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【野球】孤高の大打者、榎本喜八氏が野球殿堂入り
- 1 :Ψ:2016/01/19(火) 19:55:48.40 ID:3bF8TPEI.net
- 昭和の伝説的な大打者に、ようやく明るい光が当てられた。
2012年に死去した父に代わり、表彰式に出席した榎本喜八氏の長男・喜栄(よしひで)さん(50)は
「何より本人が喜んでいると思う。伝説の打者が親族にいたということを後世に伝えていきたい」と感謝の言葉を口にした。
球史の表舞台から長きにわたって遠ざかっていた存在だった。早実から毎日(現ロッテ)にテスト入団し、
1955年に高卒1年目で新人王。安打製造機と称され、プロ野球最年少31歳229日で通算2000安打に到達した。
小柄な体で正確無比な打撃フォーム。「大毎ミサイル打線」の中核で早熟の天才打者だった。
しかし、天才ゆえに孤独だったのか。いちずな性格もあって、周囲には風変わりに映る行動もしばしば見せた。
ベンチで座禅を組み、納得のいく打撃ができなかった際には球場で荒れ、物を壊すことも。
自宅では日本刀で素振りをしていたが、その刀で庭の太い木を一刀両断したこともあったという。
72年に現役を引退。その後、球界との距離は空いたままだった。
- 2 :Ψ:2016/01/19(火) 19:56:24.16 ID:3bF8TPEI.net
- それでも榎本氏は、復帰を願っていた。自宅ではいつコーチに呼ばれてもいいようにトレーニングを継続。
若い選手に負けないために、との思いだった。「一つのことをストイックに求める気質が強い人だった。
不器用な面もあって、理解されない葛藤もあったと思う」と喜栄さん。
その風変わりな言動は有名だったが、家族には「至って普通な、非常に優しい父親だった」と振り返った。
晩年。往年のファンはもちろん、インターネットなどで偉大な業績を知った若いファンからも、
自宅にサインを求める色紙やボールが届いた。
榎本氏は丁寧にサインをしながら、「僕は引退してからの方が人気があるんだな」とうれしそうに話していた。
野球に殉じようと願いながら、再びユニホームを着る機会に恵まれなかった大打者。
ようやく届いた朗報に、伸子夫人(84)は「やっとだね…」と漏らしたという。
◆榎本 喜八(えのもと・きはち)1936年(昭11)12月5日、東京都生まれ。早実では春夏合わせて甲子園に3度出場。
55年に毎日(現ロッテ)にテスト入団。1年目に打率.298で新人王。60年、66年に首位打者、60?62年、66年に
最多安打を獲得した。パ・リーグ記録のベストナインを9度受賞した。72年に、西鉄に移籍し、同年限りで現役を引退。
左投げ左打ち。2012年3月14日没、享年75。
http://mainichi.jp/articles/20160119/spn/00m/050/016000c
- 3 :でかちん:2016/01/19(火) 20:04:11.86 ID:6fWh+fSG.net
- ヒット打っても納得しなければ不機嫌で
凡打でもいい打撃だったと上機嫌だった人
- 4 :Ψ:2016/01/19(火) 20:08:22.69 ID:USNK7cBJ.net
- 世渡りが下手だっただけだろ
- 5 :Ψ:2016/01/19(火) 22:18:27.49 ID:8Qao4S31.net
- 星野みたいな893が選ばれなくて良かった
- 6 :Ψ:2016/01/19(火) 22:31:57.17 ID:wrk7Wrrx.net
- この人のwikipediaページ、話半分で読んでも相当な狂気
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