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文科省汚職で「立民議員の関与疑惑」をマスコミがスルーする理由

1 :きつねうどん ★:2018/08/23(木) 10:47:12.94 ID:CAP_USER.net
安倍首相のスキャンダルは徹底的に叩く一方で、野党議員の疑惑はスルーするという、マスコミ各社のあからさまな偏向報道を批判する声が高まっている。実は日本のマスコミは終戦後、GHQから「中立公正」よりも「悪との戦い」を旗印にせよと刷り込まれて誕生した。この歴史をひもとけば、なぜマスコミ各社が執拗に「反安倍」に偏るのかが見えてくる。(ノンフィクションライター 窪田順生)

立民議員が口利きで関与?
文科省収賄事件の闇
モリカケの時はあれほど大騒ぎしたのに、文科省収賄事件はスルー!?ネット上ではマスコミの「反安倍偏向報道」への怒りの声があふれているが、マスコミの不可思議な報道姿勢を理解するには、その歴史を考えてみる必要がある Photo:PIXTA
 連日のようにテレビや新聞が、高校球児の熱闘を大はしゃぎで取り上げるなかで、実はネットでも甲子園に負けず劣らずの“熱いバトル”が繰り広げられているのをご存じだろうか。

 きっかけは、先月立て続けに発覚した文科省収賄事件だ。東京医科大学の件も、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の件も、マスコミが「霞が関ブローカー」などと紹介していた、元会社役員の谷口浩司という人物が絡んでいたというのはご存じの通りだが、実は「黒幕」は別にいるのではという情報がちょろちょろ出てきているのだ。

 例えば、共同通信が13日にこんな報道をしている。

「東京医科大側が立憲民主党の衆院議員を通じて元医療コンサルタント会社役員谷口浩司容疑者(47)=贈賄の疑いで再逮捕=に相談を持ち掛けていたとみられることが13日、関係者への取材で分かった」

 素直に読めば、立民議員が“口利き”をしたのでは、という疑惑が浮かぶ。この疑惑に拍車をかけるのが、谷口氏の「妻」を名乗る人物が立ち上げたホームページだ。興味のある方はぜひご自分でググってご覧になっていただきたいが、そこには、これまでの話では、東京医科大の理事長と文科省前局長を引き合わせたのは谷口氏ということになっているが、「実際の紹介者は立憲民主党の吉田統彦代議士」(ホームページ)だと、会合がもたれた店や日時も明記して主張しているのだ。。

 また、谷口氏が国民民主党の羽田雄一郎参議院議員の「側近中の側近」だとして、同議員の名前と国会事務所の連絡先が記された「政策顧問」という名刺画像もアップしている。谷口氏が、「国会議員がケツ持ち(後ろ盾)」とうそぶいていたというのは朝日新聞なども報じているところなので、当然、このあたりが「ケツ持ち」ではという疑念も浮かぶ。

 もちろん、これらが事実なのかどうかは分からない。こうしている今も、立派なジャーナリストや記者の皆さんが、裏取り作業をしてくれているはずなので、その結果を待ちたいところだが、個人的にはそれと同じくらい注目しているのが、この「疑惑」の扱われ方をめぐる論争だ。

「反安倍」なら追求せず!?
マスコミ報道の偏り
 関与の疑いが濃厚なのに、マスコミが吉田議員、羽田議員などを追いかけ回していないことに対して、一部から怒りが噴出している。その熱い主張をざっとまとめると、こんな感じだ。

「モリカケの時は、籠池さんの眉唾話や怪文書だけであれだけ上へ下への大騒ぎをしたのに、既に逮捕者まで出ている疑惑をスルーするなんて、やっぱりマスゴミはクソだな」

 確かに当初、逮捕者ゼロの「疑惑」オンリーで1年以上もお祭り騒ぎをしていた森友・加計学園問題と比べると、こちらは高級官僚2人に有名大学理事長なども逮捕された「正真正銘の汚職」。その割には、マスコミの報じ方は、あまりにも淡白と言わざるを得ない。その露骨すぎるギャップがゆえ、ネット上では「反安倍無罪」なんて言葉も出てきている。

 中国や韓国では、愛国的な動機からの暴動やデモの場合、主催者は重い罪に問われない。それを「反日無罪」なんて揶揄されていたのだが、そこに引っ掛けて、マスコミは「反安倍」なので、同じく「反安倍」の人間なら、不正やスキャンダルが発覚しても叩かないか、もしくは手心を加えるのだと皮肉っているわけだ。

 言わんとしていることはよく分かる。過去にも「反安倍」というだけで、マスコミから、ぬるい追及しかされなかった議員、ジャーナリスト、文化人などが確かに存在しているからだ。。

