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【没後20年】ジャンボ鶴田101【実力世界一】

782 :お前名無しだろ :2020/09/03(木) 13:24:02.48 ID:tIBa7YJI0.net
ダークな猪木その2:イラク人質解放には右翼団体も同行していた


 90年には、湾岸戦争直前にイラクに渡って現地で拘束された日本人人質の解放に尽力するという功績を残しているが、もともとの動機は不純で「サダム・フセイン大統領と会ってオイルの権利を手に入れるためだった」(同書より引用)という。

 それでも、90年にイラクへ訪問すること3回。12月には猪木の発案でプロレス、サッカー、コンサートを盛り込んだ「平和の祭典」を実施し、人質も解放されることになった。しかし、同書によれば、この時に右翼団体・日本皇民党の幹部が同行し、イラクへの航空機のチャーター代6500万円は佐川急便が払っていたというのだ。

「その後の一連の経過や関係者らの話から、(佐川急便の)佐川清会長が、皇民党の人たちとの同行を条件にチャーター機代を支払うという案を出したことは明らかです。かなり、あとのことですが、この件が問題化したとき、猪木議員自身が私にこんなボヤキをしていました。『皇民党のやつらを同行させるのが条件だったんだから、しかたがねえだろう』」(同書より引用)

 この右翼団体は87年、当時の中曽根康弘首相から次期総裁の指名を受けようとする竹下登に対し、「日本一金儲けのうまい竹下さんを総理にしましょう」と「ほめ殺し」の街宣を仕掛けた団体でもある。この処理のために、金丸信、小沢一郎ら竹下派幹部が東京佐川急便の渡辺広康社長に仲介を依頼し、広域暴力団・稲川会を通じて話をつけることになる(これらの事実は92年の東京佐川急便事件の公判で明らかになった)。
一説にはこの「ほめ殺し」の街宣を指示したのは、竹下が裏切った田中角栄元首相と同じ郷里の新潟から出てきた佐川急便の佐川清会長ではないかと言われている。
 なお、佐川会長はかつて新日本プロレスの大株主で、76年に日本武道館で行われた猪木vs.モハメド・アリ戦ではチケットを大量購入する関係だった。以来、猪木のビジネスに融資約17億円。債務保証が約13億円。スポーツ平和党の立ち上げ時にも1億円の融資を行うなどといった猪木の大スポンサーだった。

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