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ただただ自分語りをするスレ

1 :1:2018/10/18(木) 23:48:37.92 ID:XiqyCSQ+B
こんな時間まで起きてるもんだからおセンチな気持ちになってしまった。
別にご立派な人生歩んできた訳でもないけど少し吐き出させて欲しい。
ただ自己満足のために立てたけど、もちろんスレ立てまでとは言わんが吐き出したいって人がいれば利用してくだされ。

2 :1:2018/10/19(金) 00:16:16.08 ID:F9P4P6ksv
長くなるけど生い立ち。
私は三人兄弟の末っ子として生まれた。長男(7)、長女(2)、次女(0)ってな感じで。家族仲は特別悪くもなかったが、父親の精神疾患っていうか、躁鬱のせいで母親は長兄出産前から苦労していたらしい。
今も父は薬を飲んでいて、普通に仕事して日常生活送ってるけどやっぱり変わってるなとは感じる。
それでも「クセ強いな」程度で見れる範疇。(母と兄は、家族として一番修羅ってた時期を過ごしていたから本当に苦労したんだと思う、ここまでくるのに長かったとたまに愚痴をこぼす)
そんなことはつゆ知らず、元気すぎるくらい周りの人をボコスカ叩きながら私は成長した。

話は小2に飛ぶ。
当時兄は中2、姉は小4。姉は町内のスポーツクラブに入っていて、土日は両親と姉が一日中家にいない日は多かった。(基本的に父は家にいたが、それでも少なかった)
物分かりのいいお利口ちゃんでもなかった私は姉を恨んだ。「おかあさんとおとうさんを独占しやがって!」てな具合で。兄は基本休日は部屋から出ずにゲームしたり漫画読んだりしてた。そういう時私はどうやって過ごしていたのか覚えてない。
そんなんが頻繁になってきた頃、私は兄に声をかけられた。
結論から先に言うと、私は兄に性的な悪戯をされた。
トイレに連れ込まれ、普段の兄からは想像つかないような優しい顔と声で私の体を触り、自分のブツを触らせたりした。
当時兄は私を嫌っていて、明らかに姉に対する態度と違っていたこともあり、「これをしている時はお兄ちゃんは優しいんだ!」と思い込んだ。
両親と姉がいない時だけ発生するそれに、私は特別感すら覚えてたよ。きもちわる。
そんなだからそん時は嫌悪感もなく、悪いことだとも思っていなかったから、ベランダで裸にされた時も、広い窓があるリビングで裸にされた時も何も思ってなかった。
でも知る時が来た。小3の時だった。

3 :1:2018/10/19(金) 00:20:20.19 ID:F9P4P6ksv
兄は私を触る時、必ず今どこを触っているのかを私に言ってきた。
股座の名前は特に何回も言われたものだから、私はネットでその言葉を調べた。(なぜか親に聞かなかったのは本当に今考えても不思議だ)
出て来たサイトの写真を見て、私は吐いた。気持ち悪くて。そんで悟った。「気持ち悪いことをしていた」って。
次の休日も私は兄に呼ばれて、私は拒否した。何回も何回も嫌だと言った。
兄は私を解放したけれど、もういつもの姉にするような優しい態度はなくて、平日の冷たい態度に一瞬で戻って私にこう言った。「溜まってたのに」
意味が分かってしまう今は、兄への不信感しかない。この頃から私は兄と全く話さなくなり、姉を目の敵にし始めた。
とんだとばっちりだけれど、当時の私は姉が諸悪の根源に見えたんだろうね。そもそも姉がスポーツなんてやらなければ家には親がいたはずなのに、私が兄にあんなことをされることはなかったのに、ってな具合で。
姉からしたらいい迷惑すぎる

