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破軍星旗がやって来た!新政府軍を恐怖のどん底に陥れた「北斗七星の戦士」酒井玄蕃 [きつねうどん★]

1 :きつねうどん ★:2020/07/24(金) 19:33:48.65 ID:CAP_USER.net
北斗七星輝く時、この世を取り巻く邪はすべて消え去る。

出羽国新庄の地に銃砲の発射音が響き渡る。エンフィールド銃、四斤山砲、突撃する兵士の怒声。そして血しぶき。

「鬼玄蕃(おにげんば)だ!」

新政府軍の兵士の誰かが、そう叫んだ。途端、軍は狼狽し逃げ出す者すら現れる。「何をしておる。戦え!」と怒鳴った分隊長は、直後に銃弾を受けて朽ちた。

庄内の鬼玄蕃だ!

破軍星旗がやって来た!

庄内藩二番大隊を率いる酒井玄蕃は、快進撃の最中にある新政府軍の将兵を恐怖のどん底に叩き落した。

病弱ながらも大活躍!
酒井了恒(さかい・のりつね)、通称酒井玄蕃は庄内藩家老である。

雅楽、笛、漢詩に通じ、剣術の腕前も一流。厳しい軍紀を施し、配下の兵による略奪を許さなかった一方、敵兵の遺体を手厚く葬ることもした。近隣の民百姓からは「庄内様」と慕われていたほどの人望も有していた。

が、それと引き換えに酒井は幼少の頃から病弱だった。呼吸器に問題があったのだ。

それでも時代は容赦ない。彼の生年は1842(天保13)年。その青春時代は、まさに幕末激動期の只中である。

兵学で頭角を現した酒井は、21歳の頃に幕命で江戸詰めとなる。これが平和な時代であればただの単身赴任だが、時は文久年間。酒井には倒幕を目論む尊攘派の取り締まりという密命が与えられていた。

1864(元治元年)に天狗党の乱という事件が発生している。これは水戸藩の尊攘派を中核にした挙兵だったが、幕府は容赦なくこれを鎮圧。酒井もこの事件で2名の水戸藩士を討ち取った。

庄内藩の逆襲
1868(慶応4)年から始まった戊辰戦争で、庄内藩は幕府軍についた。

しかし秋田・山形方面の諸藩は一枚岩ではなかった。たとえば秋田久保田藩は国学者平田篤胤の故郷。江戸のオカルト本『仙境異聞』の作者だが、彼は尊王攘夷思想の根源を形成した人物でもある。故に、当初は幕府側についていた久保田藩内部には倒幕思想の持ち主が多かった。

久保田藩が新政府軍についた瞬間、その後の運命は決した。

1868年7月6日、薩長と小倉、佐賀の軍勢約2000名が久保田藩領への進撃を開始。最終目標は庄内藩の攻略である。この侵攻で久保田藩は完全に新政府軍に傾いた。

次は近隣の新庄藩領に入り、新庄藩兵の手引きで庄内藩の攻略を開始する。

しかし、庄内藩は幕府軍の中では突出した近代化を達成していた。エンフィールド銃を標準装備し、その射程は新政府軍の精鋭部隊に劣らない。当初は庄内藩の防戦一方になると思われていたこの戦い、7月14日に庄内藩二番大隊が何と新庄藩を攻略してしまうのだ。

この第二大隊の指揮官こそ、数え26歳の酒井玄蕃である。

軍旗は北斗七星を逆に描いた「破軍星旗」。この軍旗を背に戦えば絶対に負けることはないと言われていた。逆に、破軍星旗を正面に捉えた者は必ず負ける——。北斗七星の先端、おおぐま座ηは古来から「破軍星」と呼ばれていた。三国志で有名な諸葛亮孔明はこれを剣先に見立て、兵に戦術を説いていた。酒井はこれに倣ったのだ。

新政府軍は、北斗七星と正対してしまった。

2 :きつねうどん ★:2020/07/24(金) 19:33:56.92 ID:CAP_USER.net
火を噴くシャープス騎銃
1960年に公開されたハリウッド映画『許されざる者』という作品がある。

この映画にはオードリー・ヘプバーンが出演していたが、劇中でヘプバーン演じるレイチェルが先住民を銃撃する。その際に用いられたのはシャープス騎銃というものだ。

このシャープス騎銃は、庄内藩が大量導入していた銃でもある。当時としては画期的な設計の元込め銃だった。庄内藩には他にもエンフィールド銃、スペンサー銃、スプリングフィールド銃などの海外製銃器も存在したが、その中でもシャープス騎銃の威力は別格だった。

しかも、庄内藩の女は夫や息子が戦場で奮闘している最中、シャープス騎銃の銃弾を生産していた。新政府軍相手に多大な戦果を挙げた幕府軍諸藩は他にも存在するが、銃後の戦時体制まで整備されていた藩は庄内藩のみである。

そのような破軍星旗の部隊に、新政府軍は成す術がまったくなかった。

新庄藩攻略後、庄内軍は久保田藩領に進撃。新政府軍の秋田方面への足掛かりを除去してしまおうという戦略だ。もしもこの計画が成功していれば、日本史そのものが変わっていたかもしれない。

しかし、久保田城攻略直前に幕府軍の仙台藩と米沢藩が降伏。庄内藩は周囲の友軍を失ってしまったのだ。戦術では勝っていたが、最終的に戦略で敗北した。

新政府軍は撤退する庄内軍に対して追撃を開始。しかしここでも酒井玄蕃の率いる第二大隊が殿(しんがり)として見事な遅滞戦術を敢行した。新政府軍が破軍星旗を奪い取ることは、ついにできなかったのだ。

ちなみに、この撤退戦の時の酒井は肺病を悪化させ、直前まで臥せっていた。

北斗七星の使者
終戦後の酒井は生き延びた。明治新政府での地位を得て、外交特使として清国に派遣されるまでになった。

が、彼の肺病は医者の手にも負えないほど深刻だった。1876(明治9)年2月、酒井は東京湯島の自宅で死去。享年は満33歳である。

北斗七星の使者は、最後まで故郷を守り通した。その誇り高い軍旗は敵の手に落ちることなく、永遠の輝きを手に入れたのだ。

鬼玄蕃現るところ、常に光差す。慈悲深い名将の雄姿は、今でも語り継がれている。

https://intojapanwaraku.com/culture/109777/

3 :Ψ:2020/07/24(金) 19:34:03.94 ID:D2jlXoGa.net
ニダール

4 :Ψ:2020/07/24(金) 19:38:40.05 ID:iDmzb7RT.net
天に二物を貰えなかった者の末路

5 :Ψ:2020/07/24(金) 19:44:33 ID:9tIygIkk.net
ダース・ベイダーに改造したらよかったかもね

6 :Ψ:2020/07/24(金) 19:48:01 ID:HnrvoqyS.net
https://youtu.be/RbbWWpXR0yQ

7 :Ψ:2020/07/24(金) 19:54:35 ID:qyvZhwyA.net
北極星はひとつじゃない

かつていくたの星が北極星になり
そのひとつひとつに物語があった

破軍の旗がひとつと思うておると
昔の北極星に足元をすくわれることもあろう

8 :Ψ:2020/07/24(金) 19:56:13 ID:UXem+VVK.net
お疲れさん

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