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【大学】私大バブル期の大学受験【総難化】

712 :大学への名無しさん:2015/10/27(火) 03:26:01.53 ID:wCYUPWZx0.net
昔話2

ついでに
慶應文と早稲田一文の女子受験者は明らかに違った。
はっきり慶應文の方が、都会的で洗練されてた娘多し。
両方受けたから。
この頃、慶應法がようやく中法に並ぶ。
理由はおそらく数学やらなくても受験できるから。
つまり英国社で受験する私大専願の社会科学系志望では
慶應は法しかない。
ただし二次面接で、「早稲田法と中央法に受かったら、そうします?」
という質問に「早稲田にします。中央だったら慶應にします」
と言って面接官が驚く。
当時ははっきり、中央法>慶應法。

早稲田政経政治と上智国際関係法が難関度が頭抜けていた。
慶應経済は英数だったが、私大専願とは別枠の位置にあったが
偏差値の数字だけで早稲田政経の下にされていた。

早稲田はどの学部もれっきとしてTOP。
教育ですら、中央法と同じ位で慶應商より上。
ただし、おしゃれなミッション系人気もあり、

東 早稲田>慶應=上智>立教・学習院>青学=明治
西 同志社>=関西学院>立命館>関西
同志社は早慶の下、立教の上。

ちなみに80年頃までの難易度は、二文>社学
社学の難易度が二文より上なったのは85年以降だと思う
この頃はMARCHという言葉は一般的ではなかった。
二文社学は、MARCHの底辺の中央(除法)法政クラスの難易度。

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