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【IDあり】別館★羽生結弦&オタオチスレpart48

324 :名無し草:2022/11/15(火) 12:12:05.21 ID:dBeMljg9.net
>>323
 かつてカタリナ・ヴィットというフィギュアスケーターがいた。彼女は旧ソ連(ロシア)の影響下にあった旧東ドイツに生まれ、共産主義独裁政権を率いたホーネッカーによる圧政の下、「共産主義の宣伝」として滑り続けた。そして後の羽生結弦と同じくサラエボ、カルガリーと二大会連続の金メダリストとなった。しかし彼女はホーネッカーから祖国英雄として大勲章まで送られたにも関わらず、1989年に自由を求めアメリカに亡命した。アメリカでのプロ転向後も彼女の確かな基礎と演技力、そして芸術性はアイスショー『氷上のカルメン』として昇華し、共演のブライアン・ボイタノ(カルガリー・金)、ブライアン・オーサー(サラエボ・銀、カルガリー・銀)とともにエミー賞を受賞した。

 そんなヴィットがあえて、1994年のリレハンメルオリンピックで競技者として復帰した。もう「どれだけ飛べるか」「どれだけ回れるか」の時代に入り、ヴィットがメダル争いで通用するはずもなく、彼女の時代に存在したコンパルソリー(かつて実施されていたスケートの規定・技術競技)も廃止されていた。2大会連続金メダリストの彼女が今さら出ることは「恥を晒す」とまで言われた。

 それでも彼女は出場した。東欧革命の余波によるユーゴスラビア紛争は民族浄化という大虐殺にまで及び、サラエボも廃墟となった。かつてのサラエボの花、ヴィットが「一人の人間として何ができるのか」を思ったとき、あのリレハンメルでのフリースケーティング『花はどこへ行った』が生まれた。スケートで「一人の人間として何ができるのか」のヴィットの答えとは、かつて暖かく迎えてくれた旧ユーゴスラビア、サラエボ市民や世界中のファンに対する思いと平和を、自分のスケートを通して伝えることだった。

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