 だが、マスコミというものを分析してきた立場から言わせていただくと、彼らの報じ方が「偏る」のは、「日本転覆を狙うマスゴミだから」とか「反安倍だから」ではない。右だ左だというイデオロギーを超越した、もっと根深い深い理由があるのだ。

2 :きつねうどん ★:2018/08/23(木) 10:47:47.14 ID:CAP_USER.net
信じた道をただ突き進む
「報道」のお作法
 それは一言で言ってしまえば、「偏る」ということが、実は「報道の作法」だからだ。

「は?なに言ってんの?」と首をかしげる方のために順を追って説明しよう。そもそも、皆さんは不思議ではないだろうか。なぜ我々はマスコミのことを「報道」と呼ぶようになったのか。

 他の産業は「自動車道」とか「小売道」なんてことは言わない。それは、社会の公器だからというが、同じような機能を担う分野でも、「福祉道」とか「政治道」なんて言い方はほとんど耳にしない。。

 NHK放送文化研究所のホームページには、「道」には専門分野の意味があるので、「知らせる専門分野」という意味と、「道」には「言う」と言う意味があると説明している。

 ただ、マスコミというものの本質から考えていくと、華道や茶道のような「道」がピタッとハマる。

 書道、柔道、剣道、空手道、居合道、合気道、そして、極道にマンガ道…これらの「道」に共通しているのは、「自分の信じた道を突き進む」ということだ。

 茶の道とは何か、剣の道とは何か、周囲からああだこうだと様々な雑音が入ってくるが、それに惑わされることなく信念に基づいて精進をする。この「自分の信じた道を突き進む」というのは、「報道」にも当てはまる。

 例えば、「従軍慰安婦」に関する「報道」の“お点前”をみれば、筆者の言いたいことが分かっていただけるはずだ。

「従軍慰安婦」については当初から様々な学者やジャーナリストが、証言者の言っていることは怪しいと忠告をしていた。が、「朝日新聞」はそういう“雑音”に耳を貸すことなく、ただひたすらに自分の信じた道を突き進んだ。

 人の話に耳を傾けないという、ジャーナリストらしからぬ「ストイックな求道者」となってしまったのは、彼らが「自分の信じた道をただひたすらに世の中にふれ回わる」という「報道」の探求者だからだ。

 森友・加計学園問題がネットで「偏向」と叩かれても、「報道」の世界では「結構なお点前で」と大絶賛されているのも、これが理由だ。

海外メディアも指摘してきた
日本の「報道」の特殊性
 バカなことを言うなというお叱りが、マスコミ関係者から凄まじい勢いで飛んできそうだが、日本の「報道」の特殊性については、はるか昔から海外メディアが指摘していた。

 分かりやすいのが、1960年代の安保闘争だ。国会前が大騒ぎなった時、米「タイム」誌が、『Free Press Gone Wrong』(1960年6月27日号)というタイトルで、「日本の新聞は暴徒を煽った」として朝日、毎日、読売をこき下ろした。「反政府的であることが新聞の義務」という有力紙編集者のコメントとともに、こんな皮肉をぶちまけている。

「第二次大戦の終わりに、占領軍司令官ダグラス・マッカーサーによって押しつけられた憲法のもとで日本国民は新聞の自由が保障されることになった。しかしまもなく日本の新聞は、自由とは一切の権威に反対しなければならぬことにいつの間にかすりかえてしまった」(読売新聞1960年8月24日)

 つまり、「反安倍無罪」ではなく、正確には「反政府無罪」なのだ。断っておくが、批判しているわけではない。これが「報道」を探求する方たちが信じる道であって、そこに従うことこそが、彼らのスタイル、つまり「作法」だという事実を指摘させていただいているだけだ。

 このような話を聞くと、デタラメを言うなと怒りに震える方もたくさんいるだろう。

 日本のマスコミは戦争中は偏りまくりだったが、GHQとマッカーサーがもたらしてくれた民主主義によって、「中立公正」に目覚めたはずだ。「反政府」なんてのは言いがかりだ――。

 そんな絶叫が聞こえそうだが、残念ながらその認識自体が誤っている。終戦から5年後、GHQの新聞課長、D・C・インボデン少佐がある大学で講演を行った。そこで「報道」の精神を、これ以上ないほど分かりやすく説いている。

3 :きつねうどん ★:2018/08/23(木) 10:47:52.40 ID:CAP_USER.net
「今は臆病で卑怯な人間が偉大な新聞の編集者の地位を占めるべきときではない。今は臆病で卑怯な人間が『中立』『不偏』『孤立』をしゃべり散らす場合ではない。新聞編集者は毅然として正義の原則上に立つか、あるいは正義の原則に背を向けるか決すべき時期が来たのである」(読売新聞1950年8月8日)

