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【ジャンプSQ】Thisコミュニケーション10【六内円栄】

73 :作者の都合により名無しです:2024/03/05(火) 03:04:20.78 ID:f0+ubQMd.net
漫画として売れるためなら、どこまで萌えを絡めないといけない。萌え一辺倒だと、他の漫画と変わらない存在になる。
この作品の独自性を出すためには、SFとして描きたい。
SFを貫くと、無機質で殺伐して、萌えから遠ざかる。

アフタヌーン漫画と同じジレンマ。よく続いたと思うよ
ジャンプ系としては異例だろうな。チェンソーマンよりは大分頑張ったと思う。

面倒くさい説明を、漫画として描き切った。大体は

15話ぐらいまでの神父とオスカーがピークだった。
坊主で行き詰まった。どうにも魅力がなかった。というかキモいだけだった。
なので、テコ入れで神父を復活させた。
神父が終わったら、また低迷していった。

新所長と7,8が微妙だったり、焼き直しみたいな感じだった。
説明とかネタばらしも長くなっていった。なんか話が苦しかったというか、
なので、収束させた。そんな感じかな。

結局、敵キャラの魅力次第と思う。
実際、坊主編が苦痛だったというコメントはけっこう見たな。
イベリット、クリーチャーはつまるところミミズの化け物としか描きようがないので、どこかで人の顔と人格をもったキャラクターとのやり取りを描かないと、作劇として楽しくない。
なんなら、性的な体か心の描写をもたせないと、魅力がない。

そこら辺が、アフタヌーンSFと共通の課題なんだろうな。
SF要素を確立させると、それ自体は殺伐としたものであるべき、という要求がある。
その殺伐したSF要素と、いわゆる萌えとを、いかに両立させるか。

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