4 :1:2018/10/19(金) 00:38:06.93 ID:F9P4P6ksv
そんなことがあったのに私は非行に走ったりDVしたりキチったりすることもなく真っ当に育った。まあ、私が未だに兄を信じていたいところがあったからかもしれない。
姉は運動ができたけど勉強はできなかった。私は元々勉強が好きだったし、姉と違う分野で活躍できたら親に見てもらえるんじゃないかと思って、県内の大学附属中学校を受験した。
塾に行って勉強して、志望動機を頭に詰め込んで小6の時期を過ごした。
結果としては合格。外部受験生女子40人の本合格枠に入り込んだ。
念願叶って親にも褒められ、祖父母にも褒められ、なぜか親の職場の上司からも入学祝いをいただき、私は幸福の絶頂にあった。
周りのみんなが地元中学の制服に緑のボウタイをつけてる中、青と赤のストライプのネクタイを締めて出かける自分に優越感を覚えてた。
何より姉が緑のボウタイだったことがすごく嬉しかった。
滑り出しとしては順調だった。友達もいて楽しかった。
中1の夏休みが明けて、私は友達グループに無視され始めた。だんだんと激しくなって、私の好きな人まで巻き込んで嫌がらせが始まった。
幸いだったのは、好きな人は私のことをきちんと友達として接してくれたことだった。私が元凶で面倒なことに巻き込まれたのに、良い人だったよ。
でもやっぱり頭がいい子達だったよ。こっちに実害が出るようなことはしないの。
物隠したりしないし、暴力もなかった。聞こえるか聞こえないかの距離で私を悪口を言いまくるだけ。
毎日毎日、休み時間が来るたびに、本当にずっとずっと、ずっと。人望も向こうにあったから私も何もしなかった。ただただ自分が何をしたのか考えながら毎日を過ごした。

5 :1:2018/10/19(金) 00:53:19.49 ID:F9P4P6ksv
私は生来のかまってちゃんだったから、手首をちょちょいっとヤった。血は滲んだ程度。だっせぇ。
意外にも一番最初に気付いてくれたのは姉だった。私の手首を掴んで、私の頬を平手打ちした。
「私だってやろうとした、でもそれは母さんが一番悲しむことだからやらなかった。」って半泣きで言うんだよ。
姉も小6から中1くらいにいじめを受けていたことを知った。ちょっと悪い子とつるんで、でも根が真面目な姉はやっぱり浮いて、かなり悩んだらしかった。
姉は私の手首を掴んで、母親の前に一緒に行ってくれた。姉は「もう私が怒ったから怒らないであげて」って言って階段を登って自分の部屋に戻って行った。
姉に対する私の気持ちが激変した瞬間だった。
母も父も、それからは色んなことをしてくれた。
母は「女の子の体なんだから」って笑っちゃうくらい浅い傷だったのに跡が目立たないように、傷跡が残らない絆創膏を買ってきて、お風呂あがりに毎日貼ってくれたし、話を今までより聞いてくれるようになった。今まで気付かなくてごめん、とも言ってくれた。
父は父で、自分の躁鬱でお世話になっている先生に私のことを相談してくれていた。
予約がいっぱいの名医だったその先生の予約の間に私を無理やりねじ込んでもらって、カウンセリングの予定を入れてくれた。
20になった兄は友達の家に入り浸る状態で、家に帰って来るのは11時を過ぎてからだった。前から父とは仲良くなかった。
ちなみにこの時母との話し合いで兄との一件が露呈するが、それはまた別の話。

6 :1:2018/10/19(金) 01:07:23.64 ID:F9P4P6ksv
今までは、勉強のことしか見てもらえないんだから勉強しない私に価値はないとすら思い込んでた私はリ○カ事件を経て両親に、そして姉に愛されてる自信が持てた。
(それでも、今でもやっぱりたまに姉と自分を比べては軽く鬱になる時はある。これはただの根暗。)
その時母はすぐに動いてくれて、速攻で学校とのパイプを作ってとにかく根回ししてくれた。クラス替えでは、主犯格以外の子すら私とは離れたクラスになっていた。

