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【IDあり】別館★羽生結弦&オタオチスレpart48
- 325 :名無し草:2022/11/15(火) 12:12:14.46 ID:dBeMljg9.net
- >>324
羽生結弦もそうだ。もう10年以上が経ち、コロナ禍もあって人々の記憶から震災は風化しようとしている。それでも羽生結弦は自分の大切な『プロローグ』に震災というメッセージ性を込めた。こうした表現を文学の一部では「社会性」と呼ぶが、羽生結弦のスケートには社会性がある。それは「時代の人」の宿命であり「歴史の人」になる必然である。今回のプロローグ、拙筆『初の単独アイスショー開催 氷上の芸術家・羽生結弦は「伝説の人」から「歴史の人」へ』でも書いた通り、まさしくその端緒となったと確信する。
それにしても、スケートの芸術性はもちろん演出力、企画力、構成力含め、これだけのパフォーマンスと舞台を作り上げるとは。羽生結弦が信頼する演出家のMIKIKOや津軽三味線の中村滉己など、多くの人々の協力があったからこそは当然だが、初の単独公演でこの完成度、これが『プロローグ』(序章)というなら、いったい羽生結弦という存在は、これからどれほどの高みにあろうとするのか。彼の繰り返し語る「限界」とはどこにあるというのか。12月2日からの青森八戸公演『プロローグ in HACHINOHE』も期待せずにはいられない。いやはや、本当にとんでもないアスリート、かつアーティストがこの国にいる。嬉しくてたまらない。
パブリックビューイングの上演が終わると、これまた整然とファンのみなさんが退場して行く。シネコンを出ると、ほのかな夕日に山々が大きく照らし出されている。あの女性には再会できなかったが、きっと「幸せ」な気持ちで家路に着いたことだろう。
かつて2020年、羽生結弦はコロナ禍の全日本選手権終了後に「生活自体が苦しくなっている方々から比べてみれば、ほんとにちっぽけなこと」と自身の競技生活を振り返った。そして、「少しでも自分の演技が、生きる活力になったら」(抄)と率直に答えた。かつてのヴィット同様、羽生結弦もまた「時代の人」として「一人の人間として何ができるのか」を自問しながら「限界の先」を目指して滑り続けるのだろう。大好きな「ファン」、大好きな「スケート」、そして大好きなのにちょっといじわるな「氷」に感謝しながら。
※敬称略
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