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<梶原一騎> 25発目

1 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 01:18:06 ID:bvVuWAYJ.net
前スレ
<梶原一騎> 18発目
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1587426539/
<梶原一騎> 19発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1588643395/
<梶原一騎> 20発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1589958046/
<梶原一騎> 21発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1590826689/
<梶原一騎> 22発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1592006763/
<梶原一騎> 23発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1592869624/
<梶原一騎> 24発目
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1593745389/

引き続き熱く語れ

13 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:25:36 ID:???.net
倉澤清忠陸軍少佐:
特攻隊員に地元OLとのお茶会(今でいう合コン)をさせたり女子高生の慰問を受けさせたり福利厚生に力を入れていた。
特攻隊員の体調には常に気くばりし食事をとらない特攻隊員をしかりつけたりしている。
一部反抗的な特攻隊員に強く指導したら、逆恨みされて話を膨らませて大げさに言われた。
ちなみに、振武寮が隔離施設とか言ってるのは大貫妙子の親父とかわずか数人だけ
朝鮮人特攻隊員を可愛がってわざわざ称賛の新聞記事を寄稿したりとネトウヨに爪の垢を煎じて飲ませたい人物
拳銃うんぬんの話は晩年に痴呆が入ったときの証言で警察署に届けたが銃刀法違反にならなかったなどとそもそも設定がおかしいので痴呆ゆえの幻覚だったと思われる

玉井浅一大佐:
輸送機から下ろしたのは玉井の教官時代の教え子の磯川質男上飛曹、既に特攻で戦死したとして全軍布告されており再度の特攻を命じるという冷徹な対応であったが、磯川自身は「教え子の自分を特別扱いしては示しがつかないのだろう」と理解して、何度か特攻出撃したが、結局終戦まで生き残った。
連合軍がルソン島に上陸したとき玉井はそのままルソンで玉砕するつもりであったが、上官の大西の命令でやむなく大西と一緒に台湾に撤退、だから磯川をおろして代わりになんてあり得ない。
戦後は特攻隊の供養のため仏門入り、自ら特攻隊員に指名した関大尉の母に土下座して泣いて詫びて許してもらったらしい。
自分が出撃を命じた特攻隊員の名前は全員記憶しており、厳冬期まで1日も欠かさず、水垢離をしながら記憶している全特攻隊員の名前を諳じ続けるという荒行を続けたが、ある日に水垢離の途中で心臓マヒで死亡。

14 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:26:24 ID:???.net
黒島亀人海軍少将:
人間魚雷の進言は黒木大尉、仁科中尉ら現場から出たもので黒木ら軍令部は逆に脱出装置の設置を指示したが、現場から、開発に時間がかかると逆に反対されてしまった。戦後は誰も面倒みなかった山本五十六の奥さんの面倒を見ている

太田正一特務少尉:
歴戦の輸送機搭乗員、三等兵から特務少尉まで実戦での活躍だけで昇進した苦労人
誘導兵器の開発では間に合わないと考えて自分が乗る前提で桜花の原案を進言して採用されたが、自分の操縦員適性試験は不合格となり涙を飲んだ
その後は桜花神雷部隊の世話人となり特に同じ待遇の下士官以下からは信頼されたが、そのうち、自分が出撃できない負い目から精神不安定になって自殺も警戒されて軟禁されていたが、終戦時に自決するといって練習機で飛び立つも幸運にも海上を漂ってるところを救助される。
そのあとは精神状態も安定し、無戸籍のまま生活、老境に入ったときに昔のことを思い出して自殺未遂を起こし、またまた命は助かったが、体は弱ってしばらくして死亡した。

ちなみに、桜花計画の最初から携わり、を進めて指揮した司令官岡村大佐は戦後に責任をとって自決してる

15 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:27:08 ID:???.net
富永恭次陸軍中将:
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。

菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。

倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。

玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。

黒島亀人海軍大佐:
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。

太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。

16 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:27:45 ID:???.net
中島正:現地で全軍特攻を唱え、目を合わせると特攻に行かされると噂される。私も後に続くと言って特攻を送り出したかと思えば、
私は内地に戻って君たちの活躍を後世に残すと言って内地に帰り、戦後は特攻を自分に都合がいい美談に変えた著書を発表。天寿を全うする。

真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿を全うする。

永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天寿を全うする。

坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。
戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりと。天寿を全うする。

17 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:28:19 ID:???.net
源田実:源田が「343空も特攻の命令きた」と言うと、志賀は「ああ、いいですよ。では司令、参謀と2人で一緒に乗って突っ込みましょう。
私が操縦します。また、源田さんも最後に来てください」と言うと、
源田は2度と特攻を口にしなくなった。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。
自分はなんとアメリカから戦功あった軍人に与えるレジオン・オブ・メリット勲章を貰い、お返しに議員時代、
日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。 言うまでもなく天寿をry

花谷 正: 第二次アキャブ作戦で部下に突撃を命じるばかりで壊滅的打撃を受けるもお咎めなし。
第55師団長時代は部下の将校を殴り、自決を強要することで悪評が高かった。また、日頃から陸大卒のキャリアを鼻にかけ、
無天(陸大非卒業者)や専科あがりの将校を執拗にいじめ抜き、上は少将から下は兵卒まで自殺者や精神疾患を起こした者を
多数出すなどしたため、部下から強い侮蔑と憎悪を買っていた。
反面小心でもあり、行軍中も小休止の度に自分専用の防空壕を掘らせていた。もちろん、天寿を全(ry

海軍 福留繁:
敵軍に一時捕虜となり重要作戦指令書を奪われるが
自分の責任を問われることを恐れて仲間内で隠蔽したため、後にマリアナ沖海戦の大惨敗の原因となる。
もちろん、天寿を全(ry

18 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:28:53 ID:???.net
ネットのコピペであちこちからあつめたんだろうが、とにかくでたらめが酷すぎる、こんなガイジコピペを貼りまくってるから特攻でデタラメな情報が定着してんだろう

>真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿を全うする

眞鍋は終戦時には205空で援護戦闘機の搭乗員してたから参謀なんかじゃないが、そもそも漢字間違えてるし

>源田実:源田が「343空も特攻の命令きた」と言うと、志賀は「ああ、いいですよ。では司令、参謀と2人で一緒に乗って突っ込みましょう。私が操縦します。また、源田さんも最後に来てください」と言うと、源田は2度と特攻を口にしなくなった。

実際はこう
第五航空艦隊が343空に特攻を下問した際、志賀は「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。
源田司令は最後に行ってください。ただし条件として、命令してきた上級司令部の参謀が最初に私と来るというなら343空はやります」と上申、
源田司令も「全くだ」と同意して、その意思を上に伝え、それ以降343空には特攻の話が来なくなった。志賀は、特攻には反対で指揮官として絶対やっちゃいけない、
自分が行かずにお前ら死んでこいというのは命令の域じゃない、行くなら長官や司令が自ら行くべきだと考えていたという

>花谷 正:

特攻まったく関係ないし

>坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。

送り出すもなにも坂井は単なる戦闘機搭乗員で指揮官でも参謀でもないぞ
「遅かれ早かれ我々も行かなきゃいかん。遅いか早いかだよ。ただし、どうせ行くんだから命中したいなぁ。それには俺の言うことを聞け。それには(角度を)絶対に深く行っちゃ駄目だよ」と声をかけて送り出していた。
また、「特攻で士気があがったと大本営は発表したが大嘘。『絶対死ぬ』作戦で士気があがるわけがなく、士気は大きく下がった」とも答えている。

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