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前田日明「猪木がいなければPRIDEもK1もUFCもこの世に存在しなかった」

235 :お前名無しだろ :2022/10/29(土) 14:08:02.29 ID:SdXc/wTL0NIKU.net
>>221
馬場の能力と関係なく、当時のジャイアンツに大きな障壁が横たわっていたのは事実だ。一軍、二軍の区別があいまいだったチームが当時は少なくなかったが、巨人の一軍と二軍の入れ替えはシーズン中は非常に少なかった。春季キャンプ後に二軍にいた場合、その年の昇格を諦める選手が大半だった。馬場と同時期に二軍にいた投手の三浦方義は巨人では0勝に終わりながら、他球団に移籍後、一軍で最多勝を獲得したほどだ。
背景には巨人内部の派閥争いがあり、二軍指導者の一軍への反目があった。巨人の場合、二軍でも興行が成立するため、二軍首脳陣が人気選手を手放さないという歪んだ構造があった。そして、この歪みこそがジャイアント馬場の誕生につながったと言っても過言ではない。
巨体から強烈な印象を残す馬場は地方に遠征すると、ブルペンで投げるだけで観客が沸いたという。「二軍で最も客を呼べる人気選手」に成長した馬場は一軍と独立採算を求められる二軍首脳陣にとって欠かせない存在になっていた。
地方遠征時にはプロモーターが「馬場は出るのか」と問い合わせてきた。馬場の出場が未定のために遠征の日程が確定しないこともあった。馬場を巡っては前述のように、キワモノ扱いされ、観客の注目を一身に集めることが首脳陣に嫌われたという指摘もあるものの、興行を重視する二軍首脳陣は馬場を歓迎していた可能性が高い。そして馬場も自らを客を呼べる選手であったことに自覚的だったことを本書は示唆する。

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