中2は見事にはっちゃけた。中だるみって言うのかな、1年に比べて全く勉強しなくなった。当時パソコンにハマり始めたのもあって、まあ遊びに遊んだ。
200人中40位〜20位くらいだった成績は150位くらいまで下がった。\(^o^)/
そんで、私の人生に一番影をさした事件が起きた。
中2の夏休み明け。私は塾をやめることになって、最後の授業に出席すると、小学校が一緒だった女の子がいた。女の子はその授業から塾に通い始めるらしかった。私はその子に話しかけて、くっちゃべってた。小学校の誰々は今何をしてるだの部活がどうだの。
ところで、私には親友のRがいた。
小5からめちゃくちゃ仲が良くなって、放課後は毎日校庭に埋まってるタイヤの上に座ってだべってた。
Rも中学受験組(Rは私立だった)だったから、受験のストレスとかも話し合った。彼女には唯一、兄とのことも話していた。彼女は誰にも言うことなく、ただ私の話を聞いてくれていた。
その女の子はRと家が近かったから、私はRは元気?と聞いた。
女の子は「…知らないの?」と言って恐々しながら私に教えてくれた。
Rは8月29日に自サツしていた。

7 :1:2018/10/19(金) 01:23:18.89 ID:F9P4P6ksv
お迎えの車の中で、私は泣いた。母に話して、母は「大丈夫、絶対に嘘。Sちゃんのお母さん(すーごい情報通な方。自動検索システム付きメガホンみたいな人)にメールで聞いてみるから」って私を励ましてくれた。
母の声は泣いていたけど。
泣きながら風呂に入って泣きながら晩ご飯を食べて寝て、朝が来た。
母は「…本当だったみたい」と教えてくれた。ママ友付き合いが好きじゃなくて基本1人だった母が彼女にそれを聞くのは勇気のいることだったろうと思う。
実は私は、Rの一件を理解した後の3ヶ月間くらいの記憶がない。すっぱぬけてる。
だからここからの話は、後から聞いたこと。
私は一気に暗くなった。部屋にこもることが多くなった。毎日毎日日記を書いて、毎日毎日Rのことを書いた。
Rと私は、7月に地元の神社で行われるお祭りを一緒に回っていた。1ヶ月前に会っていたのだ。会っていたのにも関わらず、私は何にも察することすらできなかったのだ。
毎日泣いた、果てにはまた自傷を繰り返すようになった。
見かねた母は仕事を休んで、学校に休みの連絡を入れて私と休みを過ごしてくれた。
Rのことから1ヶ月が経っていて、もう私は変にハイになってしまっていつも笑っていたらしい。ヘラヘラニコニコと、本当にいつもいつも。泣かなくなったし、(母親の話では「泣けなくなった」)日記も書かなくなっていたそうな。
学校の友達は「明るくなったね!」って私によく話しかけるようになった。私はRのことしか考えていなかっただろうから、友達の話なんて多分聞いていなかったはずだ。
それからは、自然消滅じゃないけど多分自分の中でほとぼりが少し冷めたんだと思う、普通に落ち着いて、冷静に泣けるようになった。そこらへんからは記憶がある。

8 :1:2018/10/19(金) 01:39:09.39 ID:F9P4P6ksv
そんなこんなで1年過ごして、受験シーズン。
ちなみに私が塾をやめた理由について。
私の中学からは毎年120人くらい、県でトップの県立高校に行くみたいな風潮があって、私はそれが嫌だったからやめた。
その高校(A高校にしておく)は私の中学のテストで偏差値50取れてればまず受かる高校だったし、当日点が良ければ内申は重視されない感じだった。
私の中学は県内から、普通の公立ならオール5みたいな連中がゾロゾロ来てた中学だったから、内申は厳しめに付けられてた。
そんで私は、元々自分が行きたかったH高校っていう学校が内申40ないとキツイって知って、内申37だった私は泣く泣くA高校にシフトチェンジ。
A高校に入りたくても入れなかった子が聞いたらコロされそうな話だ。
ここでも色々修羅ったんだが、割愛。結論としては合格。中学の時より嬉しくなかったのを覚えてる。

