!!
- 67 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:07:58.89 ID:B1J/FUhf.net
- お待たせした、読んで貰って本当にありがとうございます
乙、感想、意見、質問。何でも大いに歓迎します。レスくれ
ただ抽出で読む人もいるだろうし、余韻も楽しんで欲しいので、返事はID変わってからにします
重ねてありがとう。おやすみなさい
- 68 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:11:57.15 ID:LUAQnd0O.net
- 乙
- 69 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 03:21:56.04 ID:UVMWz0ob.net
- きれいな文で読みやすかった、ええぞ
- 70 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 08:46:44.87 ID:WL2GmqQX.net
- めっちゃ好きだわ
良質な彼方ちゃん果林さんSSをありがとう
愛を感じた
- 71 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 08:56:17.63 ID:OZK1Kmkh.net
- チョコみたいに甘いSSであった
超良かった、乙
- 72 :名無しで叶える物語(たこやき):2020/02/19(水) 09:37:03 ID:hdjhpysg.net
- おつおつ
素晴らしいお話をありがとう…
- 73 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 10:36:31.73 ID:T5pLJ3ig.net
- 彼方視点の地の文が文量に反して読みやすく、台詞部分との使い分けも良かったです
味の描写が丁寧だったのでお腹が空いてしまいました
濃厚な絡みの中に程良く他のキャラの顔が覗いていたのも面白かったです
お疲れ様でした
- 74 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 11:08:43.31 ID:hC+8GjU4.net
- 胸焼けしそうな甘さだぁ…
- 75 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 11:27:30.44 ID:s7UZSiLB.net
- 甘い!甘すぎる!だがそれがいい!最高!
- 76 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 15:43:51.33 ID:LoqiC1Q9.net
- 幸せな気持ちになれるSSだった
彼方ちゃん良いね
- 77 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 16:42:08.22 ID:ME95N0ew.net
- 甘くて美味しい気持ちになりました
- 78 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 19:53:12.47 ID:qF8+Z9JL.net
- 最高だった
ありがとう
- 79 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 19:58:13.74 ID:UqfDSALs.net
- 彼方ちゃんが私って言い換えるところがめちゃくちゃ好き…
- 80 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 20:57:16.62 ID:+MgZlNb3.net
- 乙
初心な雰囲気に対してクライマックスはちょっと大人でエロチック感があっていいですわね
- 81 :名無しで叶える物語:2020/02/19(水) 23:35:10.86 ID:7625x0QK.net
- 彼方ちゃんの細かな心情や想いが読んでて伝わってきたし、果林ちゃんにチョコを渡すドキドキ感が素晴らしかった!
彼方ちゃんが果林ちゃんへ、想いを伝えるときは、自分のことを『私』というのもいいなぁと思いました。
とても甘々なSSありがとうございました!
次回作など書く予定がございましたら、期待してます
- 82 :名無しで叶える物語:2020/02/20(木) 02:40:41.40 ID:sIchn+JH.net
- いっぱいレスあって嬉しい。3つ返事を
・読みやすい
彼方の柔らかい口調にこだわって推敲してた甲斐があります。報われた気分
・「彼方ちゃん」「私」
告白シーンに限らず彼方の余裕にあわせてちょこちょこ変化させたはずなので、良かったら見返してみて欲しいです
・次に書くもの
いま考えてるのは『果林のマッサージがやらしいけど癒されると同好会内で噂になる話』と『彼方が曲のイメージ作りのために1日お姫様になる話』です。アイデア募集中
たくさん反応ありがとう。好評をいただけて本当に嬉しいです
ではまた別のスレで
- 83 :名無しで叶える物語:2020/02/20(木) 02:45:49.68 ID:/6o5i8sj.net
- マッサージおもしろそうで草
力抜いて読めそう
- 84 :名無しで叶える物語:2020/02/20(木) 09:32:58.94 ID:8uV5+9XQ.net
- お姫様になる話も面白そう
楽しみにしてます
- 85 :名無しで叶える物語:2020/02/20(木) 14:35:48.51 ID:yxksX77s.net
- 次回作やったぁ!
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