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【沢田ひろふみ】遮那王義経

237 :作者の都合により名無しです:2015/04/03(金) 07:34:02.72 ID:f2on4KXE0.net
>自分は鎌倉から動かない口だけ大将なのは否めないしな

動かなかったのではなく動けなかった
挙兵から4年くらいたった一の谷の頃にも
奥州藤原氏や佐竹氏の残党の動向が不安材料

奥州藤原氏は結局鎌倉に何もしなかったけど、当時の頼朝としれみりゃ本当に何もしないのかが不安
(鎌倉を出たら本当に何かしてたかもしれない)
佐竹氏は本当に常陸で対頼朝ゲリラ活動をしていたから
頼朝が動くと何もしない。

それともう一つ大事なのが
東国武士にとって一番大事なのは
「自分の土地を守ってくれること」
なんで、
対義仲や一の谷の頃は「自分の土地を守ること」につながるかどうか不安だった東国武士たちは
あまり出撃したくなかったらしい。
実際、義仲攻めは、平家都落ちに加わらなかった義仲に既得権を奪われた小松系(重盛の子や孫)の家人
一の谷攻めは、非御家人の院に仕える西国の武士が主力で
東国御家人は攻め手の主力ではなかったとの説もある。

一の谷の事は東国武士の多くは自分の領地に籠って頼朝も東北と常陸を気にしながら
彼らの面倒をみていたというのが本当のところかもしれない。

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