でもいいこともあった。私が塾をやめる前に塾で仲良くなった女の子がいた。Nとする。Nは塾にいた時はI高校志望の子で、ちょくちょくI高校の話を聞いていた。
だからA高校の入学式にNの姿があった時は驚いた。しかも隣のクラスときたもんだ。
私とNはめちゃくちゃ仲良くなった。どちらからともなく、親友の間柄になった。Rのことも話して、「重いと感じることがあったらごめんね」と言った私になんかかっこいいことを言ってくれた気がするんだが、よく覚えてない笑

9 :1:2018/10/19(金) 02:00:12.78 ID:F9P4P6ksv
Nとはよく遊んだ。人生で初めて友達の家にお泊まりしたのはNが初めてだった。すごく楽しかったのを覚えてる。

平和な高1が終わり、高2になった。クラス替えではNと同じになれてとても嬉しかった。
高2では、N、Nと同じクラスだったT、M、私の4人でグループ作ってた。
最初のうちは仲が良かった。いつ頃からだったかな。6月くらいか。Nの様子がおかしくなり始めた。
私を無視し始めた。
色んなことがフラッシュバックした。中1のこと、Rのこと。また私は1人になるのか?って考えると耐えられなかった。
その間修学旅行とかあって、Nと同部屋だったから正直ホテルでは他の友達の部屋に行ったりした。
西日本の学校だからディズニーとか行ったんだけど、ディズニーは彼氏と回ったし、2日目にあらかじめ選択して見に行った歌舞伎はNはいなかったからすごく楽しかったから、修学旅行自体は良い思い出。
海老蔵さんと勧玄くん見て泣いた。あの時は多分まだ麻央さんはご存命だったかな。
修学旅行も終わって、私はRにできなかったことをしようって無意識に思ってたのかもしれない。ラインして、駅で2つ離れたNの家に行って話し合った。
とにかくNと話し合った。今考えると多分Nはウザかっただろうな〜…。
Nがやっと話してくれたのは、すごく言葉を選んで喋ってくれたけど、便宜上要約するとこんなことだった。
「1(私)が以前に私(N)の好きなものを悪く言った時から嫌いだった。合わないと思ったけど、2年生の最初は1しかいなかったから仲良くしてた。でももうMやTもいるし、1から離れても大丈夫。」
何も考えられなかった。原因が私にあったから、Nに腹をたてるより自分のゴミ加減に腹が立った。
そこからは落ちまくり。ほげーーーーって感じで毎日過ごして、いつの間にか保健室に登校してそんで早退して帰ることが増えた。
次いで、毎年秋口から季節鬱?みたいなのになる私はそれを自制することも自律することも忘れ1ヶ月くらい学校を休んで家に引きこもった。Nからはラインが来てた。返事はしなかった。

