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1983年の全日本プロレス

109 :お前名無しだろ (ガラプー KK82-o/AJ):2016/09/11(日) 00:05:05.60 ID:EzQqlUXTK.net
1983年9月号別冊ゴングにテリーファンクのインタビュー記事があったな。
アントニオ猪木とのシングルマッチを希望していた。
そこでテリーファンクはジャイアント馬場VSアントニオ猪木のシングルマッチにも言及。

国立競技場に朝4時に試合開始でも超満員になるのは間違いなし。
しかし負けた方はその試合を最後に引退。
負けた方の団体は崩壊。
二人の戦いはそれだけ大きなものを背負っている。

こんな事を言うちょった。

テリーファンクはアントニオ猪木を意識していた。
でもアントニオ猪木はテリーファンクの事はあまり認めていなかった。
テリーファンクVSアブドラーザブッチャーの試合を『残酷ショー』と酷評。
悪い意味でプロレスリングの範疇を越えてもうた、と。
自分とタイガージェットシンの試合を引き合いに出して比較しながら。
自分とタイガージェットシンの試合はギリギリプロレスリングの範疇内だった、と。
でもテリーファンクVSアブドラーザブッチャーはプロレスリングの範疇外。
そういう事も踏まえてアントニオ猪木はテリーファンクをあまり認めていなかったみたいで。
むしろアントニオ猪木はドリーファンクジュニアを認めていた。
ドリーファンクジュニアとはまた戦いたいとも言うちょったし。
しかしテリーファンクが新日本プロレスリングに上がった時にゃアントニオ猪木との絡みも実現かと思うた。
対決はなくとも組むとか。

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