報道内容が間違っていても
マスコミがなかなか謝罪しない理由
 これは、共産主義勢力との戦いを想定したものだが、GHQの新聞課長という、いわば「報道」の方向性を示した「家元」のような存在が「新聞は“悪”と闘え『中立』は卑怯の代名詞」(同紙)と熱弁を振るっていた意味は大きい。

 個人的には、この時代に新聞人たちに行われた「刷り込み」が、日本の「報道」を「中立公正」ではなく「悪との戦い」という方向に決してしまったのではないかと考えている。

 いずれにせよ、「インボデン家元」に言われた、「悪と闘え」という教えが現代のマスコミに脈々と受け継がれていることは、彼らが自分たちを「正義」と信じて疑わず、どんなに追い込まれても決して「非」を認めない、という事実が雄弁に語っている。

 政治家や民間企業などが不祥事を起こせば、すぐに謝罪会見を開け、と騒ぐわりに、マスコミは滅多に頭を下げない。これは、新人記者が「お詫び文」を出さないよう徹底的に釘をさされるように、「社会からの信頼」を重視しているからだという人がいるが、そうではない。

 自分の信じることが世界の全てである「求道者」にとって、信じることを曲げてまで頭を下げることは「死」と同じなのだ。

 茶道の大成者である千利休の有名なエピソードがある。天下人秀吉に逆らって、罪に問われた際に、このように述べたという。

 「頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもございます」

 権力に屈して自分を否定したら、茶の味が穢(けが)れるというわけだ。同じく「道」を名乗るマスコミも、「報道」を貶めようとする「悪」に屈してしまうと、自分たちのペンが穢れると思っている。自分たちを特権階級だとか勘違いしているわけでも、責任逃れで保身をしたいわけではない。

 「報道」とは、そもそも頭を下げてはならぬものなのだ。

「中立公正」は掲げるけれど…
「悪との戦い」が偏向報道をつくる
 これまでいろんな方が「報道」に文句を言ってきた。いくら何でも内容が偏りすぎじゃないか。記者クラブ制度や新聞の消費税の軽減税率など、自分たちの特権には随分甘いじゃないか。

 だが、ご存じのように、マスコミ各社は決して「非」を認めてこなかった。それは彼らが「反日」だからでも「マスゴミ」だからでもなく、「自分たちの信じる道」を追い求める求道者だからなのだ。

 もちろん、華道や茶道に様々な流派があるように、「報道」にも様々な流派がある。朝日流、読売流、産経流などなど、皆かなりクセが強めだが、たどって行けば、GHQという創始者につながる。

 ご存じのように、アメリカというのは超建前社会だ。当然、あちらのジャーナリズムも「中立公正」を掲げても、「共産主義は悪だ」なんてゴリゴリに偏ってきた。そういう人たちを「本家」にして、彼らから学んだ日本の「報道」が偏らないわけがない。

 中でも本家の影響を色濃く受けた「朝日流」が「中立公正」という看板を掲げながらも、その実態は「悪と闘え」という原理主義に走ってしまうのは当然の流れだ。

 このように「報道」というものを正しく理解すれば、巷に溢れる「偏向報道」に対しても、そこまで腹が立たないのではないか。

 え?余計に腹が立つ?そりゃそうですよね。

https://diamond.jp/articles/-/178043?display=b

4 :Ψ:2018/08/23(木) 10:52:47.04 ID:00jKP7Ts.net
 
なぜ安倍自民党はネトウヨつかって安室奈美恵を叩くのか
 

5 :Ψ:2018/08/23(木) 10:55:27.35 ID:00jKP7Ts.net
 
賠償請求されたネトウヨ「あの弁護士を外患誘致罪で逮捕しろよ」→検察「お前の疑惑のレベルの低さはなんだ、帰れ」 
 

6 :Ψ:2018/08/23(木) 10:56:28.09 ID:hN0GnPHr.net
>>1
反安部無罪なんでしょ

マスコミの一番汚いところ見せられてる気がする

7 :Ψ:2018/08/23(木) 10:56:58.24 ID:ksBRmobB.net
仮面の写真とかテレビ的にもチョ−面白いのにね

8 :Ψ:2018/08/23(木) 11:39:18.64 ID:ZHEzZMBm.net
そうかなあ・・・ペコペコ謝ってる印象もあるけどな
先日も、中日新聞主筆の小出某が愛知県の三河地方出身の知事を引き合いに出した暴言を吐いて謝ってたぞ
そんな偉そうな主義主張をこいつらが持っているのか疑問じゃねw

9 :Ψ:2018/08/23(木) 11:53:56.58 ID:RBJFK1IV.net
チョンチュンに支配されたマスゴミにとって都合の良い政党がどこかって事なのね

10 :Ψ:2018/08/23(木) 13:15:45.80 ID:9y78VmSR.net
どこか一社が報じ始めたら視聴率欲しさに一斉報道始めるよwwwww

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