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中島みゆき、吉田拓郎らプロデュース 瀬尾一三の細く長い足跡 [ひよこ★]

1 :ひよこ ★ :2020/06/15(月) 16:54:36.94 ID:CAP_USER9.net
2020.6.15 16:06

https://www.sankei.com/images/news/200615/ent2006150004-p1.jpg
数々の名曲、名盤を手がけた音楽プロデューサー、瀬尾一三=東京都渋谷区


 瀬尾一三(いちぞう)(72)は「音楽プロデューサー」だ。昭和45年に仕事に就いたから、この道50年。吉田拓郎や中島みゆきらとの仕事で日本のフォーク、ニューミュージック史に残した足跡は巨大だ。いまなお歩み続ける瀬尾が、音楽プロデューサーという仕事について語る。(石井健、写真も)

 50年で瀬尾が編曲やプロデュースで携わった歌は2800曲。「22才の別れ」「我(わ)が良き友よ」「『いちご白書』をもう一度」「ひとり咲き」「とんぼ」「壊れかけのRadio」「糸」…。ヒット曲の枚挙にはいとまがない。

 昭和22年に兵庫県で役人の家に生まれた瀬尾は、関西大学で英語教師を目指したが、フォークソングに魅了された。在学中、関西でフォークグループの一員として活動したが、45年に上京してレコード会社の制作マンになった。

 「僕は“黒衣(くろご)”が好きなんだ。僕には、“表”に出るために必要なカリスマ性という天分がない。目立たなくていいから好きな音楽の仕事を細く長く続けたかった」

 瀬尾は、実践を通じてスキルを磨いた。スタジオ演奏家や機材の手配、編曲のノウハウなどだ。

 47年に独り立ちし、翌48年に手掛けたのが吉田拓郎の実況録音盤「たくろうLIVE’73」だ。瀬尾は編曲家および共同プロデューサーとして作品に名を刻んだ。アイデアを出し、編曲を手掛け、人や機材の手配をし、作品の方向性を決めた。伴奏に管楽器群を導入し、“フォークの拓郎”のイメージを打ち破った。

 「音楽プロデューサーに定義はないのですが、あえていうなら音楽家がゼロから生み出した歌を、どう流通させるかを考え、録音物を納品するのが仕事」

 CHAGE and ASKA、長渕剛、徳永英明らを手がけた瀬尾が、63年に出会ったのが中島みゆきだ。

 瀬尾の足跡をまとめて今年2月に出版された「音楽と契約した男」に中島は、プロデュースを依頼するため初めて会った瀬尾について寄稿している。

 「“ものすごく不機嫌な表情”だった。こりゃ駄目かなと内心思った」

 瀬尾は笑って否定する。


続きはソースで
https://www.sankei.com/entertainments/news/200615/ent2006150004-n1.html

2 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US]:2020/06/15(月) 17:18:54.29 ID:s7fY13zX0.net
中島みゆきも化け物になったなぁ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。 [ニダ]:2020/06/15(月) 17:48:57.44 ID:N+25P6zQ0.net
https://www.youtube.com/watch?v=YaHJ6x-yPTM
編曲は瀬尾一三

4 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US]:2020/06/15(月) 19:13:25.90 ID:Ftq9DVFK0.net
>>2
元々魔女だったとか

5 :名無しさん@お腹いっぱい。 [US]:2020/06/15(月) 19:41:14.33 ID:6hAXxxY/0.net
フォーク系の人たちをオシャレに飾り付ける職人ってか

6 :名無しさん@お腹いっぱい。 [ニダ]:2020/06/15(月) 20:27:24.45 ID:N+25P6zQ0.net
>>4
悪女だ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。 [ニダ]:2020/06/15(月) 20:28:15.01 ID:N+25P6zQ0.net
>>3
ダーダダッダダ!
ダーダダッダダ!

8 :名無しさん@お腹いっぱい。 [JP]:2020/06/15(月) 21:48:45.45 ID:kSMhUsk90.net
杏里の「オリビアを聞きながら」も瀬尾一三なんだね

出石そばが有名な豊岡の出石出身

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