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中国生まれの「歌舞伎町案内人」が、27年かけて日本に帰化 [きつねうどん★]

1 :きつねうどん ★:2020/10/22(木) 20:13:08.86 ID:CAP_USER.net
今や経済大国となった中国からやってきた人の内、毎年3000〜4000人が日本人に帰化している。その理由は何か。今回は「歌舞伎町案内人」としても知られる李小牧氏に話を聞いた。(ライター 根本直樹)

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「元中国人」が 政治家を目指す理由
李小牧氏 撮影は筆者

 李小牧(60歳)はこれまでに2度、「日本人」として新宿区議会議員選挙に立候補した。惜しくも落選したが、選挙活動中、「元中国人」という言葉で自身の独自性をアピールしてきた。

 なぜ、あえて「元中国人」であることを有権者に伝えたのか。コロナ禍で閑散とした新宿歌舞伎町のすし店で、李は大好きな熱燗(あつかん)をハイピッチで飲みながら、冗舌に語った。

「私の夢は日本で政治家になって、良いところも悪いところも全部含めて、第二の故郷である日本の現実を14億の中国人に伝えたい。民主主義の実態から若者の流行まで、日本の今をきちんと知ってほしい。それが結局は日本のためになると思っている。日中友好のために残りの人生を生きていきたい。元中国人の私だからそれができると自負しているんです」

 外国人向けの夜のガイド「歌舞伎町案内人」からスタートし、作家、ジャーナリスト、中国料理店の経営者、そして区議会選立候補へとダイナミックに歩を進めてきた李だが、その半生は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しいものだった。

スパイの疑いに負けず 2度目の申請で帰化
 新聞、雑誌、テレビ、インターネット等、日中双方のメディアで活躍する李は、これまでスパイと揶揄されることも多かった。

「中国では日本のスパイ、日本では中国共産党のスパイとたたかれた。一々否定するのも面倒になって、ある頃から『私、二重スパイなんです』と言うようになりました(笑)」

 そんな李に帰化した経緯を尋ねると、急に目を輝かせて、早口で語り出した。

「私、今、日本人だよ。もうガイジンじゃない。あなたと立場は同じですよ」

 これほどまでうれしそうに帰化の事実を語ろうとする人も珍しい。李はこれまで2度、「帰化許可申請」を行ったことがある。1度目は1997年、次が2015年で、2度目にして正式に帰化が認められた。ではなぜ1度目は認められなかったのか。

「法務省は許可、不許可の理由を明らかにしません。聞いても教えてくれない。でも、帰化の条件みたいなものがあって、それに照らして考えてみると、1度目の申請のちょっと前に交通違反で減点になったことがあったの。当時は2点以上の減点があると許可が下りなかった。それでおそらくハネられちゃった」

 外国人が日本に帰化するには、まず法務局へ行って「相談」することが求められる。そこで係官と面談し、帰化が許可される条件や必要書類などが教示される。その時点で条件から外れる何らかの問題が明確になると、係官から「今回は見送ったほうがいい」などと言われ、一方、問題がなければ「では、申請に向けて書類を準備してください」といった案内がなされる。李は1回の免停で涙をのむことになった。

 ではここで、外国人が帰化をする場合の7大条件といわれるものを見ておこう。

(1) 日本に引き続き5年以上住んでいること (2) 20歳以上で、日本の法律を単独で履行することができる能力があること
(3) 素行が善良であること
(4) 経済的に安定した生活が営めること
(5) 日本国籍を取得したら前の国籍を捨てること
(6) 反社会的活動を企てていないこと
(7) 小学3年生以上の日本語能力があること

 この7つが最低限の帰化の条件となる。李の言う交通違反は(3)に反すると見なされるが、通常、違反から3年経過すれば不問に付されるようだ。その他、税金の滞納なども(3)に反するものとして厳しくチェックされるという。

自分を育ててくれた 歌舞伎町に本籍
 1回目の帰化申請は失敗したが、同時に入管に申請していた「永住許可」は無事に下り、その後は中国人として、日本での生活を続けてきた。

 そして1回目の帰化申請から18年たった2015年2月4日、2回目のチャレンジでついに申請は認められ、念願かなって「日本人」となった。李は語る。

「普通、申請から許可が下りるまで1年かかると言われているのに、私の場合、半年で通った。このとき私はすごく焦っていた。区議会選の投票日まで2カ月と迫っていて、このままでは立候補できなくなる。その頃は毎日、朝イチで法務省のホームページを見て官報をチェック。毎日ドキドキ、そわそわしてたんです」

2 :きつねうどん ★:2020/10/22(木) 20:13:31.65 ID:CAP_USER.net
 帰化が許可されると官報で氏名が発表される。李はそれを今か今かと待ち続け、ついに名前を見つけたときは、思わず鼻血が出たという。それほどうれしかったのだ。2回目の申請では、不安な点はなかったのか。

「たくさんあったよ。私は真面目なタイプの人間じゃないし、歌舞伎町という特殊な街の住人だったわけで、そう簡単じゃないとは思っていた。実際、トラブルも多かったし」

 帰化申請から許可が下りるまでの約半年間、李はあることがきっかけで精神的にナーバスになっていた。当時李はツイッターで政治や社会問題を取り上げて、独自の見解やアイデアをたびたび発信していたのだが、これが「ネット右翼」と思しき匿名の人間たちの標的となったのだ。李は振り返る。

