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ワンダースワン版のFF3が販売中止になった理由

41 :NAME BOY:2017/08/28(月) 17:55:57.06 ID:B9D8U//W.net
>>35>>37>>38>、>39
スクウェアが任天堂を裏切らなければ
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/retro2/1118746653/より
554 名前:名無しの挑戦状[sage] 投稿日:2011/01/14(金) 03:08:56 ID:8N4E3UTO
スクウェア・エニックス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org//wiki/スクウェア・エニックス
より
任天堂との関係[編集]
Question book-4.svg この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。(2015年10月)
ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン全盛時代、ドラゴンクエストシリーズというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂のサードパーティーとして重要な位置にあった。
ファイナルファンタジーシリーズで追いかける形にあったスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館(ゲーム・オン!編集部)との合同企画として1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、
1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようと模索していた。
しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェア側のスタッフが独立してしまうなど必ずしもスクウェアの思うようにはならなかった。この時期と前後して、
『ファイナルファンタジーVII』の製作スタッフである坂口博信が「プレイステーション」(PS)の映像力に魅了されており、FFシリーズのPSへの移籍への道を探っていた。
スクウェア自体もまたこの流れに同調し、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフト開発(NINTENDO64(N64)用に企画していた約10タイトル含む)を中止する。鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、
PSに独占供給を決めた際に任天堂の山内溥社長(当時)は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたというが、その際にスクウェアの社員がエニックスをPS陣営に誘うために、
エニックスに加え他のソフトメーカー達にN64は駄目だと吹聴していたことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との深い確執が生まれてしまうことになった[7]。この時期、
エニックスもソニーからドラクエシリーズの移籍の勧誘を別個で受けており、その際の返事は「プレイステーションの本体売り上げが300万を越えたら考える」というものであった。
その後、1997年になりエニックスは当初N64かPSかで迷っていた『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売することを発表する。ただ、エニックスはスクウェアとは違い、PS参入後も任天堂携帯ハード用のソフトを販売し、任天堂との関係を続けた。
2001年、スクウェアは映画事業の失敗により多額の特別損失を計上する。そうした中で行われた子会社のデジキューブの株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主からの「土下座してでも任天堂と和解しろ」
との声にデジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えるなど、任天堂との関係修復は急務であった。
その後、スクウェアはエニックスに接近し、2003年4月に合併が完了。この直後、スクウェア・エニックス代表の和田洋一が、既に社長から相談役に退いていた山内溥に謝罪に行ったことでようやく関係修復がなされることになった[要出典]。

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