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<梶原一騎> 25発目

4 :愛蔵版名無しさん:2020/07/11(土) 08:19:33 ID:???.net
【特攻に行かせた人たち正解編】
宇垣纏:
昭和20年2月10日付で第五航空艦隊司令長官に着任し、終戦まで沖縄方面の特攻作戦を指揮。
8月15日の午後、ポツダム宣言受諾の玉音放送後、独断で彗星11機を引きつれ沖縄に特攻出撃。若い将兵16名を道連れに死亡。
なおポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため正式な特攻とは認められていない。連合艦隊司令長官小沢冶三郎も命令違反行為として語気鋭く批判している。
しかし、靖国神社には合祀されており、遊就館にも遺品が展示されている。なお僚機については「宇垣は自分が突入する機のみに出撃を命じたが、同行を望む隊員に対して押しとどめられずともに出撃した」とする説もある。

寺本熊市:
「陸軍航空の父」と呼ばれたほど、日本陸軍航空隊の育成に尽力。
太平洋戦争開戦時には「よくもよくも米国を相手にしたものだ。あちらは種を自動車でバラ撒いただけで、ほっておいても穀物の出来る国だ。
その上、石油はある、資源はある、第一次大戦以来、連合国数カ国の台所を賄ってきた国だ。国力を侮ったらいかん。しかし決まってしまった以上は天子様にお仕えするだけだ。」
と戦争の先行きに警鐘を鳴らしていたが、寺本の予言通りアメリカの圧倒的物量に対し日本軍は圧倒されて、
本土付近まで連合軍が迫ってきた。沖縄戦が開始された1945年4月には陸軍航空本部長として陸軍の特攻を指揮することとなったが敗戦を迎え、終戦直後に「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」という遺書を残して、古式通りの作法に則って割腹自決。

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