「私の意見に対するちゃんとした批判なら大歓迎ですよ。私のアカウントに巣食っていた匿名の奴らが許せないのは、暴力団と親密な関係にあるなどと“架空の事実”を捏造して垂れ流すのがいつものパターンだった。これによって帰化も立候補の夢も絶たれてしまうかもしれないと不安で仕方なかった」

 今や暴力団の密接交際者と認定されたら、社会的な立場を失いかねない時代である。メディアで活躍してきた李にとっても致命傷になりかねない問題だったが、結果的には実際の仕事や生活に実害を与えるまでには至らなかった。帰化は認められ、選挙への立候補も果たした。

「日本政府は、ネットのフェイク情報などに翻弄されることなく、ちゃんと私という人間を公正に調査し、判断してくれた。自分のこれまでの人生が認められたと感じ、それが本当に嬉しかった」

 帰化をすると当然のことだが、日本に戸籍を持つことになる。李には戸籍に関して大きなこだわりがあった。李は語る。

「新しく作る戸籍の住所をどこに置くか。これは生活基盤、仕事の基盤がある場所ならどこに設定しても大丈夫なんです。私が選んだのは、もちろん歌舞伎町。自分の店『湖南菜館』の住所に設定した。風俗の街とかヤクザの街と言われる歌舞伎町で遊びたい人間はたくさんいるけど、戸籍を置きたいと思う人間なんてまずいないでしょ? でもこの街が私を育ててくれて、今の自分があるわけ。この街に深い愛情があるの。だからどうしても戸籍は歌舞伎町に置きたかった」

 李は来日以来30年、ずっと「自由人」であり、経済的には「個人事業主」として波乱万丈な半生を送ってきた。スパイと揶揄されたり、右翼から言動を攻撃されたり、反社の密接交際者と思われたり、さまざまな女性と浮名を流す一方、すさまじいパワーで夜の歓楽街を生き抜き、本を出版し、雑誌やテレビで政治や世界情勢を語り、店をオープンさせ、ついには区議会議員選挙に立候補までしてまった。

 こんなある意味特異すぎる人間が見事帰化に成功して日本人になれたのは、良い悪いは別として、非常にレアなケースと言っていいだろう。

故郷の中国人たちは 帰化に対して複雑な思い
 日本に帰化した李のことを、中国人たちはどう見ているのか。それを尋ねると、李はこんなエピソードを語り始めた。

「日本に帰化した後、生まれ故郷の中国湖南省で小学校の同窓会があった。私は帰化したことを自慢したくて、みんなの前で発表したわけ。そしたら半分の人は拍手してくれたけど、残る半分の人は無視したり、罵声を浴びせたりしてきた。彼らのそんな反応がすごく興味深かった」

 どんな罵声を浴びせられたのか。

3 :きつねうどん ★:2020/10/22(木) 20:13:36.31 ID:CAP_USER.net
「日本人の蔑称である『日本鬼子(リーベングイズ)』とか、中国語で『この売国奴が!』とか言われましたよ(笑)。『敵国の国民になりやがって』と怒鳴りながらつかみかかってきた奴もいる。差別するわけじゃないけど、こういう反応をした多くは社会的階層の低い人たち。外の世界を知ろうとせず、自分の地元だけしか見ていない。彼らの多くは保守的で、頭が固くて、日本=悪の国といまだに思い込んでいる。逆に拍手をして、乾杯してくれたのは、知識階級のレベルの高い人ばかり。それでも中には顔で笑いながら、心では『日本なんかに身を売りやがって』と舌を出している人もいるみたい。だから単純じゃないんです」

 帰化をする前後で、李自身はどう変わったのか。李は身を乗り出しながら熱く語った。

「帰化したメリットについて、多くの元中国人は『パスポートが便利になった』『金融機関から融資を受けやすくなった』などの生活上の変化を語る。でも私は違う。一番のメリットは参政権を持てたこと。帰化する前は、しょせんガイジン扱いされることが多かった。知識人と対談しても『ガイジンが何わかったようなこと言っているの』という態度をされたし、何かと待遇も態度も日本人とは違うわけ。でも帰化して、すごく自信がついた。日本人として堂々と意見を言えるようになった。これが帰化をして一番よかったこと。今では日本の右翼以上に、日本人であることに誇りを持っていますよ(笑)」

 そして急に真顔になると、李は静かにこう付け加えた。

「日本人としての誇りが生まれたのは正直な気持ちです。でも、中国に生まれ、そこで育ったことに対する誇りも失っていない。でもこれからは死ぬまで日本人として生きていくつもりです」

 日中両国に対する李の真剣な思いが垣間見えた。

https://diamond.jp/articles/-/251881

4 :Ψ:2020/10/22(木) 20:14:55.05 ID:1bIn5UQJ.net
チョンだと思われたくないから中国をアピール

5 :Ψ:2020/10/22(木) 20:22:39.99 ID:KKof5+94.net
はええっ
もう朝鮮ぶっ込んできた
このレベルだとどこに出しても恥ずかしくない立派なネトウヨ

6 :Ψ:2020/10/22(木) 20:47:32.04 ID:sH2pFPkn.net
自称リベラルが喜びそうな、この手の一人称記事は、もう飽きた。
結局、人夫々の話であって、それを全体主義的な制度として認知させようとするのが、
リベラルファッショのやり方だなw

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