10 :1:2018/10/19(金) 02:13:12.42 ID:F9P4P6ksv
1ヶ月間で色んなことをした。母親と話し合った。彼氏と別れた。カウンセリングも行った。精神科では鬱と診断された。これで鬱なら私は中学生から鬱じゃヤブ医者。
なんだかんだあって私は学校に戻った。心底辞めてやろうかと思ったけど、チキンの私に辞める度胸はなかったし、ダブりとかは嫌だった。あと制服が可愛かったから着ていたかった。
なんか言われるかな〜って思いながら行った学校は、あっけないものだった。視線こそ感じるけど誰も何も聞かなかった、すごく気を遣ってくれてた。割とA高校は留年とか中退とか多いから、むしろ先生のが驚いてたよ。
2年生の残りは、学校休み始める前からぼっちの私を受け入れてくれたオタの女子2人と一緒にいた。Nも私もオタクだったけど、こっちのオタクの方が趣味が被ってて毎日楽しかった。
Nが何か話しかけたそうにこっちを見てきて、挙げ句の果てに「今度甘いものでも食べに行こうよ」とまで言ってきた時は流石に内心穏やかではなかったけど、吹っ切れて冷静になった私は正直無敵だったと思う。
担任もいい人で、部活の顧問もすごく応援してくれた。顧問は60近くて昭和のおっさんって感じでヘビースモーカーのK先生っていうんだけど、私が学校に戻ってきて色んな先生と喋ってみんな口を揃えて言ったことがある。
「あのK先生が1のことをすごく心配して気にかけている。あそこまで1人の生徒を気にかけてるK先生は初めて見た」と。
私は顧問のことが人間として好きだったし尊敬してたのですごく嬉しくて起爆剤になった。成績こそ立ち直ってないけど、完全復活に等しかった。

11 :1:2018/10/19(金) 02:25:41.57 ID:F9P4P6ksv
ちなみにヤブ医者と先述した名医の方は別人です。
ヤブはなんでも、自分がやってるアメリカ式の薬を使わない、日本では珍しい療法にすごい誇りを持ってらっしゃるそうで、カウンセリングに行ったつもりがそのクソジジ……おっと失礼ヤブの自慢話を聞かされ、私の中で敵認定しました。

顧問の応援もあったから、やめようと思ってた部活も最後の大会にキッチリ出て、同じ部活だった元彼氏とちょっと気まずくなりながらやり遂げた。
それが高2の3月のこと。

ちなみに今私は高3の受験生です。中間考査真っ只中。
この前同じグループの女の子と話していて、その子がRと同じ中学と知ってRのことを聞いたらどうやらいじめだったことが分かり、色々とモヤモヤして眠れなくなったので書き込みに至りました。
Rのことを考える前に、少し自分のこと見つめなおそうかなと思いまして。私立の受験で面接あるんで過去にヒントあったりしねーかなーみたいなとこもあります。
案の定なかった上、もう4、5年経つのにまだお線香どころか家にすら行けてないRのことと思い出さんでもいいクソ兄貴のことを思い出して余計にモヤモヤしましたが笑

もし見てくれていた人がいらっしゃったらありがとうございました。
ないと思いますが、質問等あればお答えします。明日になりますが…
深夜に連投失礼しました。おやすみなさい。

12 :おっさん:2018/10/21(日) 23:13:41.93 ID:pbdWnLhG1
若い時はいっぱい悩みな。

悩んで悩んで悔いて答えが出たと思ったら間違っててまた悔いての連続よ。
それが人生ってもんよ。

13 :おっさん:2018/10/21(日) 23:18:43.94 ID:pbdWnLhG1
色んな人との出会いがあるし左右されることもあるけど
自分の中での「芯」は持ち続けやんとアカンよ?

これだけ物事を考えられるんだから、感情を表現出来るんだから
将来エェ未来待ってるよ。

ただ繊細に考えすぎて心折ってまわんようにしーや。
他人ってのは自分程深く物事考えない生き物やから☆彡
感受性高い人ほど、この世は辛い感じになっちゃうからね。

14 :1:2018/11/04(日) 15:24:51.61 ID:5TxYT6A8f
>>13 暖かいレスありがとうございます、本当に…。
高校生活の挫折を経て考えすぎない性格になりましたが、やはり性分なのか思考の袋小路に入ってうんうん唸る時はあります笑
受験が近いので「芯」について考えてみましたが、私にとって自分の人生で大事なものは何なのか、結局よく分かりませんでした。
でも深く考えすぎずに気楽に探していこうと思います。
この短い人生の中で味わった挫折と苦渋を無駄にしないで、いつか私と同じ思いをした人たちに、私がいろんな人から受け取った優しさを還元していきたいと思います。

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