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【義援金も捏造ぜよ】谷村ひとし【インチキ嘘詐欺捏造】 Part.150
- 554 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん:2024/03/09(土) 12:16:43.15 ID:tQqvrkTY.net
- 「鳥山明先生とドンキホーテの思い出」
漫画家鳥山明先生が亡くなられた報道にショックを隠せないドンキホーテ谷村ひとしです。鳥山先生に描いてもらった色紙です。
https://i.imgur.com/gZXtpWW.jpeg
1987年、27歳で週刊少年ジャンプの新人賞に引っ掛かって、担当の編集の方がDr.マシリトのモデルの鳥嶋記者さんになった谷村ひとしですが、当時鳥嶋さんが抱えていた作家さんは3人いらして、ボクと“ウィングマン”や“電影少女”桂正和先生が、まだ高校生で、名古屋の広告代理店でイラストの仕事をしていた鳥山明先生の3人でした。
影丸穣也先生のアシスタントを9年間もやって、27歳のロートル新人で2歳年下の鳥山先生や、10歳も歳下の桂先生に混じって、ヒット作を描けないお荷物だったドンキホーテですが、鳥嶋記者は面倒見が良くて、ボクたちを連れて打ち合わせは喫茶店へ、夕食をおごってくれることも多く、お金のなかったボクたち漫画家のタマゴにとって、厳しい親戚のお兄さん的存在でした。
鳥山先生は純朴なペンギン村の住人という感じで、2人で晩御飯に連れて行かれたロシア料理の“ボルシチ”は、当時1978年に人生で初めて知る料理だったのです。外国の料理店なんて、“東京って凄いなぁ”と2人で、ボルシチの味もわからないくらい舞い上がっていたのでした。
空手バカ一代の劇画を9年間教えこまれていた“谷村ひとし改造計画”は、当時人気の成田美名子先生などの少女マンガの優しい絵に変えることを鳥嶋記者に叩き込まれていたドンキホーテです。めでたく1980年31号(8月4日号)、“ショーアップハイスクール”でデビュー出来たドンキホーテです。もうすでに、鳥山先生はジャンプ連載陣の柱としてDr.スランプアラレちゃんをヒットさせていました。
無限のアイデアとキャラクターを生み続けてきた鳥山先生が亡くなったなんて、今でも信じられません。
ドラゴンボールやDr.スランプが全世界に広まって愛されているのは納得出来る鳥山先生の人柄そのもので、一緒に週刊少年ジャンプで育った者として、先生の作品は永遠に生き続けて、より多くの人々の心に刻まれていくことと思います。先生は今もペンギン村で少年のように目を輝かせ、笑顔で過ごしていらっしゃることと思います。
ご冥福を心からお祈りします。合掌
P.S. きのう大勝ちしたので今日は実戦なしです。
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