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名古屋のケッタ乗り 133城目
- 654 :ツール・ド・名無しさん:2018/08/03(金) 09:51:07.90 ID:ORrCu1aw.net
- >>629
飛行場は本地ヶ原小学校の南側の道路あたりらしい。
近くの神社付近にハンガーがあり、飛行場が無くなったあとも家事で焼け落ちるまで現役で
内部に小売店などが並んで一種異様の光景だったらしい。
近くのタイヤショップの親父は当時の人だから聞くといろいろ教えてくれるよ。
小牧長久手なら、晴丘は戦場にはなっていないけど、本地は一部が戦場になっている。
主戦場は市役所から古戦場の交差点にかけて。
但し、戦闘前の秀吉軍主力は岩崎城の落城後の首見聞を行っており、後方の運搬部隊が
本地丘あたりの白山林に陣取っており、そこに家康軍が西と北から攻撃をかけたのが戦端で
後方部隊は雪崩れるように香流川沿いに崩れていったらしい。
ちなみに、家康は稲葉町から矢田川を渡り、晴丘を通って主戦場に抜けたらしい。
このあたりは古戦場公園の売店の薄い小冊子(200円?)が詳しい。
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