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【萩尾望都】大泉スレPart78【竹宮惠子】

660 :花と名無しさん:2023/03/11(土) 22:38:24.19 ID:wHgB9FIX0.net
読み返しておもしろかった資料をご紹介します(長文ご容赦)
2010年発行「京都精華大学の本 マンガの脚本概論」竹宮惠子(角川学芸出版)
第1講コマ割り(少女マンガ)29pより(以下引用)

>劇画系少年マンガの影響を受け、少女マンガの間白に変化をもたらした例を挙げます。
>1970年代半ばに発表された萩尾さんの「トーマの心臓」です(図−2−1−9)
>このコマ割りは非常に複雑な工夫をしていて、亡くなった少年の心の言葉を左側に、
>ユーリの心象表現を右側に並べ、それが同時進行しています。
>同時進行させたくてこういう構造にしたわけで、とてもテクニカルにコマを利用しています。
>果たして読者が、自分が思ったように読んでくれるかどうかはわからない。
>でも読んでくれるに違いないと信じて描いており、これはまさに「表現」と言ってよいと思います。
>そして、「トーマの心臓」とほとんど同じ頃に私が描いた「風と木の詩」(図2−1−10)でも間白を利用しています
>主人公がケガをした左腕をかばいながらピアノを演奏するシーン。
>痛みが次々と襲ってくる主人公の内情と、周囲の観客を読者が同時に認識できる形を作っています。
>これらの手法は、ページ数の制限の中でどれぐらいたくさんのメッセージを盛り込めるかという工夫の中から生まれてきました。
>新人である私たちは、「読者は理解してくれるはず」という強い気持ちで
>とても難解なことを表現しようとしており、
>「こうするしかないの、お願い、わかって」という心境で新しい表現を創っていったのです。
>心理的にも、とても志高く意味深いものをやろうとしていたと思います。
(引用終了)

ぱふの自筆年譜によれば、竹宮さんはトーマ連載時は(嫉妬で)ほとんど読めなかったはず
教職に転じてから研究し、トーマの後に発表した風木を並べて引用する形で
「新しい難解な表現を創った私たち」と学生に語ったのは、たんに時を経て冷静になられたからなのか?
あるいは別の理由、目的がおありだったのか?
この本の発行が2010年。学部長昇格の2年後であり、学長就任は発行の4年後です
萩尾さんとの「同志」関係が、なんらかの追風になった可能性も否定できないように思います

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